陸
「ねえ、お姉さんが相手だと不満かしら?」
翔が目を覚ますとそこには、自身の上に跨る美女がいた。
だが、その背には大きな翼がある事からそれが普通ではない事を察する。
仮にそれがコスプレであったとしても、自前であったとしても、だ。
服装も山伏を思わせる――いつか翔が見た風香と同じである――ものとやはりこちらも普通ではない。
総じて、この現状が普通ではないという事を翔が察するには十分であった。
「何がどういう意味かわからないけれど、そういうのはよくないんじゃないかな」
寝起きに美女が自身の上に跨っていたとして、だからと言って無条件で気分が高揚するような単純な人間ではない。
そもそも、ちらりと周囲を見やれば自然の真っ只中。恐らくは御鷹山だろうか――と推測しながら、この場から抜け出す方法を考える。
季節は夏。学校の夏季休暇を前にして野球部は夏季大会の最中である。一刻も早く帰宅して野球に打ち込みたい翔にとって、目の前の美女よりも野球の方が優先順位は上なのである。
そんな翔の態度に烏天狗の女性は「……ほんと、かわいくない子ねえ……」と悪態をつく。
これに対し翔は「男子なんてそんなもんだ」と口にする。――実際には、翔の精神が野球第一過ぎるだけなのだが。
ともあれ、女性に対して一切の興味を示さない翔を見てか、彼女は「……ならもう、無理矢理ワタシのものにするしかないわねえ」と言いながら目を金色に輝かせ――。
――そこに、一陣の風が割り込む。
濡羽色の翼に髪の毛。山伏の格好。
その姿を翔は知っている。忘れる筈も無い。
その姿を見てから、翔はいつもよりも夜間で歩いてしまっていたのだから――。
「大丈夫?」
女性と翔の間に割り込んで立つ少女――風香が翔にそう尋ねる。
そのあまりの美しさに言葉を失いながらも、ほんの一瞬で正気を取り戻して「あ、ああ! 大丈夫」と答える。
あの日見た姿と変わらぬ姿。
この姿が見たかったのだ――と思う心と、なぜ彼女がここに来たのか――と考える心の二つが両立し、翔は困惑する。
そんな翔の様子に安心してか風香はじろりと烏天狗の女性へと視線を移す。
「――で、アンタが人攫いで間違いないって事だよね?」
その声色に、相当な怒りが含まれている事に翔は気づく。
今井風香という少女は学校においては目立たない存在だ。
その容姿で目立たないは無茶だ、と翔は今になって思うものの、あの日翼の生えた風香を見るまでは意識にも留めなかった事を思えば、実際風香は目立たず学校生活を送っている。
そんな彼女が声を荒げるシーンを翔は知らない。それも、このように怒りが滲み出るような声色等、想像もできなかった。
「だと言ったら?」
風香の問いに対して女性はそう答える。余裕ありげに。
そして、怒りの声色の風香をからかうように「あの子はもうワタシのものよ。あんなに綺麗な子、自分のものにしない理由がなくてよ?」と言葉を重ねる。
これには翔としては冗談じゃない、と内心で思うものの直感的に敵う相手ではないと察する。
ぱっと見では翔の方が身体能力は高そうに見えるものの、状況的にはそうではないという事位、翔にはよくわかる。
烏天狗等と言う伝承に出て来る存在が、果たして自分よりも身体能力が低い等と考えるものがいるだろうか。
故に、翔の口からは反論が出てこない。だが、代わりにと風香が「それがアンタの言い分ってわけね」と口を開く。
「申し訳ないけど、コイツは私のものだ。手を出すんじゃないよ年増」
色々とツッコミどころがある。
まず初めに、“私のもの”という宣言。翔はそうなった覚えがない。
次に、“年増”。これは適格に女性を刺激したようで「言ったわね小娘――!」と怒りを露わにして地を蹴り風香へと迫る。
右腕を引き絞り、それを解き放つ。そうして放たれた右拳を風香は臆する事無く左手で掴む。
先制の一撃を難なく掴まれてしまった事に女性は驚き、先程とは逆方向に地を蹴って一旦風香との距離をとる。
「――ここだとコイツを巻き込む。……それは、お前も本意じゃないだろ?」
風香のその言葉には、女性も理解を示す。
翔を我が物にしたいという考えがある以上、戦いの余波に巻き込まれて彼が負傷するのは確かに望むものではない。
「……わかったわ……。少し移動しましょうか」
そう言って、二人は一瞬にして翔の目の前から消える。
一瞬の出来事。
翔には一体全体何が起こったのかを理解できなかったが、風香が女性の拳を手で止めた所までは翔も目視できていた。
しかしながら、翔にわかったのはそこまで。
そこから先の二人の動きはあまりにも迅く、眼で追う事ができない。
「――どうなるんだこれ……」
理解不能な状況に対して、ポツリとその言葉を漏らすのが今の翔の精一杯だった。
