11、皇女はブリューム紛争を平和へ導きたい
侍従長が再び木製のキャビネットを探り、紐でまとめられた書類の山を持ってきた。
「セザリオ殿下、こちらがブリューム紛争の資料になります。謁見までにお読みください」
簡単に言ってくれるわね。数時間で皇帝の代行を務められる知識を手に入れろだなんて。
恨みがましい視線で侍従長をにらむと、彼はそそくさと宰相のうしろに隠れた。
「殿下」
腰をかがめた宰相が声をひそめる。
「気負いなさいますな。陛下ならさしずめ『進軍だ!』としかおっしゃらないでしょう」
しょうもないな! と突っ込むわけにもいかず、私は頭を抱えた。
すぐ隣からミシェル様の手が伸びてきて、私の髪を撫でる。
「セザリオ様ならば、ブリューム領を平和へと導けるはずです」
そうか―― 今の私なら皇帝代理として戦を終結させることも可能なのか?
俄然やる気になってきて、私はブリューム紛争の資料を抱きしめた。
「よし、しっかり目を通しておこう」
「助かります」
侍従長がうやうやしく頭を下げ、
「ところであさっての夜に予定されている皇太子妃お披露目舞踏会は、予定通り開催しますか? ヴァイオラ様が寝込んでいらっしゃる今、不謹慎でしょうか?」
また新たな問題を放り込んできた。
私はここでピンピンしているが、対外的には皇女ヴァイオラが倒れたことになっている。
「すでに招待状を送り終えているのだろう?」
私の問いに、侍従長はしっかりとうなずいた。
「では今から取り消すわけには行くまい」
「かしこまりました」
侍従長は丁寧に答えたが、宰相が溜め息をついた。
「ああ、不憫なヴァイオラ様」
それからハッとして私を見る。
「申し訳ありません、セザリオ殿下!」
「妹に同情してくれるなら、私も礼を言いたい」
妹ヴァイオラは私なのだが、と内心で笑い出しそうになっていたら、宰相が驚いて言葉を失っていた。
しまった。兄は私に冷たかったのだっけ。
私は取り繕うように、
「最後の案件は何かな?」
と書類を手に取った。
「皇帝の様子がおかしい。宮廷魔法医に診てもらうべきか」
私が読み上げると宰相が説明を加える。
「魔法医たちは全員、塔の上で眠っていらっしゃるヴァイオラ様のために回復魔法を使っております」
どうやら兄は、塔の上に隠されているらしい。
「一人くらい父のところによこしてほしい」
私はすぐに答えた。このまま父が酒に溺れていては、私が願う家族の再生など、夢のまた夢だ。それに――
ふと横を向くと、目が合ったミシェル様はやわらかくほほ笑んでくれる。私たちは執務机の下でこっそり手をつないだ。
兄が目覚めたら彼女は兄のものになってしまう。兄の回復はなるべく遅らせたい。
粗方の書類を片付けた私は、侍従長に出してもらったブリューム紛争の資料に向き合った。地図上に引かれた赤線が、戦況の膠着を示している。
隣でさらりと桜色の髪が揺れた。ミシェル様が椅子を寄せて覗き込んでいる。伯父様の領地だから気になるのだろう。
だが低い声が響いた。
「ミシェル妃殿下」
宰相が鋭いまなざしを向ける。
「念のため申し上げますが、本日午後の謁見に、妃殿下のご同行はご遠慮いただきます」
先手を打って釘を刺す。
いくら知識を詰め込んでも、前線で兵を指揮する将軍に一人で会うのかと思うと、資料をめくる手がかすかに震えた。動揺を悟られぬよう、平静を保とうと呼吸に集中していたら、傍らに立つ侍従長が穏やかに口を開いた。
「殿下、私は書記として同席いたしますぞ」
好々爺のような笑みに癒される私の隣で、ミシェル様が立ち上がった。愛らしい頬にはなぜか、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「では、わたくしはこれにて失礼つかまつる!」
また変な敬語を使って挨拶するなり、しゅたっと扉に向かう。ミシェル様が執務室から出て行ったのと同時に、窓の外から時を告げる鐘の音が聞こえた。
「セザリオ殿下、大蔵卿と打ち合わせの約束がありますゆえ、わたくしはこれで」
頭を下げた宰相に、私はうなずいた。
「政務について助言をしてくれて助かった。礼を言う」
「なっ、セザリオ殿下が私めに謝意など!?」
しまった。兄は礼さえ言わないのか!
「殿下が変わられたとなれば、もしかして帝国の未来は暗くないのでは!?」
暗いことが大前提みたいな言い方ね。
「これは朗報。大蔵卿にも伝えねば」
宰相はスキップしながら口ひげを跳ねさせて執務室を出て行った。
侍従長と二人きりになると、彼は紐で束ねられた手紙の山を私に差し出した。
まだ処理しなければならない文書があるの!?
焦る私をよそに、彼は声をひそめる。
「陛下の筆跡とサインを練習なさいますよう」
「え?」
思わず声を漏らすと、侍従長は人差し指を唇に当てた。
「役に立つ時が来るはずです」
言い残して執務室を出て行った。
午後、私は頭に詰め込んだ資料の内容を反芻しながら、会談の場へと向かった。ブリューム紛争を解決し、和平を提案したいと思っていたが、資料を読めば読むほど困難に思えた。
かつてのブリューム地方は、山岳地帯で資源に乏しく、農作物の収穫量も少ない貧しい土地だった。しかし十年ほど前に養蚕技術が確立されると、質の高い絹織物の産地として目覚ましい発展を遂げた。
そこで父は、このブリューム地方を帝国の直轄地とし、莫大な税を徴収しようと考えた。
だがブリューム地方の住民たちはこれに強く反発し、その一部が反乱軍を結成。帝国軍が鎮圧のために兵を差し向けようとした矢先、反乱軍は帝国兵の侵攻を防ぐために転移魔法陣を破壊してしまった。
その結果、帝国騎士団を率いるドラーギ将軍が反乱鎮圧を一任されたのだ。
転移陣の破壊という明確な反乱行為に至った以上、帝国としても厳罰を科さねばならないだろう。
応接間の前で待っていた侍従長が、私に気付いて一礼した。
「ドラーギ将軍はすでにお待ちです」
彼の横には見慣れぬ小姓が控えていた。侍従長の部下にこれほどの美青年がいたのかと目を見張る。ひとつに束ねた桜色の髪に、海のように澄んだ青い瞳。そして、ほんのり薔薇色に染まった頬――って、あれ!?
侍従長がつれていた小姓の正体は!?




