16、宰相に男装がバレた!?
「あの酒は、占い師が陛下へ個人的に献上したものなのです」
侍従長は力なく首を振った。
「陛下は占い師に全幅の信頼を寄せていらっしゃるゆえ、毒見は必要ないとおっしゃって――」
ファルマーチは、もともとそういう顔立ちなのか、薄笑いを浮かべたままうなずいた。
「毒消しポーションを調合するのですじゃ」
魔法医が執務室から出て行くのと入れ違いに、宰相があわただしく飛び込んで来た。
「遅くなりました! 昨夜の大雨で道がぬかるんでいて、馬車が渋滞しておりまして」
「それはお疲れでしょう。着いて早々悪いが、二つほど報告したいことがある」
話し始めようとしたら、宰相が感動して私を拝みだした。
「まさかセザリオ殿下が遅刻した部下を折檻されない日が来ようとは!」
兄の所業は想像以上だ。私はひきつった笑いを浮かべながら、ファルマーチが特効薬の価格を吊り上げている疑惑と、占い師が皇帝に睡眠薬を盛っている可能性について話した。
「分かりました。ファルマーチについては密かに調べさせましょう。この酒は――」
宰相はシェルフから、半分ほど残った酒瓶を手に取った。
「宮廷魔道士に回して検査させましょう」
「では魔道長官の研究室へ持って行きます」
侍従長が酒瓶を受け取って執務室を出ると、宰相が上着を脱ぎながら声を低くした。
「これは好都合かもしれませんな」
「あの占い師を追い出す好機だと?」
尋ねた私の目を、宰相がひたと見据える。
「逆です」
私は無言のまま眉をひそめた。宰相は壁のフックに上着をかけながら、
「宮廷長官殿も大蔵卿も、戦ばかりする陛下にはうんざりしておりますからな」
私に背を向けたまま平然と言い放った。法衣貴族たちは父を排除するつもりなのか? 鼓動が不吉な音を立てる。
振り返った宰相が、私をまっすぐ見つめた。
「宮廷長官から聞きましたぞ。本日午後の会議は、セザリオ殿下発案だと。ブリューム紛争を平和的に解決する――願ってもいないことです」
宰相の頬に喜色が浮かぶ。
「正直に申し上げれば、私はこれまでセザリオ殿下を誤解しておりました。残忍な皇太子と比べれば、まだ皇帝陛下のほうがまともなお方だと考えておりましたが、今やその考えを改めねばなりません」
宰相は胸と口髭をピンと張り、両手を大きく広げた。
「皇太子殿下がこれほど聡明で民を思う方なら、皇帝の座に他の誰を必要としましょうぞ!」
「大変ありがたいお言葉だが――」
私は偽物なのだ! 私に期待して父上を退位に追い込むなど、決してあってはならない。その後に兄上が目覚めたら、残忍なあの男が帝国を統べることになってしまうのだから!
「殿下?」
宰相が近づいてくる。執務机に両手を置いた彼を、私は見上げた。帝国をゆるがす一大事だ。私の個人的感情より、優先しなければならないものがある。今は保身に走る時ではない。
「私は―― 私はセザリオではない!」
執務室に沈黙が落ちた。
だが宰相の表情は変わらなかった。彼はゆっくりとうなずいた。
「ようやく打ち明けてくださいましたな」
気付かれていた!?
声すら出せない私に、宰相はおだやかな笑みを向けた。
「表情も仕草も言動も、別人でしたから。やはりあなたを見込んだ私の目に狂いはない。ヴァイオラ殿下、あなたこそ帝国の未来に必要な、真の皇帝だ」
息を呑む私の耳元で、宰相はささやいた。
「すでに数ヵ月前から、一部の者たちにはヴァイオラ様を次期皇帝として推そうという動きが出ていたのです」
「なんですって!?」
「二年前に皇后陛下の喪が明けてからも、皇帝陛下のご様子はお戻りにならない。皇太子殿下は昔からやんちゃなお子でしたが、大人になるにつれ苛立ち、家臣に手を上げる方になってしまった」
重臣たちの希望が、離れに閉じ込められた皇女に集まるのは、自然な成り行きだったというわけか。
「ヴァイオラ様はお小さい頃から学問がお好きで、優秀でしたからなあ」
私が返すべき言葉を探していると、執務室の扉がノックされて、壮年の騎士が姿を現した。騎士服を飾る勲章の多さから察するに、指揮官クラスだろう。
彼はびしっと敬礼して大声を発した。
「第八騎士団所属第五師団長のボアズです! 貧民街における行方不明者多発事件調査の件で、進捗報告に参りました!」
「ご、ごくろう」
私は勢いに呑まれて返事をする。
「目撃者の証言によると、深夜、泥酔した人間が何者かによって皇宮の方角へ連れ去られるそうです!」
皇宮の方角とは聞き捨てならない。
「その証言は信用できるものなのか?」
貧民街の人間だからと疑うつもりはないが、治安の悪い街で深夜に目撃証言をできる人間となると疑問が残る。
「半分は路上で客を取る娼婦たちです。それから違法賭博場の用心棒、密造酒の売人、路上生活者など信用に足らぬ者たちですが、互いに面識のない者が一致した証言をしているので、信憑性はあるかと」
「なるほど。妙な噂が流れて宮廷に反感を持つ者が現れても困る。深夜に張り込みをして、怪しい人物が現れたら尾行してほしい」
「御意!」
師団長はまた無駄に大きな声で吠えた。
「今夜から調査を開始します!」
敬礼するなり、執務室の扉を閉めて姿を消した。
その日の午後、私は侍従長に案内されて、宮殿内の「戦略の間」へと足を踏み入れた。書架に囲まれた静かな空間には、宰相をはじめとした法衣貴族たちが醸し出す、張り詰めた沈黙が満ちていた。場違いな場所に来てしまったという恐れをかなぐり捨てて、私は背筋を伸ばす。
「セザリオ殿下、お待ちしておりました」
帳簿や巻物が並ぶ大机の向こうで、身なりの良い壮年紳士が立ち上がった。
「殿下が平和を望んでいると知って、この宮廷長官、感激しましたぞ」
「今まであの暴君に遠慮して、ご自身の政策を打ち出せなかったのですな」
宮廷長官の隣で、よく肥えた男が勝手に納得する。貴族名鑑に載っていた肖像画より品位に欠けるが、彼は大蔵卿だろう。
足音の響く大理石の床を中央の大机まで歩いた。机上には帝国全土を描いた地図が広げられ、重臣たちが周りを囲んでいる。
「皆の者、本日は急な呼び出しに応じてくれて、礼を言う」
私は重臣たちを順に見回した。宰相に宮廷長官、大蔵卿、それから―― 金糸の織り込まれた騎士服姿は騎士団長、ローブを着て机に杖を立てかけているのは魔道長官だろう。彼らのうしろにはそれぞれの侍従が書記として控えている。
「一刻でも早くブリューム自治領との戦を終結させるため、緊急で集まってもらった」
いよいよ、昨夜ミシェル様が授けてくれた終戦条約の案を、皆に認めさせるときが来たのだ。
次回、ヴァイオラ会議で大活躍! となるか!?




