12、男装したミシェルは美青年
ミシェル様!?
整った顔立ちは間違いなくミシェル様ご本人なのに、違和感なく小姓の服を着こなしている。青年らしい肩幅にも、長い脚にも、男性の服装は不思議なほどよく馴染んでいた。ドレス姿の時に漂う無駄な色気がない分、ミシェル様の美しさがまっすぐ伝わってくる。男装の方がしっくりくるのはなぜだろう?
ミシェル様は少年の雰囲気が残る頬に涼しげな微笑を浮かべて、パチンとウインクして見せた。
美形なのに愛嬌あふれる仕草に、心臓が跳ね上がる。美少女のミシェル様も好きだけど、美男子姿はもっと好き!
楽しげに目を輝かせるミシェル様の隣で、侍従長が申し訳なさそうに肩をすくめた。
「こういうことになってしまいまして……」
侍従長ったらミシェル様の可愛らしさに篭絡されたの!?
だが私は侍従長を責める気にはなれなかった。ミシェル様がそばにいてくれるだけで、私の心には活力がみなぎってきたのだから。
私は政治の現場も知らず、父上に平和を説いていた。だけど今は違う。どんなに難しい問題でも知恵を絞って、この手で平和へと導いていくのだ。
「行きましょう」
私は覚悟を新たに、応接間の扉を押し開いた。
暖炉の薪がパチパチと音を立てる室内には、格子窓から陽射しが差し込み、歴史ある格調高い家具たちをあたためていた。厚い絨毯が敷かれた床は足音を吸い込み、空気にはほのかに香木の匂いが漂う。
中央のソファに腰掛けていた男が、私に気付いて立ち上がった。
「セザリオ殿下。お忙しい中、謁見の赦しをいただき感謝いたします。陛下のご容態がすぐれぬと伺いました。殿下の心労お察しします」
ドラーギ将軍の声は太く地を這うようなバスだったが、あたたかみのある音色には、大地に根を張る大木のような安心感がある。
浅黒く焼けた肌は長年の戦場生活の証だろう。太い眉もいかめしい唇も、彼が武人であることを示していた。だが彫りの深い瞼からのぞく濃茶の瞳からは懐の深さがうかがえて、私はいささかホッとした。
「将軍こそ遠路はるばるご苦労だった。転移陣が使えず、陸路で来たのであろう?」
「兵站を運ぶ荷馬車に乗って参りました」
本格的な話し合いが始まる前に、メイドが飲み物を運んできた。猫足のテーブルに茶器を乗せる彼女に、
「ありがとう」
私はごく自然にほほ笑みかけた。しかし――
「セ、セザリオ殿下がお礼を!?」
またやっちゃったー! 兄は礼なんて言わないって学んだばかりなのに!
メイドの健康的な頬がみるみるうちに色づいてゆく。
「殿下の笑顔、初めて見ました。なんと神々しいのでしょう!」
兄め、使用人に笑顔すら見せないのか!
感動に瞳をうるませたメイドが退室すると、ドラーギ将軍が口を開いた。
「戦況が思わしくありませんので、本日はお叱りを受けに参りました」
私は首を振り、逆に質問する。
「帝国軍が苦戦している理由を、将軍は何とみる?」
「帝国騎士団は主に後方から指示しております。前線に出て戦う兵士たちは、帝国直轄地以外から徴兵されたものが多く、辺境の民たちゆえ――」
テーブルに広げた地図に視線を落とし、将軍は言葉を探している。
「むしろブリューム領民の感情に沿ってしまうと?」
私が続きを引き取ると、将軍は苦々しい表情でうなずいた。
危険な前線には、帝国への忠誠心が低い土地の民が送られているのだ。彼らは歴史的に別の民族だったり、私たちとは信じる神々が異なったりしている。
「反乱軍はなかなか帝国側の停戦条件を受け入れないのだったか」
私は持参した資料の該当ページを開いた。停戦条件には父の望みである自治権の剥奪について、条項が記されている。
「ブリューム領は帝国直轄地にはなりたくないと。帝国側が条件を緩和すれば、停戦は可能だろうか?」
私の言葉に視界の隅で、ミシェル様がうなずいた。
しかしドラーギ将軍は太い指で首の後ろを掻いている。
「反乱軍が魔法陣を破壊したと発表してしまった以上、帝国の威信を維持するためには、厳しい措置が必要かと」
「発表してしまった、とは?」
妙な言い回しに引っ掛かりを覚える。
私の問いにドラーギ将軍は身を固くしていた。見開いた目は泳ぎ、明らかに狼狽している。
私は、壁際の椅子に座って書記を務める侍従長に声をかけた。
「転移魔法陣を破壊したのは、反乱軍ではないのか?」
「申し訳ありませんが、存じ上げませぬ」
侍従長は羽根ペンを止め、すまなそうに眉尻を下げた。
「セザリオ殿下、発言よろしいでしょうか?」
応接間に聞き慣れない、若い青年の声が響く。侍従長の傍らに立つミシェル様が発言したのだと理解するまで、一瞬の間があった。
ミシェル様ったら、どうしてあんな自然に殿方の声が出せるの!? 私なんか頑張って咽頭を下げて疲れ果てているのに。ミシェル様に発声法を習うべく、弟子入りしたい!
うっかりミシェル様の甘いテノールに気を取られていたら、侍従長がドラーギ将軍へ弁解するように説明してくれた。
「この者はブリューム領に縁者がおりまして、事情に通じているようです」
「発言を許可する」
私が慌てて皇太子らしく答えると、ミシェル様は背筋を伸ばした。
「まず第一に、反乱軍など結成されておりません」
「は?」
思わずドラーギ将軍の顔を見る。しかし彼は苦役に耐えるかのように唇を引き結び、絨毯を見下ろしていた。
応接間に、ミシェル様の凛とした声だけが響いた。
「ブリューム領都の民は自治領が帝国の直轄地になると聞き、こぞって反対の声を上げたのです。領主館に押し寄せて連日、抗議を叫んだと」
ミシェル様の言葉を肯定するように、ドラーギ将軍はうつむいたまま、低い声で後を継いだ。
「広場は群衆で埋め尽くされたというから、帝国側は危機感を抱いたのだろう」
嫌な予感がする。欺瞞に満ちた父上が何を命じたのか――
「それで、転移魔法陣が破壊されたのは?」
父の所業を明らかにするため尋ねる。ミシェル様は静かに答えた。
「転移塔の警備を担うブリューム領兵士によると、半年ほど前の深夜、誰もいない塔から突然、爆音が響き火の手が上がったそうです」
「何が起こったのだ?」
私の問いに観念したのか、ドラーギ将軍が苦渋に満ちた顔を上げた。彼の瞳は悲しみをたたえている。
「陛下直属の近衛騎士団から優秀な魔術師が選ばれ、陛下の命を受けて、遠隔魔術で魔法陣を破壊したのです」
「ではこの資料は全部噓っぱちじゃないか!」
私は隣に置いていた紙の束をバンッと叩いた。
真相を知ってしまったヴァイオラの決断は?




