14、異性装にはお風呂ハプニングが付き物
「誰だ!?」
とにかく誰何する。
「ロベルトです」
いや、誰よ。
次第に近づいてくる声に、私は必死で叫んだ。
「さ、下がれ! 余は一人で風呂くらい入れる!」
兄は「余」なんて言わなかった!
「どうされました、殿下? お声がいつもより高いような」
しまったー! 動揺して声が上ずってしまった!
「と、とにかく下がれ! 僕ちゃんは裸を見られとうない!」
兄上は僕ちゃんなんて言わない。焦ると普段のあの人の口調が思い出せないわ。
「やっぱり殿下、僕が狩りに付き合わなかったの、お怒りなんですね?」
なるほど、この侍従、兄が落馬した日に供をしていなかったから、事情を知らないのね――って理由が分かったところで、なんの解決にもならない!
「今日は一人で浴びたい気分なのじゃ!」
「殿下、のぼせてません? 失礼ですが、お口調が――」
すぐうしろまで迫る声に、私は決意した。銀の水差しでこいつの頭を強打するしかない!
柄をぎゅっと握ったとき、
「セザリオ殿下のお世話は僕が!」
聞き覚えのあるテノールの美声と共に、桜色の髪の小姓が飛び込んできた。手には大きなシーツを持っている。
――ミシェル様!
その名を呼ぶ前に、私の身体をリネンが包み込んだ。
走ってきてくれたのか、上気した美青年の顔が、すぐ近くに迫る。
「大丈夫ですか、セザリオ様」
コクコクとうなずく私に、ロベルトとかいう侍従は、ぽかんとしていた。
「殿下、この小姓は――」
「新しく雇い入れた騎士の息子だ。彼に頼むから君は下がって良い」
適当な話をでっち上げて追い払う。
「ははっ」
ロベルトとやらは頭を下げて、素直に去って行った。
た、助かったー!
「ミシェル、ありがとう」
私は胸の前でシーツの端をぎゅっと握り合わせた。ミシェル様は私の髪を優しく撫で、
「間一髪でしたね」
いつもの中性的な声質に戻してほほ笑んだ。甘い音色が鼓膜を打つ。
恥ずかしくなってうつむいたら、片膝立ちになったミシェル様の下半身が目に入った。あれ? なんだか、あらぬところがふっくらされているような――
「み、見ないでくださいっ、セザリオ様!」
ミシェル様が恥じらって両手で前を隠した。か、かわいい!
「すまぬ」
私は慌てて目をそらす。
でも私やニーナが男装しても、あんなところが豊かになったりしないんだけど……
ミシェル様はさっと立ち上がった。
「また人が入って来ないよう、ミシェルが外で見張っています!」
元気に宣言して湯殿から出て行った。
私は再び水差しに湯を汲み、そっと肌を撫でるように流した。繊細な花の香りがふわりと広がる中、ふと疑問が頭をもたげた。
なぜミシェル様は、私が侍従に湯浴みを見られたらまずいと思ったのかしら?
まさか私の男装、見破られてる!?
