03、男装皇女、隣国王女と婚礼を挙げる!?
姿見の中には、一瞥しただけでは兄にしか見えない美青年が立っていた。
だが、象牙のようになめらかな肌は兄よりも白く、長いまつ毛に縁どられたオリーブグリーンの瞳は同じ色ながらも、おだやかな輝きを宿している。形の良い鼻は共通しているが、さくらんぼ色の唇はあでやかな魅力を漂わせていた。兄と同じブルネットの髪も、よりしっとりとした光沢を帯び、高貴な雰囲気を引き立てている。
「お美しいです、ヴァイオラ様―― いえ、セザリオ様とお呼びしなければ」
ニーナは夢見心地で溜め息をついた。私は苦笑して、
「伸びすぎた身長が役に立つとはね」
自分の手足を見下ろした。すらりと伸びた四肢は健康的な青年そのものだ。
「ヴァイオラ様が本当の皇太子だったらよかったのに」
白昼夢を見るようなまなざしのまま、ニーナがぽつんとつぶやいた。
「私、思うんです。ドミナントゥス帝国に必要な皇帝は、平和を愛する心優しいヴァイオラ様じゃないかって」
「何言ってるのよ」
私は一笑に付した。
「父の執務室に並んだ歴代皇帝の肖像画を見たでしょう? 帝国には今まで一度たりとも女帝なんかいなかったわ」
「ハゲ散らかしたオッサンたちは全員、過去の人ですけれどね」
ニーナはフンスと鼻息荒く言い放った。
「ヴァイオラ様、私たちは未来に生きるのです!」
ガッツポーズを取るニーナのうしろに開いた窓から、時を告げる鐘の音が聞こえる。
「さあニーナ、あなたも着替えるのよ」
「はぁ。私もヴァイオラ様みたいに背が高かったら男装も似合うのに」
自信満々だったニーナは急に肩を落として、ソファの上に畳んで置かれた服を見つめた。
「大丈夫よ。ニーナはぽっちゃりしてるから、かわいい小姓になると思うわ」
私は彼女を元気づけながら、ワンピースのボタンを外してあげる。
「ぽっちゃり!? ひどいです」
だがニーナはますます落ち込んでしまった。コルセットを外すと、たわわに実った真っ白い乳房がこぼれ落ちる。すべすべでやわらかい少女の肌を、ニーナは小姓の衣服で包み隠した。
「でもヴァイオラ様のおっしゃる通りかも知れません。私、胸がきついんです。ヴァイオラ様みたいにほっそりしてないから」
「ん?」
「あ、ヴァイオラ様!」
ニーナはぱたぱたと顔の前で両手を振った。
「決して、お胸がほっそりしていらっしゃるなんて申し上げていませんよ!」
私はしっかりやり返されたのだった。
着替え終わったニーナの明るいオレンジブラウンの髪も、私と同様うしろでひとつにまとめ、布のリボンを巻きつける。
「できたわ! やっぱりかわいいじゃない」
「そうですかぁ?」
姿見の中で丸顔の少年が恥じらっている。茶色い瞳をくるくるさせて、子犬のような愛くるしさだ。
「そうだわ、ニーナ。あなたの偽名だけど、ニーノでいいかしら?」
「えぇー、安直すぎますよ! 私、マクシミリアンがいいです!」
偽名のアイディア練ってるなんて、肝が据わってるわね。
「そんな本名とかけ離れた名前、ぱっと出てこないからダメよ」
従者の名前をド忘れする主人なんて怪しすぎる。
「なんだかニーノってダサくないですか?」
妙なことを気にするニーナを、私は扉の方へ押しやった。
「変装なんて婚礼の儀の間だけなんだから、偽名にこだわる必要なんてないわ。急ぐわよ」
ニーナの手首をつかんで廊下へ出ると、彼女はふと私の右手に視線を落とした。
「ヴァイオラ――えっとセザリオ様、その指輪は外されないのですか?」
薬指には母上の形見のペリドットが、陽射しを浴びた新緑のように優しく輝いていた。
私が躊躇していると、廊下の向こうから侍従長が近づいてきた。書物を運ぶ若い使用人を従えている。
「その本はセザリオ殿下の部屋の本棚へ」
若者に指示を出してから、私とニーナにせわしなく声をかけた。
「ご支度が整ったようですね。馬車を用意しておりますので、大聖堂へ向かいましょう」
宮殿の隣にある大聖堂へ馬車で向かうとは。兄が日頃からどれだけちやほやされているのか、よく分かる。
馬車に揺られる私の心は、変装前ほど不安に押しつぶされてはいなかった。姿見に映った完璧な貴公子の姿が、私に自信をくれた。
大丈夫、きっと見抜かれずにやり遂げられる。
大聖堂の天井から、壮麗なフレスコ画に描かれた天使たちが、偽りの結婚式を見下ろしていた。弓矢を持ち、背中に小さな羽根をつけた幼児たちは、帝国の威信をかけた茶番劇に笑い転げているようだ。
天井画に描かれた作り物の青空の下、人口の花園のように色彩豊かな衣装で着飾った貴族たちが列席している。だがレースや宝石のきらめきに反して、大聖堂は緊迫した空気に包まれていた。原因はあちこちに立つ見張りの衛兵たち。スーデリア王国側が謀反を起こさないかと警戒しているようだ。
私は、純白のドレスに身を包んだミシェル王女と並んでバージンロードを歩いた。ベールに隠された彼女の表情は見えない。戦利品として帝国に奪われた彼女に比べれば、私が帝都を追われるようにして辺境伯領へ嫁ぐなど些細なこと。王女はこの婚礼を、どんな思いで迎えたのだろうか。
帝国貴族がミシェル王女の姿を見ようと身を乗り出す一方、スーデリアの参列者は、屈辱に耐えるようにじっと祭壇の方を見つめていた。欺瞞に満ちた婚礼の儀など、祝う気にはならないのだろう。
壁際に並んだ物言わぬ聖人像が石のまなざしで、私の正体を見透かすように見下ろす中、大神官の前まで歩いた。
祭壇の前で立ち止まると、大神官の厳かな声が響いた。
「この神聖なる婚姻が、ドミナントゥス帝国とスーデリア王国に永遠の平和と繁栄をもたらすよう、主の祝福を」
大理石の壁に反響するその言葉は、大神官自身の願いでもあるのだろう。
だが彼も、皇帝に逆らうことのできない無力な人間のひとりだ。皇女に生まれながら皇帝を変えられない私と同じ。隣に立つ王女ひとり救えない。
「誓いのキスを」
深みのある大神官の声が、私たちに告げた。
ミシェル王女のベールを上げるために向き直ったとき、王女の身長が私と変わらないことに気が付いた。普段から自分の高身長を気にしている私は、反射的に王女の靴に視線を落とした。
――ほとんどヒールがない!?
私の履いている男性貴族用の革靴にはヒールがある。
ミシェル王女、私より背が高い!? そういえば肩幅もしっかりしていらっしゃる。ドミナントゥス帝国を恐れて鍛えてきたとか?
思考を巡らせていたら、王女が優雅な仕草で腰を沈めた。慌ててベールの両端を持ってめくりあげると、美しい桜色の髪が露になった。
目を伏せたままかがんでいる王女の両腕をそっと支えて立たせる。今夜にもあの冷酷な兄が目をさますかもしれない。今だけでも優しくしてあげたい。
私が戸惑っていると思ったのか、大神官が小声で、
「殿下」
と口づけを促した。祭壇横の玉座から父上も見張っている。
私のファーストキスを女性に捧げるべきなの?
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