31、暴君、ミシェルを人質にとって新たな命令を下す
「父上、わが妻を返してもらおう!」
私は開口一番から大上段に構えて言い放った。神の前でミシェルと愛を誓い合ったのは私。ミシェルは兄ではなく私の伴侶だ!
「誰かと思えばヴァイオラか。こりゃ傑作!」
皇帝は品のない笑い声をあげた。
執務机の両脇には、占い師と侍従長が立っている。二人は無表情だったが、その目は氷より冷たい。
ふと机の上を見ると、見覚えのある蒸留酒が置いてあった。半分ほどに減っていたはずが、ガラス製の蓋に届くほどの酒で満たされている。
私は思わず占い師に目をやった。視線を合わせた彼女がかすかにうなずく。
何も気づかない皇帝は、唇の端に酷薄な笑みを引っかけたままだ。
「呪われた娘よ、お前は用済みだ。朕の大切な息子が目覚めたからな」
ああ、やはり――。
だが、目の前が真っ暗になることはなかった。占い師の言葉と門番の様子から、私はすでに覚悟していた。
「ミシェルをどうするおつもりですか?」
「死刑に決まっておろう」
息が止まった。
「性別を偽って帝国を長年あざむき続けた上、皇太子暗殺まで企てた罪は重い」
「ミシェルは暗殺などしていません!」
必死で声を絞り出すが、父は鼻で笑い飛ばした。
「スーデリア内部には帝国の間諜がおる。朕は全て知っているのだよ」
「でも、未遂ですわ」
頭に浮かぶ死神の絵札を振り払いながら、あえぐように反論する。
「未遂だと? 計画を立てるだけで万死に値する。偉大な帝国に逆らう意思を持つとどうなるか、帝国中の貴族どもに示さねばならない」
「だからといって死刑は重すぎます! せめて身分剥奪の上、修道院送りくらいに――」
「朕に逆らうな!」
皇帝は激昂した。机の上に乗っていたグラスを私めがけて投げつける。
避けた私の頭上を飛んだグラスは、うしろの壁に当たって粉々に砕け散った。
「国中の者を帝都に呼び寄せて、見せしめに公開処刑とする!」
皇帝が唾を飛ばして叫ぶ。あまりの仕打ちに涙があふれた。
「では」
冷静な低い声は、私のうしろに立っていたドラーギ将軍から発せられた。
「日取りはまだ未定ということですな?」
「そうだな。帝国の威信を示す好機だ。大規模な祭典としたい」
処刑が祭典だなんて馬鹿げている。
「婚礼を行った王女を処刑するなど――」
私の声は弱々しく、張り詰めた空気の中に漂うだけだ。
「王女だと? 笑わせるな。王子だった時点で婚礼など無効に決まっているだろう!」
皇帝は執務机から身を乗り出して、私をのぞきこんだ。
「だがヴァイオラ、お前の婚約は無効にはならぬ」
「え?」
思わず呆けた声が出る。顔を上げると、父は楽しそうに、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「ジョルダーノ辺境伯に婚約破棄の取り消しを申し入れたのだがな、手紙だけでは信用できぬそうだ」
不健康そうな黄色い爪で私を指さす。
「偽皇太子としての最後の務めだ。辺境伯家に行って、皇女のくせに男装して皇太子を騙っていたと謝罪してこい」
「そんな―― そんな恥ずかしいことはできません!」
私は必死でかぶりを振った。
皇帝は無言で執務机の端に置いてあったベルを振った。すぐに入って来た侍従に、
「あれをここへ」
と告げてから、私に向き直った。
「そうそう、転移魔法陣の使用は許可しない。馬車で行きたまえ」
「なぜです?」
私の問いにも父はニヤニヤするだけで答えない。
だが私は気が付いた。私を宮殿から遠ざけることが目的なのだ。私が皇宮敷地内にいる限り、ミシェルを助けようと画策するかも知れない。それに皇帝は、宮廷内に私を担ぎ上げようとする勢力が存在することにも勘付いているのだろう。重臣たちが私を止めようとしたなら、この数日間、私がここまで好きに振舞うことなどできなかったのだから。
納得したとき、執務室の扉が音を立てて開いた。振り返った私の目に映ったのは――
「ミシェル!」
ドレス姿のまま縄で縛られ、足枷をつけられた美しい王子の姿だった。
「ヴァイオラ様!」
乱れた桜色の髪を涙に濡らしながらも、彼は優しい微笑を浮かべた。
だが、皇帝の無情な声が響いた。
「今すぐ処刑しろ」
「は?」
命令を受けた近衛騎士が硬直する。
「朕の命令が聞けぬのか?」
「恐れ多くも偉大な皇帝陛下、わたくしは処刑人ではございません」
若い騎士は震える声で答えた。
「黙れ!」
皇帝がこぶしで執務机を叩く。酒瓶が跳ね、書類が床に散らばった。
「剣を抜け」
皇帝の剣幕に操られるように、騎士の震える右手が柄にかかる。
「やめて!」
私は叫んでいた。
「ほう、命乞いをするか」
狂気の笑みを張り付けた皇帝が、私を振り返る。
「この女装王子の命が惜しくば、素直にジョルダーノ辺境伯領へ行くことだな」
「分かった」
私はうなずいて立ち上がった。
「ヴァイオラ様、いけません!」
縛られたままのミシェルが涙ながらに訴えた。
「僕の命など少しくらい永らえても意味がない! ヴァイオラ様の人生を生きて下さい!」
私は無言のまま首を振り、近衛騎士に囲まれたミシェルに近づいた。
「ミシェル、助け出せなくて、すまない」
「謝らなければならないのは僕の方です。あなたの足を引っ張ることになるなんて」
ミシェルの言葉を、皇帝がさもおかしそうに遮った。
「お前が斥候と同等の訓練を受けていることは、帝国の間諜により分かっていたのだよ。さしもの王子とて、複数の熟練騎士をさしむければ、容易く捕まえられることもな」
勝ち誇った皇帝の言葉に、ミシェルの海色の瞳は氷河のごとく冷ややかな色を帯びた。ふと、ミシェルはその気になれば逃げられたのでは、という直感が私を襲った。ここでは口に出せない計画が、彼の心に秘められているのでは、と思ったとき、
「連れていけ」
父の無情な声が響いた。
だが私は、ミシェルを歩かせようとした衛兵をにらんで動きを止めさせる。
涙に濡れたミシェルの頬を両手で包み込んだ。
血色の失せた彼の唇から、
「僕の大切なヴァイオラ様」
私の名がこぼれ落ちる。
「ミシェル、愛している」
私は愛おしい彼の唇に口づけを落とした。
数週間でも、数ヵ月でも、ミシェルの魂がこの世にとどまれるなら、私が恥をかくことなど、取るに足らない些事でしかない。男装して辺境伯領主とユーグに会い、変装した皇女だと打ち明けよう。
ジョルダーノ領へ行くため執務室を去ろうとする私のうしろで、ミシェルが叫んだ。
「ヴァイオラ様、僕も心からあなたを愛しています!」
ハッピーエンド保証します! ここからどう大逆転するのか!?




