参
二〇二五年七月三日午前八時。
今井風香の姿はT都八宝子市の都立昇陽高等学校二年二組の教室にあった。
昨晩遅くまで烏天狗としての力を用い、怪異を討伐していた彼女だがその事は学校において一切考慮されない。
怪異等という存在は一般には伏せられており、同様に烏天狗なんて存在もあくまで伝承上のものに過ぎないという認識である。
そのような事を口にすれば頭の心配をされる――なんて事は平凡な日常を目指していた風香からすれば当たり前の話。
とはいえ、疲労感がある事には違いなく自分の席につくや否やばたり、と突っ伏す。
「……大丈夫?」
クラスメイトからのそんな問いかけに対して「……大丈夫。ちょっと夜更かししちゃって」と答える。
そんな極めて当たり障りのない回答に「わかるー。私も配信とか見てたら気づいたら夜中だったよー」との返し。
これは会話を続けた方が自然だろうか、と考えた風香は「ちなみにどんな配信?」と尋ねると「えっとねー」とクラスメイトはスマホを取り出しささっと画面を操作して「この人の!」と画面を見せる。
そこに出ていた配信者の姿を見て、吹き出しそうになるのを風香は必死に堪える。顔にも出さない。
風香がそんな努力をしている事に露ほども気が付いていないクラスメイトは「この人見てて凄く面白いんだけど、ゲームやってる時だとすごくかっこいいんだー」とその配信者についての感想をそのまま垂れ流す。
クラスメイトが風香に見せた画面には、小柄な烏天狗の少女のイラスト――いや、3Dモデルがちょこんと映っている。
――別にこれは風香自身ではない。しかしながら、その容姿が風香の知人物に酷似している事や、その知人が何をやっているかを知っているが故にその人本人にしか見えない。
つい最近、親戚で集まった際に風香以外にも烏天狗としての力に目覚めたものがいる、と引き合わされた際に知り合った人物――要は従姉にあたる――が、配信業をやっているとその時に知ってしまっていた。
その後、特に風香は彼女の配信を追ってはいないなりに、どうやら一定以上の知名度や人気があるらしい事を察してはいたが、こうしてクラスメイトが実際にその配信を見ている等と口にして驚かない訳がなかった。
「へ、へぇ……そうなんだ……」
「うん、今度見てみるといいよ!」
風香の内心等知らないクラスメイトは純粋にその配信者について風香におすすめしつつ、クラスメイトは気だるげな風香に対しての興味を失ったのか、あるいは新たに教室に入って来た男子生徒の方に興味が向いたのか。
「おはよ、翔君!」
そのような挨拶をすると、翔君と呼ばれた男子生徒は「うん、おはよう」と返す。
髪の毛は短く切りそろえられてはいるものの、その端麗な容姿はこのクラス――いや、学校においては目立つと言っていいだろう。
身長も一九〇センチと非常に長身で、明らかに何らかのスポーツをやっているアスリートだろうと察する事ができる。
だが、そんな彼に対して風香は特に興味を示さない。
クラスメートに対する興味、というのはそこまでなく、ただ単に同じ空間にいる学友であるという事位しか認識していない。
その為、先程まで話していたクラスメートが風香に対しての興味を失ったのだとしても、風香としてもこれ以上の会話は疲れると感じていた為、そんな彼女の様子には特に何も思わずにそのまま机へ突っ伏すのだった。
そんな風香の様子を、先程の男子生徒――翔が見ているとも知らずに。
結局、その日の学校での特筆するような出来事はなく、そのまま放課後を迎えた。
帰宅部である風香は、学校に残る用事等特になく、まっすぐ昇降口へと向かい靴を取り出そうとして――その上に、何やら紙切れがのっているのを見る。
そのようなものを下駄箱に入れた記憶などない。つまり、誰かが自分の下駄箱にこの紙切れを入れた、という事になる。
ちらりとその紙に目を通してみれば、そこには“一八時過ぎに守館公園で”と書かれている。いかにも呼び出しと言わんばかりのそれに対し、風香は「はぁ……」とため息をつく。
差出人の名前もない、そして一八時過ぎというのは最終下校時間過ぎの時間。帰宅部である風香にしてみれば、そのような時間に外出いるつもりなど毛頭もない。
つまり、この呼び出しについては無視をしたいと考えている。いるのだが、これを断った事で相手に悪印象を与えて学校で何らかの不利益を被る可能性はないだろうか、と風香は考える。
あり得ない話ではない――と風香は結論付ける。
幸い――なのかはわからないが――風香の両親は共働きで帰りも遅い。
