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 二〇二五年七月二日夜。

 T都南西部。御鷹山にて。

 標高六〇〇メートル弱と決して高くない山ではあるが、それが逆に気軽に登山に挑戦できると話題になったり、天狗伝説が広まっていたりと観光地として有名になる要素を多く兼ね備えた山。

 そんな山であっても、空が薄暗くなれば人気(ひとけ)というのは少なくなるというもの。

 そして、このご時世常識はずれな行動をして注目を集めようとする者というのは付き物で、たった今山を駆け抜けた男性もその一人であった。

 しかしながら、その顔は極めて険しく、苦悶に満ちている。楽しげに何かをやろうという顔ではない。

 そう、彼は逃げている。

 必死に背後より迫る恐怖から逃げている。

 だが、その決死の逃走も空しく疲労からか足がもつれて転倒し、その間に背後から迫る者に追いつかれてしまう。

 転がった事で自然と後ろを見る形となり、男性は追いかけてきていた者を直視してしまう。

 それは、まるでホラー映画に出て来るような不死の者。

 いや、それにしては人の形を保っていない何か別のものであると確信できるだろう。


「やめろ……来るな……!」


 男性がそう懇願するも、迫りくるそれが止まる筈もなく――。


「――させないよっ!」


 ――だが、それを遮るものと声が一つ。

 男性の前へと割り込み、迫ってきた者をそれは一本歯下駄の先で蹴り飛ばす。

 人間離れした速度で放たれた一撃になすすべもなく、男性へと迫り寄っていた者は後ろへと吹っ飛んでいく。


「……え?」


 何が起きたか理解できずに男性は困惑の声。

 そんな中で男性の前へと割り込んだ者は「大丈夫?」と声を掛ける。


 鈴が鳴ったかのような澄んだ声。

 強烈な一陣の風。


 驚いて男性は声の主の方へと改めて目を向ける。

 そして、その姿形に驚いて目を大きく見開く。

 

 腰ほどまで伸びている艶やかな濡羽色の髪。

 一本歯下駄の高さを除けば身長は一六〇センチほどであろう平均的な背丈に細く華奢な四肢。

 後ろ姿ながら、彼は見惚れてしまう程だが、それ以外の部分に彼は驚いていた。

 

 山伏を思わせる衣服に、その背にはこちらも濡羽色の大きな翼。

 その姿はまるで――。


「烏……天狗……?」


 男性がそう口にすると「はいはいそーですよ」とそれは肯定してから「……ま、忘れてもらうんだけど」と言って男性の方へと振り向いて手をかざす。

 細身で華奢に見えるその身体のどこに化け物を蹴とばすような力があるのだろう――と疑問に思っている間に、男性の意識は失われてぱたんと倒れる。


「……全く、ゆっくり暮らしたいのに……」


 そう言いながら、彼女は先程蹴飛ばした者へと視線を向ける。

 そこには、よろよろと立ち上がる異形の姿があった。

 異形の四肢は非常に細く、あっさりと折れてしまいそうで、それでいて下腹部は不自然なほどに膨らんでいる。

 一般的に妖怪の一種として知られる餓鬼(がき)の姿形と合致する。

 

 餓鬼。

 日本全国にその話は広まっており、食べ物や飲み水を求めて彷徨うとされている。

 主に山道に現れる、ともされておりここ御鷹山にいるのは自然とも言えよう。

 

 そして、そんな餓鬼は彼女の眼前でよろめいてこそいるが、健在。

 ゆらり、と揺れながらすっと立ち上がる。そのアンバランスな身体でよく立てる、と彼女は内心でそのような事を思う。

 

 ――何はともあれ、この餓鬼をどうにかしなければならない。

 

 彼女は息をすぅ、と吸い込んで、はぁ、と吐く。

 深呼吸で再度集中力を高めていく。

 暫くの間。

 互いに様子見、間合いを測るかのように。

 そして最初に焦れて動き出したのは餓鬼の方。

 ゆらり、と身体を大きく揺らしながら彼女へと迫る。


「――遅い」


 そう言いながら、どこからともなく三〇センチメートル程の棒が風香の手元に現れて、それを彼女は餓鬼に対して一突き。

 すると、一突きするのに合わせてその棒――いや、金剛杖が伸びていく。

 最終的には二メートル程の長さとなり、餓鬼へと突き刺さる。

 ギギャ、という異形らしい餓鬼の声が彼女の耳に届く。

 だが、そのような声に耳を貸す彼女ではない。

 餓鬼が姿勢を崩すのを見た彼女は突き出した金剛杖を手元に引き寄せ――それと同時に長さが一メートル程まで縮み――今度は餓鬼の懐まで迫ってから、杖を振るって餓鬼の頭へと叩きつける。

