27、ブリューム領主との攻防
「皇太子殿下にお尋ねしたいことが三つございます」
儀礼的な挨拶が終わるとすぐに、ブリューム領主が本題に入った。
「まず第一に、転移陣を破壊したのはブリューム領民ではないとお伝えしましたが、帝国中央は認めてくださらないのですな?」
「帝国側の調査では、転移陣を破壊したのはブリュームの民であるという結論に達した」
私は眉一つ動かさずに応じた。帝国の権威を失墜させるわけにはいかない。
無実の罪をなすりつけられたブリューム領に同情していても、皇太子の仮面をかぶった私は、彼らの主張を認められないのだ。
私は皇太子らしい威厳を保ったまま、言葉を続けた。
「しかし、ブリューム領側の調査結果と食い違うことも認識している。だからこそ、この和平案では出来る限り譲歩した」
ブリューム領主は目を細め、私を見つめた。剣呑な空気が川面に漂う。
だがやがて、ゆっくりとうなずいた。
「分かりました。二つ目の質問に移りましょう。帝国は、なぜ急に考えを変えたのですか?」
「わが父は戦を望んでいた。しかし私は、皇太子として終戦を主張した。ゆえに自ら交渉の場に赴いたのです」
「それは妙ですな?」
領主の低い声が、不穏な気配を帯びる。
「三つ目の質問は、まさにその点に関わるのですが」
彼は言葉を区切り、静かに続けた。
「我々の放った間者によれば、転移陣破壊の案を最初に提案したのは皇太子殿下だったはず」
──また兄上か!
私は息を呑み、ドラーギ将軍も驚きに目を見開いた。領主はその反応を見逃さず、皮肉げな笑みを浮かべる。
「ご存知ありませんでしたかな?」
「戯言を申すな!」
ドラーギ将軍が語気を強めた。
「我々が知らぬことを、なぜ貴殿が知っておる!」
私は動揺を押し殺しながら、素早く考えを巡らせる。
ドラーギ将軍すら知らない内情がなぜ、ブリューム側に漏れているのか?
転移塔爆破の事実は、帝国重臣たち全員が共有している秘密だった。しかし発案者となると、公私問わず父のごく近くにいる者にしか分からないはず。
ふと、つねに父上の傍らに侍っている人物の顔が脳裏をよぎった。
──占い師。
あの女は確かブリューム領の出身だった。彼女なら、父上と兄が密談する場に立ち会っていても不思議はない。父上は彼女の献上する酒を、毒見役も通さずに口にするくらい、全幅の信頼を寄せているのだから。
そして彼女の、庶民には醸し得ぬ気品から察するに、没落貴族家の未亡人など身分の高い人物だろう。政治的な関係筋からの情報が入っていて、ミシェル様のセザリオ暗殺計画も知っていた可能性も考えられる。メイが持参した魔法薬についても占いで知ったのではなく、彼女が張り巡らせた情報網に引っかかったのかも――
「情報源を明かすことはできません」
肩をすくめた領主の言葉に、私は現実に引き戻された。
「ですがセザリオ殿下。率直に申し上げて、戦の原因を作ったあなた様のお言葉を信じるのは、大変難しいのです」
夕陽がさらに傾き、船上の影を長くした。
私は覚えず、こぶしを握り締めていた。兄こそ戦の元凶なら、ブリューム領主が皇太子の持ってきた和平案など信じるはずないではないか!
「こ、この方は――」
ドラーギ将軍が震える声で言いかけて、口をつぐんだ。
そう、和平を勝ち取るには、私が兄ではないことを明かすしかない!
「領主殿、私がもし皇太子セザリオでないなら、私の言葉を信じてくれるか?」
「面妖なことをおっしゃる。あなたが皇太子でなければ、皇帝陛下の名代は務まりませぬ。あなたと交渉すること自体、無意味なものとなってしまう」
言われてみたらそうだった! 皇女ヴァイオラには何の力もないのだ。戦場に平和をもたらすなど、夢のまた夢だったのか――
悔しさに歯噛みしたとき、ドラーギ将軍が意を決したように口をひらいた。
「この方は将来、ドミナントゥス帝国の玉座に座られる方だ!」
私はぎょっとして彼を見た。
「殿下、真実を告げる以外に、方法はありません!」
ドラーギ将軍がほとんど無策とも思える進言をする。
「真実とな」
一方、ブリューム領主は笑いをこらえている。
「転移塔を爆破した犯人が分かるのですかな?」
私は心の中で、帝国の威信と、血を流す兵士を天秤にかけた。比べるべくもなかった。帝国の威信など、人の命の前では吹けば飛ぶほど軽い。
私は息を吸い、吐いた。鼓動の音がうるさい。頭の中でガンガンと共鳴している。
「領主殿、今から話すことはドミナントゥス皇帝の名代としてではなく、皇女ヴァイオラとしての個人的な言葉です」
風がやんだ。水面が、凪ぐ。
その場にいる誰もが、敵味方関係なく息を呑んだ。
私は凍りついた沈黙を破るように、思いの丈を述べた。
「優秀な魔法騎士がブリューム領の転移塔を遠隔魔術で爆破したと知ったとき、私は愕然としました。父の政策に絶望したのです。同時に、このように愚かな戦はすぐに止めねばと思いました」
「皇女ヴァイオラ―― 様……」
ブリューム領主はかすれた声でつぶやいた。目を見開き、まばたきさえ忘れている。
私は静かに言葉を紡いだ。
「一週間前、ミシェル様との婚礼の儀を前日に控えた夕方、兄セザリオは落馬事故により意識を失いました。その日から、父の命令で私が皇太子の役目を果たしております」
領主は信じられないというように頭を振った。兵士たちも皆、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
ドラーギ将軍の声だけが響き渡った。
「我々は残忍な皇帝と皇太子を誅し、皇女殿下を女帝とする計画であります!」
その計画、私本人のいないところで、どこまで進行していたのかしら? まさかこの場で問い詰めるわけにはいかないので黙っていると、
「ドラーギ将軍閣下は我々に、本物の反乱軍になれとおっしゃるのですかな? いやむしろ、ドラーギ卿こそが反乱軍の将でしたか?」
ブリューム領主の皮肉めいた質問が飛んできた。ドラーギ将軍の熱い演説に心動かされることはないようだ。なかなか手ごわい。私は最後のカードを切ることにした。
「領主殿は、幼いミシェル殿下に馬術や剣術の稽古をつけてあげたそうですね」
「なぜそれを――」
風向きが変わった。領主の顔から皮肉な笑みが消えた。
「ミシェル様が話してくださったのです。王妃殿下に連れられ、領主殿の宮殿に遊びに行った思い出を、なつかしそうに語っておられました」
ブリューム領主は口元を押さえ、低い声でつぶやいた。
「セザリオ殿下の落馬が本当なら、ミシェル殿下が嫁いだのは――」
ようやく気付いたようね。
会談の行方は!? 次回、決着します!




