07、婚約者ユーグとご対面
「セザリオ様がいらっしゃれば一発で解決でしょう! ミシェルも妃としてお供いたします!」
突然の提案に私とニーナが言葉を失う中、メイはコクコクとうなずいている。
「皇太子殿下が自ら事情を説明にいらっしゃれば、ジョルダーノ卿もご満足でしょうねえ」
「確かに辺境伯の顔は立てられますが」
小姓姿のニーナは、答えを求めるように私を見る。
私だって婚約者となるユーグ様や、義父母となるジョルダーノ卿夫妻に会ってみたい。ジョルダーノ領から平和を発信して父を変えるという夢が実現可能かどうか、この目で見て確かめたい。近い将来、辺境伯夫人のもとで屋敷運営を学んだり、ユーグ様と視察に出かけたり、時にはジョルダーノ卿に領地経営を教わったりするのだろうから。
「皇太子がお忍びで訪れるというのも悪くないか」
私は腕を組んで考える。
社交の場に現れないユーグ様が、私の男装を見破る可能性は低い。
ジョルダーノ辺境伯は兄と面識があるはずだが、婚礼の儀に参列した貴族たちに露見しなかったのだから、心配しすぎる必要はないのかも。
「名案かもしれないな」
膝の上に置いた手紙に視線を落とし、侍従長の言葉を思い出す。手紙を持参した使者は、転移陣を使って帝都を訪れたと言っていた。通常、帝国内外の要人や使者は、城壁外に建つ転移塔にやってくる。宮殿地下にも転移の間が設けられているが、皇族専用だ。
「ニーノ、使者はまだ転移塔にいるだろうか?」
「いえ、おそらく宮殿内の応接間で休んでもらっているでしょう。午前中の転移塔は混みますから」
帝都に用がある地方貴族や外交使節が皆、午前中に訪れるためだろう。
「では応接間へ行って、皇太子セザリオは辺境伯領を訪問し、婚礼延期の子細を語る用意があると伝えてほしい」
「辺境伯領へは本日伺う予定ですか?」
ニーナの問いに驚いて、私は首を振った。
「いくらなんでも急すぎるだろう。ジョルダーノ卿の返答をもらってからでなければ失礼だ」
「ですがセザリオ様」
ニーナは声をひそめた。
「明日も同じ立場でいられるかどうか――」
そう、いつ兄が目覚めるか分からないのだ。
「行くなら今しかないか」
意を決して立ち上がった私の膝から手紙がすべり落ちた。
「皇太子殿下の外遊ならば妃も同行いたします!」
ミシェル様もソファから腰を上げ、私の腕を抱きしめる。想像以上に強い力で引き寄せられて、たたらを踏んだら、
「セザリオ様ったら危ない」
ミシェル様は甘くささやいて抱きとめてくれた。
やっぱりミシェル様、女性とは思えないほど怪力よね!?