 叩きつけられた餓鬼は再び吹き飛んで行き、後ろの木々にぶつかってその場で崩れ落ちる。

 それと同時に、そのダメージが決定打となったのか、餓鬼の身体は霧散していくのだった。

 

 そうして、残されたのは彼女と、彼女が先程意識を失わせた男性の二人だけ。

 先程まで暴れていた異形の姿形はどこにもなく、ただどこからともなく虫の音が彼女の耳に届く。

 どこにでもある夏の夜の日常。

 それが戻った証とも言える。


 ふぅ、と彼女は安堵のため息をつきながら手にしていた金剛杖を一振りすると、手にしていた金剛杖がどこかへと霧散する。

 そうして手ぶらになった彼女はふと先程気を失ったばかりの男性の方を見やる。

 中肉中背、と言えど彼女よりも大きくて重い事に違いはない。

 異形を倒した身体能力を持ってすればそこまで苦ではない、というのはその通りだが、面倒である事に違いはない。

 俵を持つかのような形で男性を持ち上げた彼女――今井風香は「やれやれ」と呟きながらその場を去るのだった――。



 男性を持ったまま風香が麓まで降りると、四つ目のテーランプが特徴的な九〇年代のスポーツカーの前に立っていた男性が飄々と「や。今日も大活躍だねえ風香」と気さくに声をかける。

 彼にも風香と同じく背には大きな翼が見えるものの、服装はタンクトップにジーパンというとてもシンプルなもの。

 容姿が整っていればこれでも似合うのだろうが、如何せんそれなりに年をとっていてだらしない体型というのが災いしてお世辞にも似合っているとは言い難い。

 とはいえ、その身体的特徴から風香と同じ烏天狗である事は傍目から見ても察する事ができた。

 そんな烏天狗の男性の様子に大きくため息をつきながら風香は「そんな賛辞よりも、私は休みが欲しいんですケド、師匠(せんせい)」と文句を言いながら持ち上げていた男性を烏天狗の男性――師匠に手渡す。


「何。儂がやってしまったらお主の修行にならんだろうに。怪討なんだから」


 どこか不満そうな風香に対して彼がそう言うと風香はより不満そうに「怪異を討伐するのが怪討なのはわかるけど、それ本当に私がやらなかきゃだめなの?」と口にする。

 

 怪異、と呼ばれるものがある。

 その正体は古くの言い伝え、伝承に存在する人ならざるものだったり、怪談や悪霊といったものが何らかの形で現実世界へ干渉できるようになったものの総称を指す。

 要は、先程彼女が屠った異形――餓鬼も一般には妖怪として知られているが、この定義に当てはめれば怪異にカテゴリされる。

 この怪異というものは一般的な人間には視認する事すらできず、それらが視認できた時点で既に手遅れ。

 今までの日常が全て崩壊する――いや、それどころかその時点で命を落とすなんて事も珍しくない。

 だからこそ、そんな怪異を討伐する存在――怪討というものが存在する。


 そして、烏天狗というのは所謂妖怪――伝承に存在する存在。

 つまりは、彼と風香もまた広義的には怪異と分類される訳だが、二人は人間社会に害をなす怪異を討伐する怪討として活動している。

 何はともあれ、要は二人は烏天狗であり、怪討である。と言う訳だった。


「仕方ないだろう? 怪異に対抗できる力を持つ者が、怪異に対抗しないとこの世界は危ないんだから」

「わかっているけどさぁ……」


 師匠の言葉に風香は不満気にそう答える。

 怪異に対抗できる者というのは限られている。

 巷で言われている霊感みたいなものがなければ、怪異を見る事すらできない。そして、その怪異を退治するなんて事もできない。

 一般人にとって、怪異とは不可視の恐怖に他ならない。仮に見えたとしたら、その瞬間に何らかの被害を受ける――最悪の場合は死すらあり得る。それほどの脅威が、日常の裏には潜んでいる。

 それに対抗できるものこそ、怪討。

 怪異に対抗できる力を有し、その力をもって怪異を討伐して非日常から日常を守る。

 その重要性を風香は理解しているものの、とはいえ自分がその役割を果たさなければならない、という点については不満を持っていた。


「つい最近までただの一般人だったのに……!」

「かか、運命ってヤツだなぁ!」


 風香の嘆くような言葉を師匠は笑い飛ばす。

 そう、風香とて生まれつきこう――怪異に対抗できる者――だったわけではない。


 話は数年前まで遡る――。

作者より。

本作と同じ世界観の前作も、もしよければ是非。


▽怪討のツルギ-コスプレ少女は今夜も怪異を斬る-

https://ncode.syosetu.com/n7037kr/

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