29、兄復活の占いが当たった!?
夜の街道は闇に沈み、上弦の月からしたたる冷たい光が木々を濡らしていた。
先頭を駆ける魔法騎士の放つ魔力光が、黒ずんだ土の道を照らす。耳元で鳴る風音に、ささやくような葉擦れがまざり、時折遠くから野生動物の鳴き声が不気味に響いた。
街道沿いの宿場町や継立場で馬を乗り換える際は、皇太子セザリオと名誉あるドラーギ将軍の名が役立った。戦地ブリュームから帝都まで公用で帰還する一団として、夜中にもかかわらず、回復ポーションの提供まで受けられた。
それでも夜を徹して馬を駆るうち、身体の奥に焼きついた疲労がじわじわと広がる。だが冷たく陰気な地下牢につながれているであろうミシェルのことを思えば、体の疲れなど気にならない。
婚礼の儀で出会ったミシェルの不安そうな姿を思い出す。だがその夜ミシェルは、一緒に未来の帝国を作っていこうと言ってくれたのだ。彼は最初から私の孤独に気付き、拙い男装を見抜いて、こっそり私を支えていた。
ユーグから私を救い、湯浴みの間でも助けに駆けつけたミシェル。舞踏会でも私をリードし、社交の場でもさりげなく助けてくれた。
今度は私がミシェルを救い出す番だ!
だが本当に、あのミシェルが衛兵たちに捕まるものだろうか? 長剣を手にしたユーグをあっさりいなした彼の勇姿を思い出す。とはいえ手練れの衛兵たちに囲まれたら、ミシェルとて逃げられないかもしれない――
何度か馬を替えたあとで、ようやく丘の上に帝都の城壁が見えてきた。私たちの後ろから昇る太陽が、城壁の中に建つ白亜の皇宮を、血の色に染めている。
「舞踏会の夜に占い師が言っていた三日後って今日だわ」
いや、まさか占いの通り兄が目覚めるなんてあり得ない。
「あんなの、ただの遊びよ」
自分に言い聞かせ、ドラーギ将軍の後を追って馬を走らせた。
街を囲む城壁は、無情な要塞のように私たちを阻んでそびえ立っていた。石造りの巨大な門は、早朝の今、固く閉ざされている。見張り台の上から、甲冑に身を包んだ兵士たちが見下ろした。
「こんな朝早くに何用だ?」
私は手綱を引き締め、堂々と馬を進めた。内心の動揺を悟られてはならない。今の私は皇太子セザリオだ。
「城門を開けたまえ」
腹から声を出す。
私の背後から照らす朝日に目を細めて、門の上の兵士たちがこちらの人相を確かめようとした。見張り塔には弓矢を持った兵士の姿も見える。
私は背筋に緊張が走るのを無視して、正面から彼らの視線を受け止めた。
「このお方を誰だと心得る!」
うしろから突然、雷鳴のような大音声でドラーギ将軍が吠えた。
「皇太子殿下のお戻りであるぞ! ただちに門を開けよ!」
野太い声が、監視兵たちを震わせた。
「皇太子殿下だと?」
「帝都から出ていらっしゃったのか?」
「本当に殿下か?」
動揺する兵士たちの間で、確認のささやきが飛び交う。
単眼鏡をのぞいた男が小声で、しかし自信に満ちた様子で答えた。
「間違いない。艶やかなブルネットの御髪にオリーブグリーンの瞳。あの美しいご容貌は殿下だ」
「将軍も本物か?」
「ああ。あんな暑苦しい男はドラーギ将軍閣下以外にいない。チャームポイントのでかい鼻もご健在だ」
すぐに命令が下り、巨大な門が重々しい音を立てて動き出した。
門が完全に開くのを待たずに馬の腹を蹴る。早朝の冷たい空気を切って、石門の間を駆け抜けた。
「帝都、帰って来たわよ」
まだ半分眠った街に、宣戦布告をするように語りかけた。