使者はニーナの予想通り、宮殿内の応接間で暖炉にあたっていた。皇太子が今すぐジョルダーノ卿を訪問したいと伝えると驚かれたようだが、ニーナは、皇太子は非常に多忙であるという理由で押し切ったそうだ。
皇太子の封蠟が押された手紙を持たせることで、使者には転移塔での順番を繰り上げてもらい、一足先に辺境伯領へ戻っていただいた。彼からジョルダーノ卿へ事情を伝えてもらったあとで、私たち四人は宮殿地下から辺境伯邸へ転移した。
魔法陣の光が消えると同時に、足元が見慣れない大理石の床に変わる。ほの暗い転移室の中、ジョルダーノ辺境伯領の魔術師たちに迎えられた。
「まさか本当に皇太子殿下が自らお越しになるとは!」
皇太子が直々に状況説明に訪れるなど前代未聞なのだろう。
魔術師たちのうしろから、執事らしき壮年の男性が進み出て、ひざまずいた。
「セザリオ殿下、ようこそジョルダーノ領へ」
私たちは彼に案内されて、ジョルダーノ辺境伯の待つ応接間へ向かった。
辺境伯はどっしりとした体格に似合わず、非常に焦っていた。
「皇太子殿下がお越しくださるとは、なんとお礼を申し上げればよいか。決して殿下をお呼びたてしようと手紙を書いたわけではなく――。何の準備もございませんで、恐れ入ります」
額に汗を浮かべて早口でまくし立てる辺境伯に、私は笑みを浮かべて首を振った。
「突然の事故により婚礼の儀が延期となり、ジョルダーノ卿には迷惑をかけてしまった。せめて誠意を示したかっただけですから、もてなしは不要です」
「殿下はお忍びの訪問ですから」
小姓姿のニーナも付け加えたが、辺境伯は両手のひらを向けて制止した。
「いやいや、そうは行きますまい。せめてお食事だけでも召し上がっていってください」
廊下からは、小走りで行き交う使用人たちの足音が聞こえる。急遽、昼餐会の準備を整えているようだ。
「わしは使用人たちをせかして参りますゆえ、お食事の支度をお待ちいただく間、皆様方には息子の案内で屋敷の中をご覧いただきましょう」
「いや、ジョルダーノ卿。それでは重ねてご迷惑をおかけしてしまう――」
止めようとしたが、卿は慌ただしく、金縁が華やかな白い扉から出て行ってしまった。行き違いに応接間へ入って来たのは、青白い顔をした、痩せぎすの青年だった。くすんだブロンドに、ガラス玉のように色素の薄い水色の瞳には、どことなく見覚えがある。
嫌な予感がするわ。この方、まさか肖像画の――
「お初にお目にかかります、皇太子殿下。ジョルダーノ辺境伯の息子、ユーグと申します」
やっぱりぃぃ!
深く礼をして伏し目がちに名乗る姿は、どこか自信がなさそうだ。
「よろしく頼む、ユーグ」
皇太子然とした演技で応じると、頭を上げたユーグが切れ長の目で私を見た。途端に不健康そうな頬が薔薇色に染まった。
なになに? どういう反応? まさか女性だとバレたの!?
口元にニタァと笑みを浮かべたユーグは、白っぽい舌で乾燥した唇を舐めた。
私は思わず後ずさり、ミシェル様を守るように抱き寄せる。
「紹介しよう。わが妃、ミシェルだ」
ミシェル様が優雅にカーテシーをして自己紹介するが、ユーグは興味なさそうに一瞥しただけだった。失礼な態度に私が苦言を呈する前に、
「セバスチャン」
ユーグが執事を呼んだ。
「妃殿下とお付きの方々に庭園を案内して差し上げろ」
「待て」
私は割って入った。
「妻には邸内を見せてもらえないのかな?」
「お言葉ですが、殿下。辺境伯領では隣国との戦に備え、武器庫も充実させております。女性には刺激が強すぎる上、わが領の防衛に関わる機密事項となっておりますゆえ、奥方様やお付きの方々にはご遠慮願いたい」
こうべを垂れたまま滔々と述べる。どうやらこの男、頭は悪くないようだ。
「分かった」
私は苦い声で応じるしかなかった。ミシェル様の故国スーデリアが、つい最近まで帝国と敵対していた事実を、ユーグも当然知っているだろう。
「セザリオ様――」
ミシェル様は応接間の出口で辺境伯邸の使用人に促されながら、私を気遣うように振り返った。
私は彼女を安心させるように、うなずいて見せる。
「それではセザリオ殿下」
「ひっ」
ユーグの汗ばんだ冷たい手に右手を取られて、私は思わずのけぞった。
私の手を引いて応接間を出ようとしたユーグとすれ違いざま、執事が彼の耳元でささやいた。
「坊ちゃま、くれぐれも失礼のないように。変な癖を出してはいけませんぞ」
変な癖ってなに!?