18、ヴァイオラとミシェルの温室デート
「もちろん決めるのは殿下です。が、この二人が信用できる人物であることは、私が保証しましょう」
宰相の言葉に私は目を伏せた。確かにこのまま兄の評判が高まるのは危険だ。大蔵卿のように皇帝の政策に反発する重臣たちが、皇太子を持ち上げて父を退位させようと動けば、帝国の一大事になりかねない。
私は迷いを振り払い、大きく息を吸った。うなじに手を伸ばし、長い髪を隠していたシルクのリボンを解いた。
ブルネットの髪がふわりと頬にかかる。
三人の男が同時に感嘆の吐息を漏らした。
「その美しい御髪は――」
「まさか……」
私は静かに真実を告げた。
途端に騎士団長がひざまずく。
「なんと神々しい! 性別を超越されたそのお姿、まるで戦場に舞い降りた勝利の女神のようだ!」
次に大蔵卿が、顎の下で太い指をからめた。
「あの可愛かったヴァイオラ様が、こんな凛々しくスレンダーに成長されたとは! わしの贅肉を分けて差し上げたい!」
え、どこに?
宰相がこめかみを押さえて渋い顔になった。
「大蔵卿、無礼ですぞ」
「わし、腹が出てるから分からんでしょうが、実は巨乳なんですよ!」
なんだかこのオッサンたち、思ってたのと反応が違う!
「冗談はともあれ」
大蔵卿は鷹揚に笑った。冗談きついわよ!
「殿下の言動を振り返れば、むしろ納得ですな」
「うむ。結婚した途端、別人のように美しく優しくなられたと不思議であったが、別人で安堵いたした」
腕を組んでうなずく騎士団長に、宰相が含みのある笑みを向けた。
「帝国の未来に必要なのは、信頼できる指導者ですからな。男であれ、女であれ」
夕食前のひと時、私はミシェル様を温室へ連れ出した。落ち着いた場所で二人きりになって、睡眠薬の件をこっそり切り出すつもりだった。
孤児院視察から戻って来たばかりのミシェル様は、防寒を考えたのか、妙に着ぶくれしていらっしゃる。
「馬車の移動は寒かったかい?」
ガラス張りの大きな扉を押し開きながら尋ねると、ミシェル様は秘密めいた笑みを浮かべた。修道院が運営する孤児院はいつも資金難だから、暖炉の薪も充分にくべられておらず、室内も冷えるのだろう。南方のスーデリア出身のミシェル様には堪えるはずだ。
だが宮殿の中庭に建つガラス張りの温室は、冬の冷え込みとは無縁。湿り気を帯びた暖かな空気に満ちている。
「ここでは僕とセザリオ様、二人きりだよね?」
鮮やかな緑の葉が生い茂る木陰で、ミシェル様は外套のボタンを外し始めた。彼が身に着けているのは、カーテンのように厚い生地で作られた前ボタンのワンピース。スカート部分が大きく広がり、帝国では見慣れないデザインだ。
「この服、特注なんです」
ミシェル様が勢いよく外套を脱ぐと、その下からは黒づくめの剣士姿が現れた。タイトな黒いシャツにスリムなズボンを履き、ロングコートを羽織っている。腰からは細身の剣まで下げていて、私は言葉を失った。シャツの胸元からのぞく素肌から、慌てて目をそらす。
「セザリオ様、男の子の僕は、嫌い?」
不安そうな声が聞こえて、咄嗟にブンブンと首を振った。
「昨日の昼、宮廷長官が突然、城下の視察に行くよう勧めてきたんだ。馬車が貧民街を通ったときに刺客でも現れるのかと思って、戦える服装で出かけたんです」
ミシェル様は、色とりどりの花に囲まれたテーブルセットの上に、大きな外套を乗せた。
「そんな気を張っていたんだな。身の危険を感じさせて申し訳ない」
私はミシェル様を抱きしめようとしたが、逆に抱きしめられてしまった。花々の甘い香りとミシェル様から漂う匂いがとけあって、クラクラする。
「ミ、ミシェルっ、孤児院はどうだった!?」
自我が保てなくなりそうで、私は早口で質問した。
「少し気になる話を聞きましたよ」
彼は手柄を自慢する騎士のように、青い瞳をきらめかせた。
「視察後、院長先生とお茶を飲んでいたら、庭で追いかけっこをする子供たちの声が聞こえてきたんだ。鬼役の子が――」
ミシェル様は声をひそめた。
「『俺は悪い魔法医だ! お前らをさらって人体実験に使ってやるぞ』なんて言っていた。院長先生に尋ねたら、貧民街で保護された子供だと」
私は息を呑んだ。行方不明者が多発している事件と関係があるのか?