その夜、皇太子の部屋でリネンの寝間着に着替えながら、身支度を手伝ってくれているニーナに湯殿でのハプニングを話したところ――
「申し訳ありません!」
がばぁっと頭を下げられてしまった。
「そのロベルトとかいう侍従、私と宮殿の廊下ですれ違っているのです。湯殿の準備を終えて廊下へ出たら、湯浴みをされるのはセザリオ様かと尋ねられまして」
湯浴みの間は皇族専用だから、私が離れに追い出されている現在、皇帝か皇太子しか使わない。
ニーナによるとロベルトは、兄上が狩りに出かけた日、体調を崩して自宅で寝ていたそうだ。翌日、出仕したところ、侍従長から突然皇太子付きの役目を外され、宮廷長官のもとで働くよう言い渡されたらしい。
「それで挽回しようと、湯浴みの間に乗り込んできたのかしら」
私は疲れた声を出した。夜になって雨が降り出したのか、外からは時折、雫の落ちる音が聞こえる。
「ミシェル様が駆けつけてくださらなかったら――」
想像するだけで恐ろしい。
「皇太子が女体化したと大騒ぎになっていたでしょうね」
予想の斜め上を行くニーナの発言を無視して、裾の長い寝間着の上にガウンを羽織る。私は今夜も、夫妻の寝室に続く内扉を開けた。
夜の帳が降りた皇太子妃夫妻の寝室には、天蓋付きのベッドと、柔らかなランプの灯りが静かに揺れている。広々とした空間には、夜の静寂が心地よく満ちていた。
「セザリオ様、お待ちしておりました!」
ミシェル様が嬉しそうに駆け寄ってきた。桜色の髪をネグリジェの背中にたらした姿は、花の精のように愛らしい。リネンのネグリジェは生地がしっかりとしている上ゆとりのある作りなので、胸のふくらみはよく分からない。
ミシェル様は私の手を引いて、ベッドサイドへ連れてゆく。
「セザリオ様、今日もいっぱいお話ししたいことがあるんです」
ミシェル様はベッドに腰かけ、隣をぽんぽんと叩いた。私がこぶし二つ分くらいあけて腰かけると、ミシェル様はさりげなく膝が触れるくらいの位置に座り直した。
「今朝、セザリオ様がご覧になった陳情書に、魔法薬師ギルドからのものがあったでしょう?」
城下で呪疱熱が流行している件だろう。表情を硬くしてうなずく私の手の甲に、ミシェル様があたたかい手のひらを重ねる。
「先ほど、夕食の支度をする侍女たちが流行り病について話していたので、ミシェルもまざってみました」
ミシェル様は冒険譚を披露する少年のように瞳を輝かせた。
「彼女たちが言うには、宮廷魔法医ファルマーチが薬の価格を吊り上げているのではと」
「開発者である彼が利権を独占しているのか?」
私は片手をあごに添え、明日の予定を思い出す。
「宰相に報告して調査してもらおう。明日はちょうど法衣貴族たちとの会議が予定されているんだ」
夕食後に侍従長が、宰相や宮廷長官、大蔵卿に騎士団長といった面々と、ブリューム紛争終結案について話し合う段取りが整ったと教えてくれたのだ。
「ミシェルも明日の会議に出席するだろう?」
「参加したいのは山々ですが、ミシェルは明日、皇太子妃として、修道院が運営する孤児院を視察しなければなりません」
ミシェル様もなかなかお忙しいようだ。だが、紅い唇に秘密めいた笑みを浮かべたミシェル様は、私の手を握って引き寄せた。
「でも僕、思いついたんです。帝国の威信を損なわずに、ブリューム自治領の負担も最小限にしつつ、紛争を解決に導く方法を」
自信に満ちた笑みを浮かべるミシェル様の頬に、ゆらめくロウソクの灯りが名画の如き陰影を描く。
ミシェル様は私の耳に唇を近づけ、停戦条件の斬新なアイディアについて教えてくれた。
部屋の中央では暖炉の火が音を立てて爆ぜる。外では雨音が次第に激しさを増し、宮殿を包み込むように響いていた。
「確かにその案なら――」
鼓動が高鳴る。
「大臣たちを納得させられるかも知れない」
だが、どんなに良い案でも宰相たちに受け入れさせなければ意味がない。それは私の役目だ。
「彼らを説得してみせよう」
握りしめたこぶしを、ミシェル様の両手が優しく包み込む。
「セザリオ様、背負いすぎないで。もっと僕を頼ってほしい」
いつの間にか、ミシェル様のお声が低くなっていたことに気が付く。その甘いテノールで、ヴァイオラ、と私の本名を呼んで欲しくて胸がうずいた。
「セザリオ様の手、冷たくなってる。寒いですか?」
深い海のような瞳が、まっすぐ私を見つめる。真摯なまなざしに、心の奥深くが静かに震えた。
ミシェル様は私の肩に腕を回し、抱き上げるように立たせると、分厚いベッドカバーをめくった。
「明日も忙しいのですから、もう寝ましょう」
言葉と同時に、私のうしろでかがんだと思ったら、両膝の下にミシェル様の腕が添えられた。
「へ?」
間抜けな声を出したときには、私はミシェル様にお姫様抱っこされて、シーツの上に寝かされていた。
いよいよ次回、ミシェルの正体が明らかに!




