20、特訓したダンスの成果は?
着替えを終えて姿見の前に立つ。金の刺繍が施された濃紺のジュストコールは、普段よりさらに華やかだ。開けた前ボタンから、白シルクに精緻な模様が織り込まれたジレがのぞく。膝丈のズボンと絹のストッキングと相まって、洗練された皇太子としての品格を漂わせていた。
ミシェル様の着替えを待つ間、私は父の手紙を手本に、筆跡やサインを真似る練習を始めた。角ばった癖のある文字も、流れるようなサインも、忠実に再現する。
集中していると隣室に続く内扉が開いた。夜空のように深い青のドレスをまとったミシェル様が、恥じらうように立っている。
「セザリオ様、ご支度整いましたか?」
いつもの、わずかにかすれた声も愛らしい。シルクの生地は光を受けて艶やかに輝き、スカートには銀糸で織られた星々が瞬いている。
胸元の繊細なレースが胸筋の谷間を隠し、白い肌を引き立てるショールが、力強い肩幅から見る者の視線をそらしていた。
「僕、大好きなセザリオ様の前で、女の子の恰好ばかりなの、恥ずかしいです」
「いやミシェル、君はとても綺麗だし、似合ってるよ」
「セザリオ様こそ、最高に美しいです!」
頬をほんのり薔薇色に染めて、ミシェル様が近づいた。
ゆるやかに結い上げられた桜色の髪には小さな宝石が散りばめられ、歩くたびに揺れて光を反射する。
私は父の手紙を鍵のかかる引き出しにしまい、ミシェル様をエスコートして大広間へ向かった。
燦然と輝くシャンデリアの下、招待客たちはすでにおしゃべりに花を咲かせていた。きらびやかな衣装がフロアを彩り、華やかな香水の香りが満ちている。
私とミシェル様が姿を現すと、侍従長が声高に告げた。
「皇太子セザリオ殿下と、皇太子妃ミシェル様がお見えです」
潮が引くようにざわめきが消え、人々の視線が私たちに集中する。婚礼の儀でもバレなかったのだから大丈夫、と自分に言い聞かせて背筋を伸ばした。
私たちはゆったりとした足取りで、大広間の中心へと歩いた。
着飾った人々の奥から聞こえたのは令嬢方の歓声だ。
「キャーッ、セザリオ様ったら、なんてお美しい!」
「まるでおとぎ話から出てきたみたいですわ!」
思わずミシェル様の反応を確かめると、完璧に女装した彼は、なぜか笑いをかみ殺している。
「セザリオ殿下ったら、愛にあふれたまなざしでミシェル妃殿下を見つめていらっしゃるわ!」
いやいや、今のは怪訝そうなまなざしだったでしょ!
「あんな優しげな表情をされた殿下、初めて見ましたわ」
まあ比較対象が兄だからね。
「よほどミシェル様のことを愛していらっしゃるのね」
うらやましそうな声に、ミシェル様はにんまりと満足そうな笑みを浮かべる。
「セザリオ殿下といえば、お美しいのに冷徹なまなざしでしたのに」
「それがかっこいいなんて言う方もいるけれど、やっぱり笑顔の方が素敵ですわ」
「そのせいかしら? なんだか今日のセザリオ殿下、いつもよりお美しいと思いません?」
鋭いご令嬢もいて、背中を冷や汗が伝う。私と兄は瓜二つだが、表情や雰囲気のせいで印象が異なるのだろう。
青年貴族たちも、
「セザリオ殿下、いつもより優雅じゃないか?」
「整った顔立ちをされているとは思っていたが、絵画から出てきた貴公子のようだ」
「令嬢たちが騒ぐのも無理はない。あれだけ美しくてはなあ」
などと話している。男装していても美しいと言われれば嬉しい。うっかり相好を崩したら、ミシェル様にひじのあたりをちょんと小突かれた。
中央のシャンデリア下で立ち止まると、司会役の侍従長が高らかに宣言した。
「皇太子セザリオ殿下と皇太子妃ミシェル様のダンスを披露いたします!」
ついに来た! いくら外見をごまかせても、そつなく踊れたはずの皇太子が転んだら、今度こそ正体を疑われてしまう。
貴族たちが拍手を送る中、宮廷楽団が舞曲を奏で始めた。高い天井へと華麗に立ちのぼるチェンバロのアルペジオに心奪われたのも束の間、私の意識はダンスの振り付けに全集中となった。
――ヴァイオラならできるわ。
母上の言葉を思い出し、ミシェル様の手を取る。心の中で一、二、三とカウントを繰り返しながら、何度も練習したステップを踏む。
ミシェル様のほうへ一歩を踏み出し、彼をリードする――はずが、軽やかに動いたのはミシェル様だった。私に促されて半回転したように見せかけて、実は彼自身が体幹を巧みに使ってターンする。
私の腕に体をあずけたと思いきや、触れているのはドレスの布地だけ。自らの筋力で体重を支え、ミシェル様は軽やかに舞っていた。
私の拙さをカバーしてくれてる!?
ミシェル様は足の動きを絶妙に調整し、人々には分からないように私を引っ張ってスムーズに踊った。女性側の振り付けが完璧なだけでなく、さりげなく私をリードする。
一曲目が終わると、人々の拍手が降りそそいだ。周囲で見守る貴族たちの目には、優雅にエスコートする皇太子と、彼に身をゆだねる美しき妃の姿が映っていたことだろう。
二曲目からは身分の高い者たちが踊りの輪に加わる。二曲続けて踊ると、私は息が上がってしまった。
「セザリオ様、少し休みましょう」
ミシェル様が気を利かせて私の腕を引く。我ながら情けないが、離れで本ばかり読んでいたのだから仕方ない。
ここからは社交の場だ。社交界では身分の低い者から高い者へ話しかけるのは失礼に当たるため、皆、皇太子に声をかけられるのを待っている。
シャンデリアの灯りを反射して煌く大理石の床を、私たちがゆったりと進むたび、貴族たちは恭しく礼をした。招待客へ気遣いを見せるよう、私は侍従長から言い含められていた。
――女性のドレスやアクセサリーを褒めるのですぞ。
彼の言葉を頭の中で反芻する。
ダンスは乗り越えたヴァイオラ、社交も兄の振りしてスムーズにこなせるのか!?