ミシェル様は慎重に言葉を選んで続けた。
「子供たちの話では、宮殿の地下で恐ろしい実験が行われているという噂があるらしい。顔見知りの人物が突然いなくなったと話してくれた子もいました」
貧民街に潜んでいる者には、騎士団から逃げ回っている犯罪者や、借金取りの目をくらませた博打好きもいるから、いきなり逃亡したとしても不思議はない。だが、ただの噂にしては妙に具体的だ。
「宰相に伝えておこう」
私が約束すると、ミシェル様は何か思い出したのか、ポンと手を叩いた。
「大臣たちとの会議はいかがでした?」
「大成功だったよ!」
私はたまらず、ミシェル様に抱きついた。
「ミシェルの案が全面的に通ったんだ!」
「ふふふ、セザリオ様の人徳と話術の成果ですよ」
ミシェル様は私を抱きとめて、大きな手で頭を撫でてくれた。
「がんばったね。僕の自慢の皇子様」
チュッと音を立てて額にキスされて、首から上が沸騰する。落ち着くのよ、私!
意識的に、右手の薬指に嵌めたペリドットの指輪を撫でる。
「この温室は、母上の愛した場所なんだ」
全く脈絡のない発言をしてしまったのに、ミシェル様は優しく私を抱き寄せて、ゆっくりと歩き出した。
「家族の思い出の場所なんですね」
彼の声はどこまでも甘い。まぶたの裏に、愛する皇后のために様々な植物を取り寄せていた父上の姿がよみがえる。
だが今の父は――
私の溜め息が薔薇の花びらを揺らす。
「ミシェルは『神々の書』という神話を記した書物を知っているか?」
「古代神聖王国について書かれた本だよね?」
「父上の理想は、古代神聖王国の領土を復活させることなんだ」
執務室のマントルピースの上には、金細工で作られた古代王国の地図が飾られている。
ミシェル様は長い脚でゆったりと、花々の間を歩きながら、記憶をたどるようにガラス窓を見上げた。
「ドミナントゥス帝国の皇帝は、古代神聖王国を立てた神の血を引いているんだっけ」
「自称だね」
私は苦笑した。古代王国が滅びたあと何百年も経ってから、自称子孫がドミナントゥス王国を建てたのが、現在の帝国の始まりなのだ。
ミシェル様は、ドーム状のガラス天井から差し込む夕日に目を細めた。
「古代神聖王国の復活、か」
低い声でぽつりとつぶやいた。
「皇帝陛下は、過去ばかり見ているんだな」
冷静な分析に、私の胸はざわついた。
私も同じではないか?
父上を元に戻したいと願うことも、もう一度あたたかい家族を取り戻したいと望むことも、過去をなつかしんでいるに過ぎないのでは?
私は、前に進まなければならない。ミシェル様と共に。
一歩ずつ、ミシェル様と歩調を揃えて温室を巡りながら、私は心を決めて口をひらいた。
「父上の部屋にあった酒瓶から、スーデリア王国方面で作られている眠り薬が検出されたんだ」
ついに言った、睡眠薬の話! ミシェルの答えは!?




