19、不老不死の魔法薬
一気に話すとミシェル様が目を見開いた。私は彼が何か言う前に付け加えた。
「重臣の中には、これが君の仕業ではないかと疑う者もいる。だが私は君を守りたい」
ミシェル様はしばらく何も言わなかった。記憶をたどっているのか、それとも難しい決断を迫られているのか――
ミシェル様はやがて、ためらいがちに口を開いた。
「睡眠薬なら、メイが持ってきている」
端正な横顔は憂いを帯びていた。
「でも、あの子が皇帝陛下に近づけるとは思えない」
婚礼の儀における近衛兵の数を思い出せば、スーデリア王国から来たメイが警戒されているのは明らかだ。皇帝の執務室に入り、酒瓶に魔法薬を混入できるだろうか?
「あの蒸留酒は占い師が父に贈ったものなんだ」
私が新たな情報を加えても、ミシェル様は首をひねるばかりだ。
「占い師とメイに接点が?」
「ないだろうな」
「メイは、ニーノ様以外の方とはほとんど話していないはずなんだ」
――ニーナ。
心臓が跳ねた。鼓動を悟られないよう、私はミシェル様から離れて、南国の植物が作り出す小道へ迷い込んだ。
ニーナはメイと親しげに話していたが、皇帝を眠らせる動機なんて――
「あるかも」
脳裏をニーナの言葉が駆け巡る。
――ヴァイオラ様が本当の皇太子だったらよかったのに。私たちは未来に生きるのです!
あの子ならやりかねない!?
「セザリオ様」
追いかけて来たミシェル様が、私を思考の波からすくい上げた。
「僕、メイに尋ねてみます!」
ニーナを問い詰めるのは、ミシェル様からメイの回答を得たあとでも遅くない。私の思い過ごしかも知れないのだから。
私たちはすっかり暗くなった温室を出て、月夜の庭園を並んで歩いた。ミシェル様は凛々しい剣士姿を女性物の外套で隠してしまった。
でも私だけは、ドレスの下に隠された彼の精神が、気高く強いことを知っている。自国から連れてきた唯一の侍女にとって不利になる話を打ち明けてくれたミシェル様は、やっぱり誠実な方だわ!
翌日、私が皇帝の執務室で政務を代行していると、また魔法医ファルマーチがやって来た。
「殿下、誰が陛下に魔法薬を飲ませたのか、判明しましたでしょうか?」
「目下調査中だ」
私は短く答えた。ファルマーチはどこか人を見下したような薄笑いを浮かべている。
「昨夜、陛下に毒消しポーションを処方しました」
ファルマーチのうしろに立っている宰相の片眉がぴくりと動いた。
私は平静を装って、ファルマーチの報告を聞く。
「体内から魔法薬の効果が完全に消えるのには時間を要します。が、明日には目覚めるでしょう」
父が政務に復帰する―― 三日前の私なら喜んだだろう。だが今は、執務室から去るのが惜しい。
魔法医が出て行くと同時に、私は口を開いた。
「魔法薬の件だが――」
しかし宰相は、私に手のひらを向けた。
「殿下、おっしゃる必要はございません。私は何も聞かなかったことにしましょう」
皇帝から政務能力を奪いたい宰相にとって、誰かが睡眠薬を盛ったのなら好機でしかない。だが立場上、犯人が明らかになれば、罰さないわけにはいかない。
私は黙ったままうなずいて、話を変えた。
「貧民街の行方不明者についてだが」
昨日ミシェル様から聞いた子供たちの噂話を伝えた途端、執務机の脇に立っていた侍従長の顔が青ざめた。
「まさか」
私と宰相の視線が侍従長に集中すると、彼は慌てて両手を振った。
「ちょっとした思い過ごしでして!」
「関係ない話ならそれでも構わない。だが、どんな小さなことでも気づいたなら話してほしい」
私が頼むと、人のよさそうな侍従長は眉尻を下げ、小声で打ち明けた。
「実は以前、陛下がファルマーチ先生に、不老不死の魔法薬を開発できないかと尋ねておられたのです」
「ファルマーチはなんと?」
宰相が声を低くする。
「難しいでしょう、と笑っていました。ですが陛下は、もし実現させたなら爵位とブリュームの土地を一部与えようと約束したのです」
宰相は難しい顔で腕を組んだ。
「魔法薬の効果を試すために、貧民街の者をさらって服薬させ、殺害している?」
侍従長はぶるっと身を震わせた。
「実験するなら人間ではなく野良犬などで試すのでは?」
「いや」
私は魔法学の授業を思い出して首を振った。
「昔の禁呪に死人を蘇生させる術が存在したそうだ。だが死霊使いに操られるだけで、自我や意志は持たなかったらしい。生き返っても動物では人格が保持されているか分からないから、人間を使うのかも知れない」
「殿下はよく勉強されておりますな」
宰相が嬉しそうな顔をする。一方、侍従長は怪談でも聞いたかのようにおびえていた。
「死霊使いとは面妖な。お話を聞く限り、人間がまともな状態でよみがえるのは難しそうですね」
私は大神官がおこなった神学の講義を思い出す。
「教会の教えでは、人の魂は不滅で、死後に神の国でよみがえるのだったか。だが動物の魂は人間のような霊性を備えておらず、不滅でもないとされていたな」
宰相が口ひげを引っ張りながら首肯した。
「そのあたりが、実験に人間が必要な理由かも知れませんな。噂が事実ならば、ですが」
その後も政務が忙しく、ミシェル様と二人で話す暇もないまま、午後の日差しは傾いた。
本日夕刻には皇太子妃お披露目舞踏会がある。侍従長によるダンスレッスンも今日が最後。彼の指導にも熱が入り、私の個人練習に時間を取られてミシェル様と合わせる機会もなかった。
最後の追い込みとばかりにダンスだけでなく、皇太子らしい身振りや礼儀作法まで叩き込まれた。
ようやく解放されたのも束の間、湯浴みを済ませて皇太子の間に戻ってくると、ニーナが手ぐすねを引いて待っていた。
「さあ美しいセザリオ様、着飾りましょう!」
ニーナは張り切って私の着替えを手伝う。男装生活も五日目。彼女も慣れたものだ。
次回はいよいよ皇太子妃お披露目舞踏会。ヴァイオラはちゃんとダンスを踊れるのか? 正体バレずにやりすごせるのか?




