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09、婚約破棄の行方

「ご子息ユーグ殿と妹ヴァイオラの婚約は破棄させてもらう」


「なっ!?」

「あぁ!」


 辺境伯があんぐりと口を開け、夫人は卒倒した。


 ユーグ自身は皇女との婚約に興味はなかったようで、気絶した母親を支えている。


 私は構わず言葉を続けた。


「ご子息は男性を愛するたちのようだ。これではヴァイオラは幸せになれない」


「なぜそれを――」


 ジョルダーノ卿は胸ポケットから取り出したハンカチで、こめかみを伝う冷や汗をぬぐった。


「ユーグ殿は私を剣で脅し、唇を奪ったのだ」


「う、嘘だ!」


 ユーグが叫んだ。そう、嘘である。でもあなたもミシェル様に骨を折られたなどとでっちあげたわね? おあいこよ。


「わが妻ミシェルが駆けつけ、ご子息を引きはがしてくれた。これは正当防衛である」


「セザリオ殿下のおっしゃる通りです」


 辺境伯は、息子の性癖が明るみに出て観念したらしい。棚に並ぶ異様な道具類に囲まれながら、こうべを垂れた。


「婚約破棄の件はジョルダーノ家の有責で構いませんので、どうか息子の個性については、ご内密にお願いします」


「妹を自由にしてくれるなら、辺境伯家の醜聞を広めることはせぬ。ご子息によいお相手が見つかることを祈っている」


 ジュストコールの裾をひるがえし、私はミシェル様に近づいた。


「行こう」


 彼女の肩を抱いて、颯爽と部屋から出る。廊下では使用人たちが、気絶した辺境伯夫人を介抱していた。


 うしろからユーグの、


「や、やっぱりセザリオ様かっこいいっ」


 という乙女のような悲鳴が聞こえて、私はげんなりした。


 辺境伯が慌てて、


「お客人を転移の()へご案内せよ!」


 使用人たちに命じた。




 皇宮地下にある転移の間に戻って来た私は、ミシェル様を抱きしめた。


「私を救ってくれたこと、心から礼を言う」


「パートナーの危機に駆けつけるのは当然です」


 ミシェル様が本当に私のパートナーだったらよかったのに。自分を偽り、ミシェル様をだましている事実が私をさいなむ。


 ユーグのように堂々と自分の趣味を告白するなんて、私にはできない。だけどせめて、自分の心にだけは嘘をつきたくない。


 ミシェル様への愛を認めよう。ミシェル様が女の子でも、私は彼女を愛している。


 でもミシェル様が助けに入って来たとき、聞こえたお声は確かに青年のものだった。まさか――


 いや、あり得ない。五年ほど前、スーデリア王家が新年祝賀の挨拶に訪れたときも、ミシェル様は確かに女の子だった。教育係から周辺諸国について学んだ際、スーデリアには王子が生まれず、現国王のあとは王弟が継ぐだろうと習った。


 不可思議な記憶に首をかしげながら宮殿内の廊下を歩いていると、うしろでニーナがメイに話しかけるのが聞こえた。


「庭園を散策していたらミシェル様が急に姿を消されたから、驚いてしまいました」


「わが主人は大変優秀なのですぅ」


 メイが空気の抜けたような裏声で答える。


「セザリオ殿下の危険を察知して、こっそり後をつけて様子をうかがっていたのですよぉ」


 でもミシェル様が入って来た窓は二階だったわよね? 子供時代のお話を聞いて、お転婆な王女様だと思ってはいたけれど、ほとんど特殊訓練を受けた斥候並みの身体能力じゃない!?


 私の愛する人はまだまだ謎だらけだ!




