35、ミシェルがつかんだ重要な証拠
階段を降りた先には、行く手を阻む鉄格子が待っていた。その横には牢番たちの詰め所が設けられ、灯りが漏れてくる。
「えっ、騎士団長!?」
驚きの声を出した若い牢番に、騎士団長は先ほどと同じ嘘を披露した。
「騎士団がミシェル・スーデリアを護送する。ここへ連れて参れ」
「よかった! ミシェル様、処刑されないんですね!」
嬉しそうな牢番の様子に、私たちは全員面食らった。
詰め所から出てきたほかの牢番たちも、口々に安堵の言葉を交わし合っている。
「修道院送りは気の毒だけど、地下牢よりずっとマシだしな」
「あんな、か弱く愛らしい方が公開処刑だなんて、絶対見たくないよ」
ミシェルが愛らしいのは認めるけれど、決してか弱くなんかないのよ。あなたたち、ミシェルの可憐な演技にだまされているわ!
私を守るように立っていた宰相が小声でささやいた。
「さすがミシェル殿下、持ち前の美貌と愛嬌で牢番どもを、すっかり骨抜きにしたようですな」
まさかこれがミシェルの作戦だった!? 王子だと露見したあとも、男たちを篭絡できるとは!
うしろでニーナが、
「色香を放って男どもを味方につけるなんて、ヴァイオラ様には真似できない手腕」
ボソッとつぶやくが今は無視。あとでムニムニのほっぺを引っ張ってやるんだから!
心の中で毒づいていたら、重そうな鍵で鉄格子の扉を開けていた男が、
「あっ、ミシェル様、まだ牢にいらっしゃるのかな?」
変なことを言い出した。若い牢番たちが集まってひそひそと話し出す。
「しまった、すでに脱獄済みか!?」
「確かジョルダーノ辺境伯領に行かれるとか」
「ああ、さっき合鍵をお渡ししたところだ」
なんと牢番たちを手なずけて脱獄し、私を追って辺境伯領へ行くつもりだったのか!
耳障りな金属音を立てて開いた扉から、牢番たちが薄暗い通路へ駆け出そうとしたとき、
「おい待て」
壮年の牢番が現れた。
「げ。看守長」
若い男たちが面倒くさそうな顔をする。
看守長は部下たちを止め、こちらに向き直った。
「恐れながら騎士団長閣下、ミシェル妃殿下を修道院へ護送するというご命令が、陛下のものだという証拠はございますか?」
「看守長は某を疑うと申すか」
「大変申し上げにくいのですが、少し前にファルマーチ先生の私室を調べにいらしたドラーギ将軍閣下には、証拠をご提示いただけなかったので」
風向きが怪しくなってきた。しかし引き下がるわけにはいかない。私は静かに、だが威厳を込めて告げた。
「私が、皇帝の名代です」
「皇女様、大階段から落ちたと聞いていましたが、回復されたのですね」
嬉しそうな顔をする看守長は、私を疑っていないようだ。
「ええ。しかし父の方が最近は、ベッドで過ごすことが多くなりました。今も地下牢まで降りて来られませんので、代わりに私が参りました」
私の言葉に宰相もすかさず口添えする。
「皇太子殿下がまだ塔の上で療養中である現在、皇女殿下が正式に皇帝陛下の代理であることを証明します」
私はできる限り魅惑的に映るよう、看守長にほほ笑みかけた。
「ミシェルを連れて来てくださいますね?」
「仰せのままに」
私だって看守長を篭絡できたわ!
牢番たちが地下牢の奥へ消えるのと引きかえに、複数の人影がこちらへやってきた。
灯りが届く位置まで来ると、悔しそうなドラーギ将軍と配下の騎士たちだと分かった。彼らのうしろには、勝ち誇った笑みを浮かべた魔法医ファルマーチの姿が見えた。自分の陣地である地下牢から、将軍たちを追い返すかのようだ。
「これはこれは騎士団長閣下」
いやらしい笑みを浮かべたファルマーチが、慇懃無礼に頭を下げた。
「ドラーギ将軍殿にご足労いただきましたが、残念ですじゃ。わしは直接、陛下のご命令を受ける宮廷魔法医。陛下のご意向と証明していただかない限り、何もお答えできませんのじゃ」
拳を握りしめたドラーギ将軍は、未練を残した表情のまま、騎士団長に敬礼した。
「せっかく許可証をいただいたのに、証拠品を持ち帰ることあたわず、かたじけない!」
騎士団長は無言のままねぎらうように、ドラーギ将軍の肩に片手を置いた。
邪魔な将軍たちを騎士団長に引き渡したファルマーチは、
「では、わしはこれで」
踵を返そうとしたが――
「先生」
騎士団長が呼びとめる。
「少しお話を伺いたい。騎士団詰め所までご同行願えませんかな?」
「わしは陛下以外の者の命令は受けませんのじゃ。それともなんですかな? 騎士団が皇帝陛下の政策に干渉するつもりですかな?」
魔法医は図々しくも皇帝の権力をかさに着て抵抗した。だが私たちの作戦を成功させるには、筆頭魔法医の弱みを握る必要がある。
「ファルマーチ先生、何もやましいところがないのなら、この地下で何の実験をしているのか説明できるのでは?」
「騎士団長殿、逆ですじゃ。そちらにやましいことがないなら、陛下がわしの研究に対して調査命令を出したという証拠を示しなされ」
二人とも一歩も引かず、丁々発止のやりとりが続く。そこへ、ついに牢番たちにかしずかれてミシェルが姿を現した。
「僕の美しいヴァイオラ様!」
嬉しそうに目を輝かせたミシェルの髪はきちんと整えられ、ドレスにも乱れたところはない。牢番たちを侍従がわり――いや、侍女がわりに使っていたようだ。そして両腕には紐でまとめた紙の束を抱えている。地下牢で事務仕事でもしていたのかしらと首をかしげたとき、
「き、貴様!」
ミシェルの姿を認めたファルマーチが声を荒らげた。
「それはわしの記録――」
ミシェルは脱走ついでに何を持って来ちゃったのかな?




