13、ドラーギ将軍、男装皇女に心酔する
人のよさそうな侍従長に偽物の資料をつかまされたのかと落ち込んだが、誤解はすぐに解けた。ドラーギ将軍が、ソファから床に散らばった報告書を拾い上げる。
「こちらは対外的に発表する内容をまとめたものですな。実際の極秘作戦については記載がありません」
侍従長は使用人という立場上、真相を知らなかったのだ。
私はため息をついて、足を組みかえた。
「宰相たち高位貴族は、父の作戦に賛成しているのかな?」
「命令ゆえ」
ドラーギ将軍はぶっきらぼうに答えた。
「父ひとりが暴走しているというわけか」
「吾輩は、セザリオ殿下と親子お二人で仲良く侵略計画を立てているのかと思っておりました。ですが、セザリオ殿下はまともな方であられた」
棘しかない言い様に苦笑を禁じ得ない。
「敵が反乱軍でないなら、将軍は何と戦っているのだ?」
「領主の私兵が指揮を取り、民衆が奇襲を仕掛けてくるのです」
そうか、とつぶやいて、右手の薬指に嵌めた母上の指輪をそっと撫でた。
私の願いは今も変わらない。優しい父を取り戻し、帝国に平和をもたらすことだ。でも、父を動かさなくても私の力で、二つ目の願いを叶えられるのでは?
「将軍、私は戦を終わらせたい。ブリューム領に魔法陣の修繕を負担してもらう程度では、停戦条約を結べないだろうか?」
「吾輩は戦の作戦を立てるのは得意でも、政は分かりかねます。が、魔法陣の修復は最低条件かも知れませぬ」
部屋のすみでまたミシェル様が挙手したので、私はうなずいて発言の許可を出す。
「スーデリア王国との終戦協定を参考に考えますと、賠償金の請求は避けられないでしょう」
ミシェル様の明晰な言葉は、知性の羅針盤のように私を導いた。ブリューム領は養蚕で栄えている土地だから、賠償金を支払う余剰はあるだろう。どの程度の金額なら負担になりすぎず、帝国側の威信も保てるのだろうか?
私とドラーギ将軍は、ミシェル様も交えて話し合った。ミシェル様は小姓に化けていても、隠しきれない聡明さと気品で、ごく自然に話に加わっていた。明晰な言葉で語る姿はスーデリア王女というより、まるで王子のようだ。
だが停戦合意や条件について詳細をつめるには、宰相や大蔵卿など宮廷のお偉方と話し合う必要がありそうだ。
私は将軍に、出来るだけ早く法衣貴族たちと会議の場を設ける約束をした。
帰り際、立ち上がったドラーギ将軍は、毛の生えた五指で力強く私の両手を包み込んだ。
「セザリオ殿下、なんと温情にあふれた方だろう! 私は殿下を誤解しておりました!」
「ありがたい言葉だが、まだ停戦合意に至ったわけでもないんだ」
「セザリオ殿下、あなたについていきます!」
大きな手でがっしりと両腕をつかまれてしまった。ここまで感動されると非常に申し上げにくいのだが―― 偽物なのよね、私は……。
だが父と兄が目覚める前に、偽皇太子が戦を終結させてみせよう。
戦地へ帰るドラーギ将軍を見送るために侍従長が応接間を出ると、私は小姓姿のミシェル様に向き直った。だがあまりの美青年っぷりに直視できず、目をそらしてしまう。
「謁見の場に立ち会ってくれて大変助かった」
なんとか伝えたい思いを言葉にする。
「セザリオ様、かっこよかったです」
ミシェル様は両腕を広げ、私を抱きしめてくれた。私より少しだけ背の高いミシェル様の唇が、耳元をくすぐる。
「あなたはこの帝国の未来に、なくてはならない存在だ」
低い声で甘くささやかれて、全身が火の玉みたいに熱くなった。ミシェル様の力強い腕が心地よくて、思わず身をゆだねる。でもこんなふうに私を大切にしてくれるのも、私を皇太子だと信じているからよね。私の正体がバレたら―― 悲しみの海にさらわれそうになったとき、うしろでコホンと咳払いが聞こえた。
「あ。侍従長」
いつの間にか戻ってきていたらしい。
「できるだけ早く大臣たちと会議の場を持ちたいのだが」
私は言い訳がましく仕事の話をする。
「かしこまりました。宮廷長官が議長としてまとめてくれるはずですので、お伝えしておきましょう」
侍従長は廊下に出ると無言で手招きした。ミシェル様には聞かせられない、男装に関する話だと直感する。
私は侍従長を大きな大理石柱の陰に連れて行った。
「何か問題でも起こりましたか?」
「問題と言うほどでは。ただ老婆心ながら申し上げたいのは、あさっての舞踏会のために、男性側の振り付けをマスターする必要があるかと」
そ、そうだった――! 皇太子妃お披露目舞踏会となれば確実に、一曲目は私とミシェル様だけが踊ることとなる。ミシェル様の前で恥をさらしたくない!
「ど、どうしよう!?」
宮廷舞踏教師を呼ぶのは不自然だ。皇太子が突然、踊り方を忘れるはずはないのだから。
「お任せください」
侍従長はこぶしで自分の胸を叩いた。
「実は陛下がまだ皇太子だったころ、舞踏教師の補佐をしておりました。陛下に命じられてダンスの型を書き出したり、お相手をしたりしていたのです」
目を細めて柔和に笑う姿は侍従長というより、じいやと呼びたくなる。
私は秘密の特訓を受けることになった。
§
侍従長にたっぷりしごかれた私は、慣れない運動で汗びっしょりになってしまった。
途中からはニーナも現れて、女性側を担ってくれた。侍女である彼女にダンス経験はないが、女性側は男性にゆだねるから、私がリードする練習になる。
「はぁ。男性側の動き、難しすぎるわ」
不満を漏らしながら、私は湯浴みの間へ急いでいた。
あらかじめニーナに湯殿の準備を頼んでおいたので、タイル張りの室内には湯気が立ちこめている。
壁には精緻なモザイク画が施され、水の女神が天使たちと戯れる様子が、湯気の向こうにゆらめいて見えた。
衣服を脱ぎ、中央にしつらえられた大理石の湯船に近づく。縁には香油壺が整然と並び、ローズマリーやオレンジの芳香が熱い蒸気の中に甘く漂っていた。
あたたかい床に膝をつき、銀の水差しを手に取る。花びらが浮かぶ湯をすくってそっと傾けると、心地よいぬくもりが首筋を伝って背中へと流れ落ちた。強張っていた肩の力が自然と抜けていく。心がほどけるのを感じたとき、うしろで突然、扉の開く音がした。
「殿下、お背中をお流しします」
聞いたことのない男の声に、全身の血の気が引いた。
次回、異性装といえばお風呂ハプニング!




