41、暴君と悪徳魔法医の末路
朦朧としたまま宙をさまよっていた父の視線が、私の上で焦点を結んだ。
「セレーナ?」
彼が紡いだのは母上の名だった。頼りなくかすれた父の声に、涙がこみ上げる。母のドレスを着た私を、父は若き日の皇后と勘違いしているのだ――
もし母上が生きていたら全ては違っただろう。帝国の平和は保たれ、皇帝も皇太子も、皇后に諫められながら善政を敷いていたはずだ。スーデリア王国やブリューム自治領に攻め込むこともなかっただろう。
私たちドミナントゥス皇家は、結びつきの強い家族のままだったはずだ。過去の残像がのしかかり、私の心をむしばんでゆく。
ファルマーチがなおも懇願した。
「陛下、お気を確かに! 反乱の首謀者である皇女とその夫を、刑に処すご命令をお出しくだされ!」
確かに私は今、自らの手で家族を壊そうとしているのだ。
ああ、もし本当に、母上に特効薬が効かなかったのも、双子の呪いのせいだとしたら? 私の存在が消えた方が、この国のためなの?
ミシェルと二人で死ねるなら、処刑台に送られる運命も受け入れられるかも知れない。
絶望に身をゆだねかけたとき、
「ヴァイオラ《《陛下》》!」
ミシェルが突然、叫んだ。
「わが愛しの妻! 帝国の輝かしき未来であり、希望である女帝よ!」
彼の言葉が私を現実に引き戻した。父が帝位についている限り、今後も帝国の内外で血が流れ続け、尊い命が失われていくのだ。それは事実。不確実な双子の呪いとは違う、すでに起きている悲劇だ。
私は思い出した。父から玉座を奪うのは、自分のためではないことを。帝国の騎士や兵士たちの命を守り、帝国内の自治領や小国、そして周辺諸国に平和をもたらすためなのだと。
「女帝ヴァイオラ様こそ、私たちを明るい未来に連れて行ってくださる方です!」
ニーナが震える声を上げた。
続いてドラーギ将軍がこぶしを天井に突き上げる。
「ヴァイオラ陛下が治めるドミナントゥス帝国に幸あれ!」
将軍の声がとどろくと、宰相が、騎士団長が、この場にいる皆が「ドミナントゥスに幸あれ!」と繰り返した。
私の目を曇らせていた過去の残像は、強い陽射しに照らし出された朝霧のごとく、かき消えた。
思い出は甘い幸せをくれるけれど、未来を作り出すことはできない。理想の明日を手にするには、今の私が行動する以外にないのだ。
皆の声援から力を得た私は、魔法医ファルマーチを叱責した。
「つまらぬ迷信を申すな! 私は皇女。多くの民の命を奪った罪びとの分際で無礼であるぞ!」
ファルマーチの肩がびくっと震える。
人が何者かを決めるのは、その人自身だ。私が自分を呪われた双子の妹だと思えば、今後も人目を避け、日陰で生きていくことになるだろう。
だが、私は女帝として生きる覚悟を決めた。責任ある生き方を選んだ私は、人々の命を背負う人生を歩むことになった。私が誰なのか知っているのは、私だけなのだから。
「よく聞け、筆頭魔法医よ」
私は表情ひとつ変えず、たった今思いついた作り話を披露した。
「お前が騎士団詰め所で取り調べを受けている間、私たちはもう一度地下牢にあるお前の実験室へ行った。残っていた魔法薬と被験者たちを連れて、魔道長官の研究室を訪ねたのだ」
「ま、まさか――」
「本当だ」
有無を言わさずに答える。
「お前の取り調べ中、我々が茶でも飲んでいたと思ったか?」
魔法医は黙り込んだ。詰め所で尋問されていたこの男に、私たちが西の塔へ行っていた事実など知りようがない。
「魔道長官が調べた結果、魔法薬の成分と、被験者が投与された成分が一致すると結論が出た」
それから私は、騎士団長が手にしたままの小瓶に目をやった。先ほどファルマーチが父に飲ませようとした魔法薬だ。
