24、ミシェルは密命を帯びて帝国へ来た
皇太子夫妻の寝室は暖炉の炎で充分にあたためられ、天蓋付きベッドは淡いピンクの寝具で飾り立てられていた。
ミシェル様はおぼつかない足取りのまま、ぽふんとベッドに腰かけた。
「セザリオ様――いいえヴァイオラ様、謝罪させてください。僕は、スーデリア国王である父から密命を受けて、帝国へ来たのです」
葡萄酒のせいか、少しうるんだ瞳で私を見上げる。
「初夜にあなたを眠らせて殺害しろと――」
彼のさくらんぼのような唇が震え、真実を紡いだ。
「そんなことじゃないかと思っていたわ」
彼の額にかかる桜色のおくれ毛を指先で優しく払い、私はそっと口づけを落とした。
王子が王女と偽って嫁ぐという、あまりに向こう見ずな行動のたどり着く先を考えれば、想像がつく。
ベッドに広がるミシェル様のドレスをよけて、私も隣に腰を下ろした。
「ミシェル様は妹殿下を守るために、王女として帝国へいらっしゃったのね」
「妹……?」
怪訝な顔をしたミシェル様が、ぽんと手を打った。
「ルネのことですね! あれは弟です。生まれたときから女装してるだけです!」
どういう兄弟!?
「両親曰く、兄だけ女装では可哀想だから、弟も道連れにしたとか」
分からなくはないが、私は頭を抱えた。
「王子が二人いるのに、王女二人だと、帝国含め周辺諸国に偽っていたのか」
「小国の処世術です。でも帝国に戦を仕掛けられ、負けた見返りに王女を差し出せと言われ、父は決心してしまった。帝国の属国として傀儡の王となるくらいなら、一矢報いて果てようと」
ミシェル様は力なく肩を落とした。
「でも、たとえ皇太子の暗殺に成功しても帝国が滅びるわけではない。僕も弟も両親も処刑されて、スーデリア王家の血が絶えるだけだ」
わずかにうるんだ瞳で窓の向こうをみつめる。外は真っ暗で何も見えない。窓ガラスには、並んで座る私たちが映っていた。
「僕は心を決められないまま帝国に来ました。次期皇帝になる皇太子が、話に聞く通りの冷酷無比な人物なのか、会って話してから決めても遅くないと思ったのです。そして僕は――」
ミシェル様は深い水底のような瞳で、うっとりと私を見つめた。
「優しいヴァイオラ様を愛してしまった。人質として嫁いで来た僕を気遣ってくれるあなたのまなざし、所作のひとつひとつにお心があらわれていた」
彼は長い指で、いとおしそうに私の頬を撫でた。
「かわいい女の子が一生懸命、男の演技をしていて、頑張り屋さんなところにも惹かれたのです」
羞恥に耳まで赤く染めながらも、尋ねずにはいられなかった。
「私の男装は、そんなに下手だったろうか?」
鏡に映っていた私は、兄そっくりだったのに!
「ヴァイオラ様の振る舞いは、間諜が報告したセザリオ皇太子の人物像とかけ離れていたから」
ミシェル様はいたずらっぽくほほ笑んだ。
「双子の皇女様だって気付くのは難しくないよ」
皇太子に双子の妹がいると分かっていれば、答えにたどり着くのは簡単か―― 納得した私を、ミシェル様はぎゅっと抱きしめる。
「それに僕は五年前、新年祝賀の儀に参加したとき、ヴァイオラ皇女のお姿を拝見しているんだ。なんて愛らしい少女だろうと胸が高鳴った。でも僕は王女として育てられた身。この腕に皇女様を抱きしめる日など一生来ないだろうと思っていた」
ミシェル様の手がいとおしそうに、私の髪を撫でた。
「異性になりきることの大変さはよく分かっています。僕もずっと苦労してきたのだから。思春期以降の男女は、肌のきめ細やかさからして違いますからね」
肌のキメまで見てる女装のプロを、生まれて初めて男装した私が騙せるわけなかった! つい遠い目をする私の横で、ミシェル様はドレスのスカートを大胆にめくりあげた。
「愛の証として、この短剣を受け取ってください」
ミシェル様は、白い太ももに革ベルトで固定された短剣を外した。ベッドから降り、私の足元にひざまづく。
「僕の愛するヴァイオラ殿下、スーデリア王家に伝わるこの剣を献上します」
海色の瞳で私を見上げるミシェル様は、可憐な女騎士のようでありながら、まなざしに宿る光は凛々しい王子のものだった。
両手で掲げた短剣の柄頭にはルビーが埋め込まれ、鍔はスーデリア王家の紋章である翼を広げたグリフォンの意匠で飾られていた。
私は左手で柄に、右手で精緻な幾何学模様の彫られた銀の鞘に触れた。
「ミシェル様は――」
「ミシェルとお呼びください」
「ミシェル、あなたにはスーデリアに戻って本来の身分を明かし、王太子となる運命もあり得るはずです」
緊張した面持ちで私を見上げるミシェル様――ミシェルに、私は尋ねた。
「このまま帝国に残って、私の伴侶でいてくれるのですか?」
澄みきっていたミシェルの瞳が、みるみるうちに陰りを帯びた。
「僕を帝国から追い出すの?」
私は慌てて彼の肩を抱き寄せた。
「違う! そんなつもりじゃない!」
「ヴァイオラ様、言ったでしょう? 僕はあなたを愛してしまったって」
腕の中の彼は、かすかに震える声で続けた。
「この心も体も、すでにあなたのものです。今さら、いらないなんて言わないで……」
「言わない、絶対言わないから」
海色の瞳からあふれる涙を止めたくて、私はたまらず彼の唇を奪っていた。少しだけ紅の味がする。
「ん――」
彼の喉から、少女とも少年ともつかぬ声が漏れた。私はそっと唇を離し、本心を告げる。
「私だってミシェルとずっと一緒にいたい」
安心したのか、彼は糸がほどけるように微笑を浮かべた。
「一緒に未来の帝国を作って行きましょうって、ミシェル約束したもん」
口調が怪しいので、まだ酔っているようだ。
私は笑いをこらえながらうなずいた。
「婚礼の儀の夜に、言ってくれたよね」
「本当の初夜は、今から始まるんですけどねっ」
ミシェルの目がキラーンと光ったとき、扉がノックされ、落ち着いた男性の声が聞こえた。
「殿下の酔い覚ましにお水をお持ちしました」
裏声でしゃべっていたときは間抜けだったメイも、地声で話すとなかなか渋い美声だ。
だが銀のトレーを片手に乗せて入って来た彼は、侍女のお仕着せ姿だった。おさげにした髪型も、切れ長の目と絶妙に不釣り合いだ。宮殿の廊下を侍従姿で歩いて、ほかの使用人に見つかったらまずいから致し方ない。
洗練された仕草でグラスをサイドテーブルに乗せ、メイは礼儀正しく頭を下げて出て行った。
「喉乾いてたんだ」
ミシェルがグラスを手に取るのと同時に、私も水を飲み干した。桃の香りがつけてあっておいしい――
「だめっ、ヴァイオラ様!」
ミシェルが声を上げたときには、私のグラスは空になっていた。
「あいつら、やりやがった!」
水には何かが混入していた!? 次回、明らかに!




