43、戴冠式と、二度目の婚礼の儀
政変の翌日、帝国内外に「ヴァイオラ一世、ここに即位す」と宣言され、正式に私の政務が始まった。兄のふりでもなければ、父の代行でもない。
まずは宮廷魔法医のうちファルマーチ派だった者を、帝立アルメール治療院専属とした。解雇して在野の魔法医とするより、見張りとして騎士団を送り込める治療院で働かせた方が、目が行き届いて安全だからだ。
次に、皇帝派や皇太子派が残っていないか、宮廷内部の洗い出しをおこなった。
その後、宮廷長官が主導する戴冠式の準備に取り掛かった。
一か月後、私は大聖堂の祭壇前で、静かに膝をついていた。ドレス越しに感じる石造りの床が、ひんやりと冷たい。
ミシェルと偽りの結婚式を挙げたのが、遠い昔のことのようだ。私は今、同じ場所で、皇帝の冠を受けようとしている。
ゆっくりと歩み寄る大神官の手には、様々な宝石で彩られた純金の冠が乗っていた。それぞれの宝石に、守護の力が宿ると言い伝えられている。
「天よ、証となられよ」
厳かな大神官の声が、天井画に描かれた青空へとのぼってゆく。
「この者、ヴァイオラ・ユスティティエ・ダ・ドミナントゥスは、帝国を導く新たな皇帝なり。汝、その責を負う覚悟はあるか?」
「はい」
私の声が力強く大聖堂に響き渡った。神に誓うと同時に自分自身と約束しよう。
父も初めから暴君だったわけではない。かつては善政を敷いていた。歯車が狂い始めたのは、皇后が世を去ってから。たった三年で、帝国は変わり果ててしまった。
これからの長い人生、何が起こるか分からない。それでも帝国と周辺国の平和に責任を持ち続けるのだ。
大神官は私の髪に、そっと冠を載せた。
次の瞬間、
「ドミナントゥス帝国、ここに女帝を戴く!」
宰相が高らかに宣言した。
椅子に座っていた参列者たちが一斉にひざまずき、首を垂れる。
私は立ち上がり、堂内を見渡した。
最前列には髪色と同じ、桜色のドレスに身を包んだミシェルが、純粋無垢な修道女のようにひざまずいている。うしろの列にはスーデリア国王夫妻と、ミシェルの弟――もとい、スーデリア王国第二王女の姿も見える。さらに後方では、ミシェルの伯父であるブリューム領主も礼の姿勢を取っていた。
一か月前の婚礼で感じたような、ピリピリとした緊張感はない。大聖堂本来のおだやかな空気の中で、人々は平和を祈っている。
王冠の重みを額に感じながら、私は決意と共に深く息を吸った。
新たな時代が、幕を開ける――
戴冠式から数日後、スーデリア王国が重要な声明を出した。王女二人が、実は王子だったと明かしたのだ。
帝国の民が南の小国の発表に混乱することはなかった。
それからさらに五か月の時が流れ、再び大聖堂で、ドミナントゥス女帝ヴァイオラとスーデリア第一王子ミシェルの婚礼の儀が執り行われた。
鐘の音が高らかに響き渡る。重厚な大聖堂の扉が開かれると、陽光が堂内に差し込み、大理石の床の上を舞い踊った。参列者の視線が一斉に、扉の前に立つ私へと向かう。
半年前、兄として偽りの婚礼を挙げた私は、母上の遺した思いを背負うあまり、父に従うことしかできなかった。父が過ちを犯していると知りながら、過去に縛られ、帝国の明日を担う覚悟など持っていなかった。
だが今日、私はドミナントゥス帝国を背負う女帝ヴァイオラ一世として、ここに立っている。
長い裾をニーナに持ってもらいながら、私は堂々と歩を進めた。参列者の誰もが祝福に顔をほころばせ、壁際に並んだ聖人像の視線まで、あたたかく感じる。
天井画に描かれたフレスコ画の天使たちは、希望あふれる未来へと、矢をつがえた弓を引きしぼっている。
ミシェルは祭壇前で私を待っていた。美しい海色の瞳に喜びが踊る。
「ようやく本当のあなたに、愛の誓いを立てられるよ」
男装に戻った彼は優雅な貴公子だった。深紅のローブに純白の刺繍が施された、スーデリア王国の正装がよく似合っている。美しすぎて、男にしておくのが勿体ない!
「私もついに男の子のミシェルと結婚できるわ」
祭壇の向こうに立つ大神官が吹き出しそうになる。慌てて咳払いをしてから、聖なる言葉を読み上げた。
「ミシェル・スーデリア、汝はこの誓いを受け入れるか?」
「はい。私は皇配としてヴァイオラ陛下を支え、愛する彼女と共に、民のために歩むことを誓います」
彼の優しい声が、清涼な空気を甘く満たしてゆく。私は背筋を伸ばし、堂々と宣言した。
「私ヴァイオラ・ユスティティエ・ダ・ドミナントゥスは皇帝として、また愛に生きる一人の人間として、ミシェルと手を取り合い、民の幸福に資することを誓います」
ステンドグラス越しに一筋の陽光が差し込み、色とりどりの宝石のように私たちを彩った。
「誓いは成された」
大神官が宣言すると、大聖堂は拍手で満たされた。今度こそ、私は自分の意思で婚礼の誓いを交わしたのだ。
私とミシェルは喜びの視線を絡ませ、手をつないだ。伝わるぬくもりは、確かなものだった。
儀式を終えた私たちは宮殿に戻った。夕方、宮殿前広場に面したバルコニーから、城下の人々に姿を披露することになっている。
軽食を運んできたニーナが隣のメイに話しかけた。
「スーデリア王国内は今も騒ぎが収まらないんですって?」
「王女様二人が王子殿下だったと発表されてはね」
苦笑を浮かべたメイの言葉を、婚礼衣装に身を包んだままのミシェルが引き継いだ。
「ルネのもとには連日、国内外の令嬢たちから、わんさか釣書が届いてるってさ。手紙でぼやいていたよ」
人ごとのように、ソファの上で長い足を組みかえた。
「あ、手紙といえば!」
ニーナが慌ててエプロンのポケットから、封書を取り出した。
「ジョルダーノ辺境伯領のセザリオ様から、ヴァイオラ陛下宛てに届いたものです」
「兄から?」
私は不安にざわつく胸を押さえて手紙を受け取った。この半年間、兄は不気味なほど沈黙を保っていた。
兄の手紙の内容は!?