御鷹山の山奥。二人の烏天狗による戦いが行われていた。
女性は風香を仕留めるべく果敢に攻め立てる。
幾度となく拳や蹴りを繰り出すが、その一つ一つが常人であれば必殺になり得る技である。
烏天狗と言えば、牛若丸に剣術を教えたという鞍馬天狗や、戦勝の神とされる飯縄権現が烏天狗の姿形をしている――等、烏天狗はあらゆる怪異の中で明確に戦闘に関しての力が伝わっている存在と言える。
そんな烏天狗のよる一撃が強力であるのは自然であり――そして、それを綺麗に捌く風香の姿もまた自然と言えよう。
だが、防戦一方ではどうにもならない。
現に女性の方は未だに傷一つ負っておらず、風香はただ女性の攻撃を捌いているだけで顔には疲労の色が見て取れる。
これ幸いと攻勢を強める女性に対して、風香は反撃の好機を見いだせずにいる――ように見える。
実際、この女性はこれまで風香が対峙してきた怪異の中でも上から数えた方が早い相手であった。
自身と同じ烏天狗。
それが弱い筈もなく、身体能力や身のこなしといった部分で普段相手にする怪異よりも明確に強いというのは、ここ暫くのやりとりでとっくのとうに確信していた。
――だが、倒せない相手ではない。
そして、風香は同時にそうも考えていた。
絶えず女性からは拳や蹴りが繰り出され、その全てを躱したり、受け流したりと捌き続ける風香。
その中で、ある一発に対して風香は敢えて一発を受けて体勢を崩す仕草を見せる。
体勢を崩す――それはつまり、相手にとっては好機に映る。
これまで風香が女性の攻撃を全て捌き切っていたのは、体勢を崩さずに最小限の動きで対処していたから。
しかしながら、それができなかった上に次の攻撃に備えられる様子ではないとなれば、必然的に女性にとっての好機と認識する。
「――もらった……ッ!」
そうして女性が繰り出すのは真に必殺と呼べる腕を大きく後ろに引き絞ってからの拳。
普段であればこのような予備動作をしては相手に躱されるのは目に見えているが、女性の眼前にいるのは体勢を崩した風香のみ。
体勢を崩している、という事は次の動作に対しての準備が間に合わないという事。
そのタイムラグの間に腕を引き絞る作業というのは十分完了できて、今この状況において、相手を一撃で屠る事が可能な彼女の切り札と言えよう。
必殺の拳が風香に対して振り下ろされる。
これまで繰り出してきた拳のどれよりも迅く、鋭く、強い。
この拳を受けてしまえば、いくら烏天狗の強靭な肉体であろうと無事では済まない。
そのような一撃が、繰り出された――筈だった。
だが、女性の眼前にいる風香はニヤリと笑みを浮かべる。
その笑みを意味を理解するのに数瞬。
女性が意味を知る頃には時すでに遅し。必中必殺のつもりで放った拳は空振りに終わり、風香が女性の背後へと周り込んでいた。
烏天狗の背についている翼は飾りではない。
猛禽類を思わせるその姿形に違わず、烏天狗の動きは非常に迅い。
それは先程まで女性が繰り出していた熾烈な攻撃は勿論、純粋な移動や回避といった面においても大きな意味を持つ。
風香は敢えて一発をもらう事で相手の思考を誘導した。
相手に大ぶりな一撃という選択肢をとらせる為に。
女性の攻撃によって体勢を崩したように見えたそれは、相手の攻撃を受けて身体を仰け反らせつつもその反動を活かして身体をぐるりと旋回させる為のもの。
くるり、と身体を回転させながら翼を羽ばたかせて身体を加速させる。
そうする事で、一瞬にして女性の背後へと周り込んだ――という訳だった。
その手には、いつの間にか金剛杖が握られていて、身体の回転を活かしてそれを女性に向かって一振りする。
フルスイングによる一撃。勢いをつけた一撃は女性にとっては意表もつかれた形となり、ガード等間に合わない。
吹き飛ばされ、木々に後頭部をぶつけた事で女性の意識はそこで途切れ、ぷつりと糸の切れた人形のようにその場に倒れ込む。
それを見ながら頬に痣を作りながらも会心の一撃を女性に食らわせた風香は、息を整えながら女性の様子を見る。
彼女に起き上がり、反撃してくる様子はない。それを見てから首元に着けていた咽喉無線のスイッチを入れてから口を開く。
「こちら、今井風香二等怪討。御鷹山にて人攫いをした烏天狗を無力化した。回収願う。場所は――」
そう言って、女性の倒れている場所について無線の相手に伝えてから、風香は翔の下へと急ぐのであった。
作者より。
本作と同じ世界観の前作も、もしよければ是非。
▽怪討のツルギ-コスプレ少女は今夜も怪異を斬る-
https://ncode.syosetu.com/n7037kr/
次話は9/28 12:10に更新予定です。




