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44、兄セザリオの末路

 指先で封蝋を外して手紙を開き、ミシェルやニーナたちにも見えるようにローテーブルの上に広げた。


 一行目は、あり得ない文章で始まっていた。


『不肖の妹ヴァイオラよ、知略と美貌に恵まれた兄セザリオを懐かしんでいるのではないか?』


「なんですか、これ!?」


 ニーナがすぐに抗議の声を上げた。


「皇帝に即位したヴァイオラ様に対する礼儀がまるでなってない!」


 怒るニーナをなだめるつもりなのか、メイが彼女の腰を抱き寄せ、からかうように裏声を出した。


「セザリオ様はお馬鹿さんだったのですねえ」


 私とミシェルは苦笑しつつ、続く文面に視線を走らせた。


『婚儀を控えていると聞いて、やむを得ず祝福の手紙を書いてやることにした。

 帝国は初の女帝が誕生し、先進的な国家へと生まれ変わったつもりでいるようだが、甘いと言わざるを得ない。

 聞いて驚け。わがジョルダーノ領は法典を改正し、来年から同性婚を認めることとなった! 栄えある第一号は――この俺様と、いとしのユーグ様だ!』


「セザリオ様がユーグ様と!?」


 ニーナが口元を押さえて瞠目しているが、私はたいして驚かなかった。兄は若くて魅力的な侍女にも等しく冷たい男で、女性にまるで興味を示さなかったから。


『我らは共に法典を読み込み、法案を練り、夜を徹して語り合い――

 ……まあ、語り合った内容の三割くらいは詩的な罵倒と床のきしみ音だったが、細かいことは気にするな』


 ん? なぜ床がきしむのかしら? 兄の忠告通り、気にしないことにしましょう!


 そのあとの行にはめずらしく、感謝の言葉が書かれていた。


『お前には礼を言わねばならない。俺様はユーグ様と結ばれて初めて、自分が何を求めていたかを悟ったのだ。

 これまで俺様の人生はいくら狩りをしようと、馬や家畜をいじめようと、戦を仕掛けようと、罪人を拷問しようと満たされることはなかった』


 いつも苛立っていた兄を思えば、彼が皇太子の地位にありながら不満を抱え続けていたことは明白だ。


『だがユーグ様はそんな俺様に新しい世界を開いてくれた。

 最初ユーグ様は、俺様に自分を(しいた)げるよう頼んだ。だが彼曰く、俺の攻めには芸がないらしい。特に言葉が詩的でないのがいけないという。そこで彼が一度だけ手本を見せてくれた。

 その日、全てが変わった。

 パズルの最後のピースがはまったように、俺様とユーグ様は自分たちが求めていたものを知ったのだ』


「え、どういうことですか?」


 ニーナだけが眉をひそめている。とてもじゃないけど、私の口から解説したくないわ。


 続きを読んでもらうべく無言のまま手紙をめくり、ローテーブルに二枚目を広げた。


『俺様は毎晩、かつて経験したことのない悦楽の海へ浸っている。

 ドミナントゥス帝国の皇子として生まれた俺様が、情けなくも女の姿に身をやつし、恥をさらしているのだ』


「情けなくも女の姿に身をやつし、だって!?」


 突然、ミシェルがソファから立ち上がった。


「女性は大変美しいし、女性のドレスも素晴らしい芸術品だよ! 情けなくないし、身もやつしていない!」


 どうやらミシェルは誇りを持って女装していたらしい。主張は分かるが、私だって「男の姿に身をやつし」って表現、使えると思うのよね。


 ミシェルが落ち着くのを待っていたら、先に次の文面を読んでいたニーナが悲鳴を上げた。


「調教ってなんですか!?」


 両手で自分の肩をかかえるニーナをメイが楽しそうに抱き寄せ、彼女の瞼を大きな手のひらで覆った。


「セザリオ様は自分がして欲しいことを他人にしていた、心優しい方ということになりますねえ」


 おどけたメイの口調に手紙の続きが気になって、私は再び兄の筆跡を目で追った。


『今の俺様は、かつてのような暴れ馬ではない。ユーグ様の愛によって、毎晩、調教されているのだから。ユーグ様は、俺様の中にある混沌すら愛してくれる』


 侍従長の息子の頬に刻まれたみみず腫れを思い出して、私はため息をついた。鞭うたれたいのは兄自身だったのだ。


 欲望を心の奥底に封じ込めていたなら、鬱屈した感情を抱え続けていたのも納得だ。


 本当の望みに蓋をした理由は分からないが、兄なりに皇太子の立場に責任を感じていたのだろうか。それとも身の回りに一切、そうした知識を与えてくれる人も物も存在しなかったからか。


『夜ごと交わす語らいのなかで、俺様は自分の中にあった欲望と、怖れと、渇望と向き合うようになった。

 どんなに醜く見えるものも受け入れられたとき、人は変われるのだと知ったのだ。

 ユーグ様の秘密の部屋には、心躍る特別な道具がたくさんあるんだぞ! 想像を絶する夢の楽園だ!』


「ああ、あれか」


 遠い目をするミシェルに、私も疲れた声を出す。


「想像を絶する地獄だと思っていたけれど、兄にとっては楽園だったのね」


「お似合いですねえ」


 肝が据わっているのか、元来そういう顔なのか、メイは目を細めて笑っている。


「セザリオも幸せになってよかったじゃないか」


 兄を嫌っているはずなのに、優しいミシェルは寛大な笑みを浮かべていた。


「そうね。兄はようやく、自分が何者か分かったのだと思うわ」


 周囲の期待に応えて違う自分を演じ続ける欲求不満を、兄は暴力で発散してきたのだろう。だがユーグのおかげで本当の欲望に気付けた。普通でない欲求を認められたのは、ユーグが兄を愛してくれたからに違いない。人と違う形であったとしても。


「きっと兄はもう、他人を傷つけずに生きられると思うわ」


 辺境伯領では使用人に手をあげることはないだろうし、ましてや周辺諸国に戦を吹っ掛けることもしないだろう。


 目を細めて私たちの話を聞いていたメイが、


「自分を受け入れることは、他者を受け入れることにつながりますからねえ。そして平和な世界は、自分と違う人々を受け入れることから始まりますよねぇ」


 なんだかうまいことを言って、まとめてしまった。

次回、最終話です!

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