 §




 ノリで婚約破棄してしまった翌朝、昨日に引き続きひとりのベッドで目覚めた私は、着替えてすぐに皇太子夫妻の寝室へ移動した。


 しかし程なくしてやってきたのは、朝食を運ぶ侍女ではなく、宰相を連れた侍従長だった。


「皇帝陛下は昨夜もまた深酒をされたようで、お目覚めになりません」


 宰相の口ひげが左右にピンと張った。


「セザリオ殿下、皇太子として政務を代行していただけませんか?」


 宰相は私を兄上だと信じている。


 事情を知っている侍従長は、私と目を合わせない。父上の秘書役を担っているとはいえ、侍従長は使用人の立場ゆえ、宰相の考えを覆せないのだろう。


 宰相の厳しいまなざしが私を射る。


「セザリオ殿下、皇太子の務めとは帝国の政務に関わってこそ。狩りに出かけて動物を痛めつけたり、使用人を教育と称して鞭打つことではありません。私も助言させていただきますゆえ、ご快諾を!」


 兄の代わりに叱られてしまった!


 父上の性格を変えた原因は心労だから、負担を軽減できるなら本望だが、私は隔離されてきた。一人で勉強を続けているとはいえ、政務代行を務められるのか不安になる。


 答えに窮していると、ミシェル様が優しく私の二の腕を撫でた。


「セザリオ様ならできますよ」


 確信に満ちた言葉が、記憶の中の母上と重なる。母上はいつも「ヴァイオラならできるわ」と言って下さった。


「ご安心ください。ミシェルも執務室にご一緒します!」


 ミシェル様が両手で力強く、私の手を包み込んでくれる。心が陽だまりに抱きしめられたように、ぽっとあたたかくなった。兄上が目覚めるまでのわずかな時間、少しでも長くミシェル様と過ごしたい。


 だが、宰相の非難がましい声が響いた。


「ミシェル妃殿下にはここでお待ちいただきたい。嫁いでこられたばかりで帝国の(まつりごと)に関わるのは早急です」


 スーデリア王国が最近まで帝国と戦火を交えていたことを考えれば、宰相が慎重になるのも無理はない。


 だがミシェル様はうつむいてしまった。私がミシェル様をないがしろにしては、彼女はいつまで経っても人質姫のままだ。二国間の関係より、体を張って私をユーグから守ってくれたミシェル様個人を信じたい!


「宰相、ミシェルは帝国が正式に迎えた皇太子妃で、スーデリアとの和平の象徴だ」


 私は静かに語った。気難しい皺を刻んだ瞼の下、意外とつぶらな宰相の瞳を見つめ、口調をやわらげて付け加える。


「我々がミシェルを信用することで、彼女もまた、帝国に尽くしてくれる妃となるだろう。いつまでも疑っていては、彼女が帝国に忠誠心を持つことはない」


 宰相は驚愕に目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。


「承知しました。妃殿下が政務に直接関与せず、殿下の補佐をされるのなら構いません。セザリオ殿下は妃を(めと)られて、別人のように変わられましたな」


 そりゃ別人ですから。


 侍従長はあさってのほうへ視線をそらしたまま、ダラダラと冷や汗をかいていた。


 


 大きな執務机を埋め尽くす書類の山を順に指差しながら、宰相は滔々と説明した。


「こちらの書類は帝都の様々なギルドや、地方領主、教会などから届いた陳情書です。すでに私や宮廷長官、関係する大臣らが対処しております。隣の山は文官の作ったお触れ書きです。どちらも皇帝陛下のご署名さえいただければよい状態に整えられております。あちらの手紙類は宮廷長官が代筆済みです。陛下の印章指輪で封蠟を押していただきたい」


 最後に一番小さな山の上に手のひらを乗せた。


「セザリオ殿下のご判断が必要な書類はこちらにまとめております」


「朝食も召し上がらずにお仕事だなんて」


 愛らしく頬をふくらませたミシェル様が、侍女から受け取ったトレーを執務机まで持ってきた。カップの中でとろりと波打つホットチョコレートから甘い香りが漂う。


「この酒瓶、邪魔ですね」


 ミシェル様は皇帝御用達の蒸留酒をシェルフへと移動し、執務机にトレーを乗せた。


「それでは陳情書から取りかかろう」


 私はひとつめの山から書類を一枚手に取った。


「ではこの欄に代行者として、セザリオ殿下のサインをお願いします」


 書類の下部を指さした宰相の言葉に、私と侍従長は固まった。偽物の私に皇太子のサインなんて書けるわけない!

政務代行開始一秒後にピンチ到来! どうするヴァイオラ!?

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