「あれは天才ファルマーチ謹製ポーションだと言ったな?」
「ひぃっ」
ファルマーチが情けない声を上げるが、私は構わず続けた。
「まだ三分の一ほど残っている。宮廷魔道士たちに成分を調べてもらおう。お前が自ら作ったと証言した不老不死の魔法薬と、被験者たちに投与された成分が同定されれば、誰が実験記録を書いたかなど些事でしかない」
ドラーギ将軍に片腕を掴まれたまま、ファルマーチはがっくりと膝をついた。
私は騎士団長に命じる。
「この男を捕らえよ! わが民の命を無為に奪った罪により死刑とせよ!」
「どうかお許しを、皇女殿下! 命だけは!」
予想通り、ファルマーチは涙ながらに命乞いを始めた。
「診断書でもなんでも、お望み通り書かせていただきますから!」
宮廷長官がすぐに羽根ペンを差し出す。ファルマーチは震える手で受け取り、皇帝の政務能力が失われたことを証明する書類を作成した。
筆頭魔法医の署名が入った書類に目を通し、宮廷長官と共に内容をあらためる。宮廷長官がうなずいたのを確認してから、私は静かに告げた。
「では、お前の命まではとらぬ。だが呪疱熱の特効薬に関する特許は臣民のため、帝国が管理する」
それから騎士団長に命じた。
「父には治療が必要だ。都のはずれにあるアルメール治療院へお連れし、特別室へ収容して差し上げろ」
うなずいた騎士団長は即、部下たちに号令を出す。
「皇帝陛下を治療院へ!」
騎士たちが無駄のない動きで父を囲んだ。わずかしか魔法薬を口にしなかった皇帝は、いまや再び眠りに落ちている。騎士たちは皇帝の両脇を支え、数人がかりで抱え上げた。
私は続いて、宮廷長官と侍従長に指示した。
「宮廷長官には、皇帝が治療院で快適に過ごせるよう、私物の管理を任せたい。侍従長は療養に必要な準備を整えて欲しい」
「かしこまりました」
「仰せのままに」
二人ともすぐ仕事に取り掛かる。
父が運ばれていくのを見届けてから、私は魔法医に命令を下した。
「魔法医ファルマーチよ、宮廷筆頭魔法医の職を解き、新たに帝立アルメール治療院専属の魔法医に任ずる。今後一生、治療院で働きなさい」
ドラーギ将軍と残った騎士たちが、抵抗の意思を失ったファルマーチを連れ出す。
「宰相には兄の廃太子と父の皇帝退位、そして私の即位を宣言する書類を用意してもらいたい」
「もちろんでございます。すでに作成し、国璽を押印すればよい状態まで整えてございますので、すぐにお持ちします」
宰相が出てゆくと、執務室に残っているのは私とミシェル、それからニーナだけになった。
ミシェルは侍従の一人が置いていったランプの火を、壁掛け燭台に移しながら、笑顔で振り返った。
「ヴァイオラ、ついにやったね」
私が返事をする前にニーナが答えた。
「ヴァイオラ様もここに加わるのですね!」
執務室の壁に並んだ歴代皇帝の肖像画の前で両手を広げて一回転し、父の絵の前で止まった。
静かにうなずいた私のところへ、部屋を明るくしたミシェルが飛んでくる。
「なんだか元気がないね?」
ふわりと抱きしめてくれた。
「まさか双子は不吉だとかいう迷信を信じているわけではないだろう?」
「そうね。でも特効薬が効かないなんてことがあるのかしら?」
私の疑問に、火の消えた暖炉の中から、
「ありますよ」
と返事が聞こえた。
「キャーッ!」
ニーナが悲鳴を上げて私にすがりつく。ミシェルは私たちを守るように立ちふさがった。彼のうしろから恐る恐る火の消えた暖炉をのぞくと、奥の煉瓦壁が動くのが見えた。
暖炉の中から出てきたのは?
次回、特効薬が皇后に効かなかった理由が判明!




