40、皇太子の落馬事故に隠された真実
「あらゆる病も怪我もたちどころに治してしまう、天才ファルマーチ謹製ポーションじゃ。老いも病と考えれば、不老不死も夢ではないのですじゃ。問題は適正な投与量と投与期間でしてな」
ファルマーチが突然、目を輝かせて早口でまくしたてる。
「投与量が多すぎると錯乱してしまう。しかし少量を長期間に渡って投与しても、幻覚や幻聴などの症状が現れ、食事より魔法薬を欲しがる依存状態になるのですじゃ」
「適正な投与量を調べるために、あなたは貧民街から浮浪者を誘拐させ、人体実験に使っていたのですか?」
暗い執務室に、私の声が冷たく響いた。
「ククク、皇女様。わしの実験は、皇帝陛下から魔法薬開発の命令を受けたゆえのものですじゃ。わしが罪に問われるなら、ブリューム前線で敵兵の命を奪った騎士たちも牢屋送りですじゃの?」
ファルマーチは屁理屈を並べ立てた。魔法医が詭弁を弄するなら、私も巧みに弁舌を振るうまで。
「ブリューム侵攻は確かに皇帝の勅命によるものです。ブリューム領主には宣戦布告書が送られ、騎士団長あてに開戦勅令が出されました。では、不老不死の魔法薬研究を命じる公文書は存在しますか?」
侍従長は、皇帝が筆頭魔法医に雑談がてら、不老不死の魔法薬について問うただけだと話していた。
案の定、魔法医は歯噛みする。その場にいる誰もが、彼が落ちたことを確信した。
しかしファルマーチは再び沈黙からよみがえった。
「そもそもですじゃ! ミシェルとやらが実験室から持ち出したあの記録を、わしが書いたという証拠はあるのですかな!?」
なんと、不老不死薬の人体実験をしたのが自分ではないと言い張るつもりか!
あきれ返った私に代わって、宮廷長官が静かに述べた。
「筆跡を鑑定すれば分かることですよ、先生」
「宮廷長官殿、だまされてはいけませんのじゃ! 部下がわしの筆跡をまねたのですじゃ。わしを追い落とし、自分が筆頭魔法医の座を奪い取るために!」
老人の悪あがきに、私たちは言葉を失った。
「宮廷魔法医たちに訊けば分かりますのじゃ。ファビオ・リッチという男ですじゃ。やつが野心に燃えていたのを皆、知っておりますじゃ!」
面倒なことになった。魔法医の中に、いかにもファルマーチに敵対している壮年の男がいたのは確かだ。
そこで騎士団長がほかの罪状を思いついた。
「ファルマーチ先生、あなたの罪は非道な人体実験だけではない。呪疱熱の特効薬の価格を不当に吊り上げて、城下に暮らす民を無駄に死なせておる」
「騎士団長殿、わしが特効薬の利権を独り占めできるのは、不当でもなんでもないですじゃ。百年前に公布された『発明者特例』に基づく正当な権利ですじゃ」
「発明者特例だと?」
オウム返しに尋ねた騎士団長に、宮廷長官が悔しそうに応じた。
「確かに発明した本人が大きな利益を得ることは、法的に認められています」
「なぜ?」
腑に落ちない騎士団長に、宮廷長官は静かに答えた。
「労力をかけて開発した人間に利益がなくては、魔法医学や薬学の発展が望めないからです。こうした発明者保護は、魔道具の分野にも及びます」
「ククク、分かったかの、騎士団長殿」
ファルマーチは余裕の笑みを浮かべている。
「わしからもひとつよいかの? セザリオ殿下が落馬した件じゃが、誰かが殿下のお乗りになる馬の餌に麻痺毒を混入させたのではありませんかな?」
「何を勝手なことを」
とがめた私に、ファルマーチは唇の端を吊り上げ、黄色い歯を見せた。
「十日ほど前、魔法薬の棚から痛み止めがなくなっていたのですじゃ。魔法薬は宮廷魔法医と薬師全員で管理しているもの。誰かの記録漏れかと思っていたのじゃが――」