朝露に濡れた石畳の道には、パン屋の石窯から香ばしい匂いが流れてくる。目をこすりながら広場の井戸へと水を汲みに向かうまばらな人々の間を縫って、皇宮へ至るゆるやかな上り坂を駆けた。
いくつも尖塔を備えた宮殿が、朝もやをまとって屹立している。近づくにつれ、城の周囲に張り巡らされた深い堀が見えてきた。
水堀にかかる跳ね橋へ駆け込むと、木板が馬の蹄にきしむ。冷たい風が水面を揺らし、堀の奥から湿った匂いが漂ってきたとき、
「何者だ!?」
皇宮の正門脇から槍を手にした門番たちが次々と駆け寄ってきた。
「私だ」
馬上で背筋を伸ばして声を張ると同時に、ドラーギ将軍の怒鳴り声が炸裂した。
「吾輩を誰だと思っておる! 帝国第二騎士団正規部隊第七大隊将軍ドラーギだ! 皇太子殿下のお戻りであるぞ!」
だが、門は開かなかった。それどころか門番たちは警戒を強め、陣形を組むように正門前に並んだ。
「本物のセザリオ殿下は、塔の上で魔法医の診察を受けていらっしゃる!」
年長の門番の言葉に、血の気が引いた。占い師の予言通り、兄が意識を取り戻した!?
手綱を握る革手袋の中で、指先が冷えていく。
震える私の前で、ドラーギ将軍が一喝した。
「おぬしらの目は節穴か! 皇太子殿下をお守りして帰還した吾輩が、偽物に見えると申すか!」
「ドラーギ将軍閣下がご本人であることは疑っておりません。しかし失礼ながら、将軍閣下は騙されていらっしゃる。怪しい者は通せませぬ!」
年長の門番が言い終わらぬうちに、将軍は手綱を引き、軍馬をくるりと反転させた。
「逃げますぞ、殿下」
ドラーギ将軍の冷静な声にうなずいて、私は手綱を握り直した。馬を操り、回れ右をする。跳ね橋の上で、馬は前脚を振り上げて嘶いたが、すぐに私の意図を組んで駆けだした。
私たちを追おうとする門番は、護衛として連れてきた三人の騎士によって阻まれる。
私は後ろを振り返らず、ひたすら馬を走らせて将軍を追った。皇宮を囲む水堀を、ぐるりと回るように走る将軍に、馬を並べる。
「どこへ?」
「死体搬出用の秘密通路です。地下牢内で死んだ囚人をこっそり運び出すための裏口ですよ」
規則正しい蹄の音の間に割り込む将軍の低い声に、私は身震いした。
「地下牢ではそんな頻繁に、囚人が命を落とすのか?」
牢とは処刑を待つ囚人を入れておく場所だ。彼らが死ぬのは処刑場では?
「最近、どういうわけか増えているのです。貧民窟で捕らえられた者たちが、牢に入ってすぐに死ぬんですわ。おかしな薬でもやっているのか――」
貧民街、魔法薬という言葉が脳裏をかすめる。
だが疑惑を言葉にする前に裏門付近へと辿り着いた。皇宮の北側に位置するこの一帯は、高い塔に陽射しを阻まれ一年中、日陰になっている。陰気な空気は冷たく湿り、苔むした石壁には朝露が伝っていた。
私たちは痩せた古木に馬をつなぐ。
「殿下、こちらです」
将軍が先導して、細くて急な坂道を降りてゆく。不揃いな石畳の間から、雑草が顔をのぞかせる。
坂道を降りた先に、錆の浮いた鉄格子が現れた。水堀の下を通って直接、地下牢へつながっているようだ。
この扉の奥にミシェルがいると思えば、地下牢に対する恐怖心もかき消えた。
将軍は、錆びて朽ちかけた鉄格子の間から太い腕を差し入れ、平然と掛け金を外した。
「行きましょう」
将軍の大きな背中を追って、私は暗い地下道に足を踏み入れた。
いよいよ地下牢へ! その先に待つものは!?




