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02、皇女ヴァイオラ、兄セザリオに化ける

「セザリオ殿下のお部屋へご案内いたします」


 豪華絢爛な宮殿の廊下で、侍従長が(うやうや)しく一礼する。彼と並んで歩きながら、私は思わず口を開いた。


「兄はなぜ、大事な日の前日に狩りなど?」


 途端に、穏やかな貫禄をたたえていた侍従長の顔が、苦渋に歪んだ。


「私の息子は、セザリオ殿下の従者を務めております。殿下をお諫めしたところ、乗馬用の鞭で打たれました。殿下の折檻を恐れ、近臣たちは誰も逆らえないのです」


「ひどいわ。昔よりさらに悪化しているのね」


 兄は幼いころから敷地内で飼われている鶏や兎をいじめたり、使用人の子供を殴ったりと問題を起こしてきた。


「それで兄の様態は?」


「宮廷魔法医たちが付きっきりで治療に当たっています。足首も怪我されて、例え意識が戻られてもしばらくは杖を使っての生活になるとか」


 足が不自由でも、意識さえ戻ってくれれば私は兄の身代わりなどという妙な役目から解放されるだろう。


 大階段に差し掛かったとき、ニーナがぽつりとつぶやいた。


「天罰が下ったのですわ」


「ちょっと、ニーナ!」


 私は慌てて声をひそめた。宮殿内では、うかつな発言は禁物だ。ニーナの立場が危うくなってしまう。


 弁解しなければと侍従長を振り返る。しかし、彼はそっと目をそらした――が、白髪の混じる顎髭が小刻みに震えている。必死に笑いをこらえているのは明らかだった。


 やがて侍従長はコホンと咳払いをひとつ。何事もなかったかのように、皇帝の執務室と同じく無駄に豪華な大扉を押し開いた。


「こちらが殿下の居室でございます」


「まあ、ずいぶん広々として、まるで大広間ね」


 私は呆れと感嘆の入りまじった溜め息を漏らした。壁の絹張りに織り込まれた金糸と銀糸が、窓から差し込む陽光を反射してキラキラと輝いている。


「舞踏会が開けそうですね」


 冷え切ったニーナの声に笑いをかみ殺しつつ、侍従長は大きなクローゼットを開けた。


「皇太子殿下の婚礼用衣装です。靴のサイズも複数取り揃えました。合うものにこちらのバックルをお付けください」


 侍従長が手のひらで示したのは、小粒のダイヤがずらりと並んだ豪華なバックルだ。


「ニーナさんには小姓の服を用意させました」


 侍従長から、ベージュ地にこげ茶の刺繍が施されたジュストコールを受け取ったニーナは、首をかしげた。


「小姓? 私は従者に化けるのでは?」


「ニーナさんの身長では小姓にしか見えませんよ」


 ほがらかにほほ笑む侍従長は、小柄なニーナの目が剣呑な光を帯びたことに気付かなかったようだ。


「それではお嬢様方、お着換えのあいだ、わたくしは廊下に出ております。ヴァイオラ様、お部屋からお持ちした方がよい品はございますか?」


 侍従長の問いに私は首を振った。兄の振りなど今日限りだろう。すぐ離れに戻るのだから必要ない。


 だがニーナは私を見上げた。


「ヴァイオラ様、本棚に並んでいる政治学や経済学の本をお持ちいただきましょう」


「かしこまりました。運ばせます」


 侍従長は片手を胸に当て、頭を下げながら扉を閉めた。


 彼の姿が廊下に消えるとすぐに、ニーナは私の着替えを手伝い始める。


「うしろのボタンを外しますね」


 背伸びをして、私が着ている母上のドレスを脱がせてくれた。私の身長が伸びすぎたため、まともな皇女として生活していた頃にあつらえたドレスは着られなくなってしまったのだ。


「まずこちらのシャツをどうぞ」


 ニーナに差し出されたのは、贅沢にレースをあしらった絹のシャツ。バルコニーを備えた大きな窓から差し込む午前の陽射しに、白く発光しているかのようだ。


「見てください、ヴァイオラ様。カフスボタンにまでダイヤが嵌まっています」


 口を尖らせたニーナが、私の袖口に兄の贅沢なボタンを留めてくれる。婚礼用の衣装ということで、いつも以上に豪華なのだろう。


 それから白いタイツを履き、白地に金の刺繍が施されたキュロットを身に着ける。腰のボタンを留めていると、ニーナの視線が私の股あたりをさまよい始めた。


「ヴァイオラ様、ややボリューム感に乏しいので、ハンカチでも丸めて入れておきますか?」


「結構よ。婚礼の儀なんて間近で見られるわけじゃないんだから。無駄な気を回さないで、膝のボタンを留めてちょうだい」


 私はふわふわのクッションが心地よい椅子に座り、長い足を投げ出した。ニーナはひざまずいて、くるみボタンとバックルを留めてくれる。


「ヴァイオラ様にとっては無駄なことでも、スーデリアの王女様はお気になさるかも」


「ミシェル様は殿方の股間を凝視するような方ではないはずよ」


 ニーナをいなしつつ、私はミシェル様ってどんな方だったかしら、と記憶をたどる。


 十四歳で離れの屋敷に隔離された私は、皇女として社交界デビューを果たしていないため、茶会や夜会での面識はない。それでも、帝国がまだ平和だったころ、新年の祝賀のためにスーデリア国王一家が訪れたことは覚えている。


 国王夫妻には、桜色の髪をした美しい姉妹がいらしたはずだ。長女のミシェル様は私と同い年くらいだったろうか。


 しかし二年前、ドミナントゥス帝国は言いがかりをつけ、南の隣国スーデリア王国へと進軍した。スーデリアは小国ながら、海運の(かなめ)に位置していた。父が王国の港を狙ったのは明らかだった。


 優秀な魔術師を多く(よう)する帝国の魔術騎士団を前に、スーデリア王国が(あらが)えるはずもなかった。戦はほどなくして終わり、スーデリアは帝国の支配下に置かれた。そして終戦協定の名のもと、両国の融和を図るという理由で、スーデリア国王は愛娘(まなむすめ)を帝国へと差し出したのだった。


「かわいそうに、ミシェル様は人質も同然だわ」


 前身頃に繊細な刺繍を施したジレを着ながら、私は沈んだ声を出した。


「ヴァイオラ様だって帝都から遠く離れた辺境伯領に嫁がなければならないのに、他国の姫君を心配されるなんて、心優しい方」


 ニーナが私の首元にジャボを付けてくれる。


 ジュストコールを羽織る前に靴を履き、侍従長に指定されたダイヤ付きのバックルをつけた。


「髪型はどうしようかしら」


 椅子に座ったままニーナを見上げると、


「お任せください」


 私の長い髪を手早く解いて、うしろで三つ編みにした。くるくるとまとめて、黒シルクの布で包み込み、うなじの辺りでリボンを結べば完成だ。


「ヴァイオラ様、いかがでしょうか? この髪型なら殿方たちの流行にも合っていますし、髪の長さもごまかせます」


「素晴らしいわ」


 私は立ち上がり、金箔の装飾で縁どられた姿見の前に立った。純白に金糸の刺繍が高貴なジュストコールに袖を通すと、姿見の中には一瞥しただけでは兄にしか見えない美青年が立っていた。

次回は婚礼の儀。ミシェル王女とご対面です!

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