ファルマーチは皆を見回した。私も医務室に魔法薬の棚があるのは知っている。果物ナイフでうっかり指先を切ったとき、ニーナが取りに行ってくれた。その場にいる魔法医か薬師に話して、必要な薬を渡してもらう仕組みだ。
ファルマーチは声を低くした。
「その後すぐにセザリオ殿下の落馬事故が起きましたのじゃ」
人間用の痛み止めが、馬にとっては麻痺毒になり得るということか。
誰もが沈黙する中、父の寝息だけが続いている。ファルマーチは得意げに話を続けた。
「宮廷魔法医も宮廷薬師も痛み止めを処方した覚えはないと言うのじゃ。だが、わしは思い出した。侍従長は陛下の腰痛に効く薬をいつでも取りに来られるよう、鎮痛薬をしまった薬棚の鍵を与えられていたのを」
壁際に立つ侍従長の顔は真っ青だった。息子を鞭うたれた彼がセザリオに恨みを募らせ、魔法薬を盗んだのだろうか? セザリオの侍従を務める息子なら、皇太子の馬の飼料に薬を混ぜることも可能か。だが冷静な侍従長が、感情に任せて行動するとは思えない。
「わしも一介の使用人が、そんな大胆なことをするわけはないと思ったのじゃが――」
ファルマーチは重臣たちをぎろりとにらんだ。
「宰相殿に宮廷長官殿、そして騎士団長殿。それからここにはいない高官方も含めて、皆さんで皇太子を亡き者とし、皇女を立太子する計画を練っていたのでは?」
私とミシェルは息を呑んだ。
「さらに続きがありますのじゃ。何者かが皇帝陛下に睡眠薬を盛っておりますな? 皇女を第一継承者とし、皇帝から政務能力を奪う――これがクーデターでなくて何でありますかの!?」
宰相たちは黙りこんでいる。誰も異を唱えない。ファルマーチの言うことが真実だと認めているかのように。
ここにいるのは脛に傷を持つ者ばかりなのだと、私は理解した。絶望という名の沈黙を破ったのは、ファルマーチだった。
「わしは呪われた双子の皇女など、決して支持しませんのじゃ。父親を治療院に送ろうとは、父母両方に害をなす、さすが呪われた双子ですのじゃ」
「貴様、無礼だぞ!」
ドラーギ将軍がファルマーチの腕を強く引いた。私も毅然と応戦する。
「私は呪われてなどいない!」
「そうですかな? わしの発明した呪疱熱の特効薬は必ず効くのに、皇后様の様態は急変して亡くなったのですじゃ。双子の呪いとしか考えられませんのじゃ」
「勝手なことを――」
ミシェルが反論するが、その声には一抹の不安がにじんでいる。貴族たちの間で特効薬が出回り、呪疱熱が死に至る病でなくなったことは、周知の事実だからだ。
「皇女殿下、分かりましたかの? ご自分が呪われていると、お認めなされ。呪われた者が玉座に就くなど、あってはなりませぬ」
母上は、私のせいで特効薬が効かずに亡くなったのだろうか? 双子が呪われているという言い伝えは、ただの迷信ではなかったのか――
絶望の淵に沈みかけたとき、それまで寝息を立てていた父が目を覚ました。体を動かすと、肩から藍色のローブがすべり落ちる。
わずかながら不老不死の魔法薬を飲んでいたらしい。
途端にファルマーチがドラーギ将軍の腕を振り切って駆け寄った。
「陛下、しっかりしてください! クーデターです!!」
「――――!」
ファルマーチを再び捕えようとした将軍の動きが止まる。全員謀反で処刑されかねないと気付いたのだ。執務室に緊張が走った。
「うむ――」
皇帝の乾いた唇から、うめき声が漏れる。ファルマーチが抱き起こし、言葉を重ねた。
「ここにいる者どもは皇女ヴァイオラのもとに集結し、陛下から玉座を奪おうとしているのですじゃ! 敵国の王子ミシェルと内通し、帝国を乗っ取ろうとした皇女に裁きを!」
ヴァイオラ、ピンチ!? 次回、ここから逆転勝利へ持って行きます!




