21、ヴァイオラとミシェル、それぞれの弱点
「アンダンテ公爵夫人、今夜はよくぞ参られた」
貴族名鑑の記憶をたどりながら、私は素早く夫人の淡いブルーのドレスと、レースの手袋に視線を走らせた。よし、褒めるわよ!
「なんて美しいのだろう! ドレスの色とレースの手袋が相まって、蒼天にたなびく綿雲が如し!」
あれ? なんか違う?
隣でミシェル様が優雅な笑みを浮かべ、
「セザリオ様も、手袋のレース細工をお美しいと感じられたのでしょう。繊細な刺繍がとても素敵ですね」
さりげなく私の言葉を補ってくれた。
だが公爵夫人はミシェル様には見向きもせず、私を見上げて感動に打ち震えている。
「あ、あのセザリオ殿下が、わたくしを褒めて下さるなど!!」
冷徹皇子と有名なセザリオが褒めただけで公爵夫人は感動しているが、私はミシェル様に救われた。心の中でミシェル様を拝みながら、次の招待客のもとへ向かう。
「ベッリーニ侯爵夫妻、よくぞ来てくれた」
勢い余って無駄に詩的な言葉を羅列するのはやめよう。身近なたとえを使うのよ!
「夫人のネックレスは美しいですな。まるでシャンデリアが落ちてきたようだ!」
違う違う! シャンデリアが落ちてくるって怖いわよ!!
頭が真っ白になったとき、またミシェル様がなめらかに言葉を紡いだ。
「アレキサンドライトの輝きが美しいですね。侯爵夫人の気品を更に引き立てております」
そう、アレキサンドライト! 緊張して宝石の名前を忘れただけよ!
子供の頃、母上が宝石箱を開けて、石の名前を教えてくれたのを思い出す。ここ三年間、宝石なんて触れもせずに政治経済軍事の本ばかり読んでいたから、記憶の彼方だったわ。
「セザリオ殿下の瞳の方がお美しいですわ! お声をかけていただき、光栄でございます!」
侯爵夫人は紅潮した頬を抑えているが、私は心の中でミシェル様に全力で感謝した。
初めて正式に舞踏会に出席したが、これほど面倒な場所だったとは。大臣たちと会議をしたり、将軍と停戦案について話し合う方がずっとマシだわ。胃が痛くなっちゃう!
次に向かったのは若い伯爵令嬢だった。淡いピンクのドレスに、可憐なネックレスをつけている。なんでしたっけ、この宝石。確か貝から採れる貴重な石だったわね。
だが宝石の名前を思い出す前に、私は彼女にほほ笑みかけていた。
「ようこそ皇宮へ、カリーナ伯爵令嬢。ええと、その首飾り。潮風を感じるねっ」
何を言っているんだ、私はっ!?
間髪入れずにミシェル様が優しくフォローしてくれた。
「パールの上品な輝きが、カリーナ様の清楚な雰囲気を際立たせていますね」
「はうわぁっ!」
「おっと!」
カリーナ嬢はなぜか卒倒した。慌てて抱きとめた腕の中で、仔兎みたいにプルプル震えながら、うるんだ瞳で私を見上げる。
「セザリオ殿下のお声を聞けるなんて幸せでございます!」
女性たちの反応に疑問しか浮かばない私の耳に、壮年の殿方たちが喜色を浮かべて語り合うのが聞こえてきた。
「セザリオ殿下、優しい笑顔で女性たちを魅了しておりますなあ」
「ずいぶんご気性が穏やかになられたようで、大人気ですな」
「あの気難しかった殿下が優しいお言葉を掛けられるとは。妃殿下の影響であろうか」
本物の兄は私以上に社交下手だったようね。
「冷徹な方だと誤解されておったが、口下手だっただけなのじゃろう」
「いやはや、帝国の未来にも希望が持てそうですな」
不出来な兄のおかげで救われた!
一通り挨拶回りを終えた私は疲れ果てていた。この三年間、気心の知れた侍女ニーナとしか会話してこなかった引きこもり皇女に、突然の社交は荷が重すぎる!
「セザリオ様、そろそろお飲み物でも」
すかさずミシェル様が誘ってくれた。大広間の隣室には飲み物や軽食が並んでいる。舞踏会の主役である皇太子夫妻が、最初の二曲を踊っただけで引っ込むのもどうかと思ったが、
「セザリオ殿下ったら、ダンスがお好きでないのは変わっておりませんのね」
「苦手な舞踏会に出てきてくださって、感謝ですわ」
貴婦人たちの噂話に胸をなで下ろした。兄もダンスは苦手だった様子。そういえば子供の頃も武芸の稽古は喜んでも、舞踏の教師からは逃げ回っていたっけ。
人いきれと香水の匂いが充満した大広間から解放され、別室に移動した私は胸をなで下ろした。
清潔な白い布がかけられたテーブルには、銀食器やグラスが並び、目にも鮮やかなフルーツや軽食、可愛らしいケーキやペイストリーが並んでいる。
様々なワインが並ぶテーブル脇には侍従が控えていた。
「銘柄のご希望はございますか?」
「それでは南のスーデリア産の葡萄を使った――」
頼もうとしたとき、招待客の一団が部屋に入ってきた。皇太子夫妻との交流の機会を逃すまいと追いかけて来たらしい。高位貴族の令息どもがミシェル様を取り囲んだ。
「さあ妃殿下、こちらの果実酒をぜひ」
「このリキュールは、帝国でも有名な逸品です」
「妃殿下の美しさに乾杯を!」
青年貴族たちは次々と、ミシェル様のグラスに酒を注いでいく。素直なミシェル様は、
「わぁ、なんて芳醇な香り! 舌の上でとろけるようです。まるでビターチョコのような深み」
いちいち粋な感想を述べながら、飲み干してしまう。
淑女が過度に酒類を嗜むことは好ましくないとされている。ミシェル様の正体がバレるのではと気が気でない。令息どもの肩越しにのぞくと、ミシェル様の頬はすでに赤く染まっている。
「甘みと酸味のバランスが絶妙ぞ!」
なんだか口調も怪しい!? 心なしか表情もとろけぎみ。もしかしてミシェル様、ダンスも社交も完璧なのに、お酒には弱い!?
意を決した私は、手にしていたグラスのワインを飲み干し、令息どもの輪に分け入った。
「諸君、妻を少し休ませたい」
ミシェル様の手を取り、凄みのある笑みを浮かべて見回すと、令息たちは凍りついて身を引いた。皇太子は残忍な気質だという噂が役立った。
ミシェル様を空気のよい場所へ連れて行きたい。廊下から戸外へ出ると、柱廊を抜けて宮殿の中庭へ出た。彼はふわふわとした表情のまま、私に手を引かれてついてきた。
ひんやりとした夜風が頬を撫で、銀色の月光が草花を濡らしている。
「セザリオ様にお恥ずかしいところをお見せしてしまった」
恥じらうようにまつ毛を伏せるミシェル様がかわいらしい。月明かりの下、赤みを帯びた頬を隠すようにうつむく仕草は、抱きしめたいほど色っぽい。うっかり両手を広げかけたとき、
「ようやく二人きりになれた」
ミシェル様が顔を上げた。お酒のせいか、彼のとろんとした表情に、私のときめきは最高潮に達した。
だが、うるんだ瞳のままミシェル様が発した言葉に、私の甘い気持ちは吹き飛んだ。
「眠りを誘発する魔法薬について、メイに尋ねたんだ」
睡眠薬の謎が解ける!? 次回、メイの発言が明らかに!




