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06、ジョルダーノ辺境伯からの手紙

 婚礼の儀から一夜明けて、私は昨夜の不可解な思いに答えを出した。


「久しぶりにニーナ以外の人とちゃんと会話したから、胸が高鳴ったのだわ」


 女性であるミシェル様に、私が特別な感情を抱くはずはないのだから。


「私の家族になるのはユーグ様」


 声に出して自分に言い聞かせたとき、


「え? あっ」


 ニーナの挙動不審な声が聞こえた。


 ベッドに座ったまま慌てて振り返る。天蓋を支える柱のうしろに、小姓姿のニーナが見えた。


「お目覚めでしたか。セザリオ様」


 従者が主人を起こしに来るのは普通のことだ。しかし独り言を聞かれてしまったのは気まずい。


 クローゼットから服を持ってきたニーナが、私の耳元でささやいた。


「セザリオ様、あまり肖像画から期待されませぬよう」


 辺境伯から贈られたユーグの肖像画は、色の白い繊細な美青年だった。


 とはいえ肖像画家の仕事は、王侯貴族を美化して描くこと。本人と共通しているのは目と髪の色だけなんてこともある。


 コバルトグリーンのジュストコールに袖を通しながら、私は鏡越しにニーナを見つめた。


「ニーナ――ニーノはユーグ様の良くない噂でも聞いているの?」


 侍女仲間から孤立しているとはいえ、ニーナは料理人や洗濯婦たちと顔を合わせている。使用人たちの中には日々の仕事に退屈して、雇い主や貴族連中の噂話に通じている者も多い。


 一方で社交界に顔を出せない私は、貴族名鑑で名前を覚えるだけで、世間の噂には疎い。


 しかしニーナは問いに答える代わりに、私をせかした。


「セザリオ様、皇太子夫妻の寝室へ移動しませんと、朝食を運ぶ者に怪しまれます」


 初夜を共に過ごさなかったことが使用人たちに知れては、それこそ恰好のネタにされてしまう。朝の支度を終えた私は、夫妻の()へ至る内扉を叩いた。


「入ってもよいか、ミシェル」


 朝は低い声を出しやすいこともあり、我ながら皇太子らしい演技だと褒めてあげたい。


「セザリオ様、どうぞお入りになって」


 中から華やかな高い声が返ってきた。精緻な彫刻の施された扉をひらくと、ソファに座ったミシェル様がティーカップを傾けていた。昨晩とは違ってやわらかい笑顔で私を迎えてくれる。


「ああセザリオ様、今日も美しい」


 私の姿をみとめた途端、ミシェル様から感嘆の溜め息が漏れた。


「えっ、ありがとう」


 私はうろたえた。妻が夫に美しいと声をかけるもの? いや、ここは私から彼女を褒めるべきだ!


「あのっ、ミシェルもその桜色のドレス、可憐な君によく似合っていて素敵だよ。まるで春の野に咲き乱れる花々のようだ」


 首元にあしらったレースチョーカーにも、ふんわりとしたドレスにも、花々をかたどった繊細な刺繡が施されている。淡いピンクが彼女によく似合い、妖精のような愛らしさだ。


「ふふっ、一生懸命褒めて下さるセザリオ様ったら可愛い」


 なぜかミシェル様は笑いをこらえている。


 父と兄以外の貴族男性とほとんど会話したことのない私には、殿方が令嬢をどんな風に褒めるのか見当もつかない。会話から男装がバレるのではとひやひやしていたら、扉が叩かれて侍従長が姿を現した。


 おぼれかけた池で縄を投げてもらったような気分で、私はすぐに廊下へ逃げた。


「兄が目覚めたのですか?」


 扉を閉めてから小声で尋ねる。侍従長は唇を真一文字に引き結んだまま首を振った。


 不安だらけの男装生活がまだ続くというのに、心の奥底でパッと花が開くように喜びが躍った。我ながら自分の心が分からず口をつぐんでいると、眉を曇らせた侍従長が低い声で告げた。


「皇帝陛下が心労から深酒をなさり、お目覚めになりません」


 なんということ。これ以上、父の心に負担をかけないよう、男装して結婚式に挑んだ私の努力はなんだったのよ。


「政務に滞りは?」


「宰相殿や宮廷長官殿が代行しております。ですが、皇帝の承認が必要な案件については、陛下の回復を待つことになるでしょう」


 侍従長はジュストコールの内ポケットから手紙を取り出した。


「貴女様に関係のあるお手紙です。今朝、ジョルダーノ辺境伯の使者が転移陣を使って帝都を訪れ、持参いたしました」


「辺境伯の――」


 封蝋を外そうと、受け取った手紙の折り目に指を差し込んだとき、室内から男性の話し声が聞こえた気がした。


 誰!?


「ありがとう。あとで読むわ」


 私は手紙をポケットにしまい、急いで扉を開けた。


 素早く室内を見回す。


 ソファにはミシェル様が腰かけ、かたわらにニーナとメイが立っているだけ。聞き間違いだったようだ。


「セザリオ様、どうかされましたか?」


 ニーナに問われた私は取り繕うように、ポケットから手紙を出した。


「いや、なに。ジョルダーノ辺境伯領から手紙が届いてね。きっとユーグ殿とヴァイオラの婚礼の儀を延期した件だろう」


「ユーグ様というとぉ」


 ニーナの隣に立っているメイが糸目で天井をにらんだ。


「女嫌いで有名な――」


 間の抜けた裏声を出したメイの口を、ニーナが慌ててふさぐ。


「あっ、ユーグ様はお体が弱く、あまり社交の場にお姿を見せないのです!」


 どうやらニーナもユーグ様に関する悪い噂を知っていたようだ。だが優しい彼女は私に隠していたのだろう。辺境伯領へ厄介払いされる皇女が、さらに落ち込まないように。


「そのせいで女嫌いなどという噂が広まっているようです!」


 ニーナの弁明に、私は鷹揚にうなずいた。噂について議論しても真偽のほどは分からない。女好きと言われる殿方に嫁ぐよりはマシだとも言える。


「婚礼が延期されたといっても――」


 不安そうな声はミシェル様のものだった。


「いずれヴァイオラ様は辺境伯領へ嫁がれてしまう?」


 なぜか落ち込んでいるミシェル様のうしろでメイが腰を曲げた。ソファに座っている主人の耳元でささやく。


「実際にお会いすれば、お気持ちも冷めるはずですよ。ユーグ殿が噂通りの方ならば」


 誰の気持ちが冷める話をしているのか、よく分からない。私はミシェル様から少し距離をとってソファに座り、ジョルダーノ辺境伯からの手紙を読み始めた。


 手紙は皇女の体調を気遣う言葉で始まっていた。しかし、その内容が本題ではないことは明らかだ。婚礼の直前になって、宮廷長官が代筆した手紙一通で突然の延期を告げられたことに対し、強く遺憾の意を示している。


「法衣貴族が直接説明に訪れる必要がありそうだな」


 私のひとりごとに、ミシェル様がポンと手を打った。


「セザリオ様がいらっしゃれば一発で解決でしょう! ミシェルも妃としてお供いたします!」

次回、婚約者ユーグに会います。どんな人物なのか?

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