一八時前後に外出していようともそれを両親に知られたり不安にさせてしまったり、という事にはならない。
それならば、とっととあってしまって事を済ませてしまった方が良いだろう――と風香は考えるのだった。
そうして迎えた午後一八時前。守館公園にて。
一度家に帰り、私服に着替えてから時間ギリギリに到着した風香は呼び出したであろう人物を待つ。
最終下校時刻近辺に呼び出し、と考えると恐らく呼び出した当人は部活動に所属している事が考えられる。その為、部活動に注力している人間で会った場合には、一八時を過ぎてから来るのではないか、という事にこの段階で漸く思い至る。
それなら、こんな呼び出し等無視して家でゆっくりしておけばよかった――等と考えていた風香に対して「ごめん、待たせたかな」と声がかけられる。その声に反応して風香が振り向くと、そこには――。
「……誰?」
――風香の通う学校の制服を着た男子生徒が一人、そこにいたのだが風香の記憶には強く残っていない人物だったのか、そのような言葉が風香の口から漏れ出て来る。
そんな風香に対して「……ちょっと酷くない……? 一応クラスメートなんだけど……」と彼が口にした事で、漸く見覚えがある程度には思い出したのか「あー……えっと……?」と間抜けな声を漏らす。
――どう考えても、思い出せてはいないのである。
そんな風香の様子は兎も角として、このままでは話が進まない、と男子生徒は意を決して口を開く。
「今井さんと同じく昇陽高等学校二年二組。野球部の小鳥遊翔。一応、クラスメートだよ」
「……そう言えば、見覚えはあるかも……」
「そんなんでどうやって七月まで学校を過ごしてきたんだ……?」
彼――翔の自己紹介に対してなんとも間抜けな返しをする風香。
そんな風香の様子に困惑しつつも翔は純粋に疑問を口にする。その疑問は尤もであり、少なからずクラスメートの顔と名前というのはある程度一致するものである。
勿論、これがクラスメートですらなければどうにもならないだろうが、クラスメートという毎日顔を合わせる生徒の顔というのは、案外覚えているものである。顔と名前というのは自然と一致するようなものなのだから。
しかも、であるこの小鳥遊翔という男子生徒、昇陽高等学校ではそれなりの有名人である。
しかしながら、風香はそうでない。普通ではない、と言う事をこの短時間で知る事となり、顔には驚きの表情が強く浮かんでいる。
とはいえ、それはともかくとして、である。
どうして風香をこの翔が呼び出したのか、と言う点については未だにわからずじまい。それについて口にするのだろうか、と風香が考えている最中に再び翔が口を開く。
「ところで、風香さんってコスプレの趣味でもあったの?」
その言葉に、ピクリと反応しそうになる身体を堪えながら風香は「どうしてそう思ったの?」と尋ねる。
人の趣味について、このように追及するのは本来マナーとしても宜しくない。それはそうとして、風香には思い当たる節があったが故に動揺しているのを必死に表に出さないよう努める。
しかし、そんな風香の努力を無にするかのように彼はさらに口を開く。
「夜に外で歩いたら、なんか烏天狗っぽい姿をした今井を見たんだよね。……違うかな、とも思ったけど、大分似てるし……」
「違うよ?」
ノータイムでの否定。しかしながら、そのようなもので相手――翔が納得する訳もない。
翔からすれば、それなりにその時見た人影が風香であるという確信を持って、その上で風香に尋ねているだろう――という事位、風香にもわかってはいる。
いるのだが、それ以外にできる事があるだろうか。
いや、ない。
どのようにすればこの追及を躱せるだろうか――等と風香は考える。
コスプレというのは、あの山伏の衣装や烏天狗の翼――どちらもコスプレというよりは正装と自前のものなのだが――の事を指しているのだろう、と言う事を風香は察する。
つまりは怪異と接する直前の烏天狗――怪討としての姿を見られている、という事である。それはあまり良い事でない。
一般人にとって、怪異とは危険そのもの。なるべくならその接触は限りなく無にしておかなければならない。
だからこそ、ここで翔からの追及を躱しきり、翔を怪異から遠ざける必要があるのだった――。
作者より。
本作と同じ世界観の前作も、もしよければ是非。
▽怪討のツルギ-コスプレ少女は今夜も怪異を斬る-
https://ncode.syosetu.com/n7037kr/
次話は9/27 0:10に更新予定です。




