狙い目の女
狙い目の女
時を戻そう。
カロスタークの横に『婚約者』ではなく『側女』、それも『候補』として立つことになったセザールは不安に潰れかけていた。
男爵令嬢としての気位はもうない。
誰もいない道を歩いたとしても、振り返ればカロスタークがいるという安心感もない。
いたとしても、必ず自分を見てくれているという確信が持てない。
せめて、スイーツでも花でもいい、意味のない会話をして一時的に忘れたいと思っても話しかけてくる友人もいないのだ。
いや、そもそも『友人』なんていたのだろうか?
考えかけて、自分に嫌気がさした。
貴族家の子女に、そんなものあるわけがない。
力があればともかく、すべてを失って裸同然のセザールに誰が構おうとするだろう。
自分が逆の立場なら、相手のことは死んだものとして忘れている。
見えない、聞こえない、話しかけない。
存在しないものとして扱う。
それをやられているだけのこと。
恨むのは筋違い。
泣くことも許されない。
これが、貴族社会で生きるということなのだから。
「おおっと、ここにいた―!」
女子寄宿舎内、外との連絡路へ続く小ホール。
全面に鏡のあるホールで身形の最終チェックをしていたセザールは、突然の大声に飛び跳ねた。
静寂の中、制服のしわや髪の跳ねを入念に確認する女子たち全員がそうだっただろうが、真後ろから聞かされたセザールは本気で心臓が口から出るかと思わされたのだ。
両手で胸を押さえ、息を整えなくてはならないくらいに。
「な、なに?」
ぬぅっと伸ばされた腕が、自分の肩を掴む。
セザールは恐怖に震えた声で問うことしかできずにいた。
「貴女、細剣が得意だったよね!?」
細剣。
突くことに特化した先の尖った剣である。
「え、ええ。使えはしますけど?」
貴族のたしなみとして、多少の武芸は必要。
だけど、魔法適性はなかった。
武を重んじる家ではなかったから、本格的な鍛錬はできないししなくていい。
なので、槍などの大物は手が出ない。
普通のロングソードや片手剣も試したが、攻めはともかく受けができなかった。
受けた剣ごと腕が、身体が、弾かれてしまって次に続かないのだ。
それらを鑑みて、武芸の教官が出した答えが細剣。
受けができないなら、しなければいい。
すべての攻撃は体捌きで避ける。
避けて、避けて、避け続けて、相手が疲労か何かで体勢を崩した瞬間に一突き。
一撃で勝つ。
これなら、腕の力がなくても何とか形になる。
熱心ではなかったが、必要な鍛錬はずっと続けていた。
やっていないと、後ろめたくなって気持ちが悪くなるからだ。
カロスタークが努力しているのは、そばにいてよくわかっていたから。
それを嬉しいと思っていたのだから。
政略結婚オンリーの貴族社会で、相手から本気で愛されるなんて贅沢なことだと知っていたのだから。
なら、なんで他の男に目移りなんてしたの?
オルトレオーネ子爵家の男に熱を上げていた自分を殺してしまいたい!
もう、遅いけれど。
「わたしの前衛にスカウトするわ。がんばって!」
「え?」
「中間試験! 実技! 『三対三制』!」
「あ、ああ。それね」
言いたいことはわかった。
そう言えば、そんな季節だったなとセザールが頷く。
でも、なんで私?
首を傾げそうになるのを、男爵令嬢としての躾が拒否する中考える。
「あ」
目の前の少女の名前を思い出した。
クルール・ド・トルネソル。
トルネソル子爵家の娘。
カロスタークの友人。
自分から輪の中に入ったことはないが、ときどき一緒にいるところを見た覚えがある。
「よしっ。早速練習しましょ!」
「え? え? え?」
疑問符ばかりを口からこぼれさせながら、セザールは連れ出された。
途中でカロスタークに会い、クルールが許可を求める。
二つ返事で許可が出された。
側女にと言っていたが、本当は側に居られても迷惑だからだろうか?
そんな不安がよぎったのを「ケガだけはさせるなよ」と言ってくれた言葉に救われた。
本心はわからないけれど、自分の身を案じる言葉が嬉しかったのだ。
「ぷぷぷっ」
なぜか、クルールまでが嬉しげに笑っていたのだが、セザールは気が付かなかった。
訓練場に付いたとき、二人は三人になっていた。
大盾を背負った大男が加わっている。
「セザール様が商人の側女など、もったいない。僭越ながら、私と!」
「わたしの第二夫人の座を貴方に!」
男子のたむろする各所で、そんな声を掛けられたセザール。
なにか言葉を返すべきだっただろうが、セザールには言い返す言葉がなかった。
あれ以来、セザールの頭にはカロスタークの側に居続けること以外の考えはない。
もう、間違いは犯せないのだ。
カロスターク以外の男の手を取るなどありえない。
目を向けるつもりもなかった。
なら、そう言えばいいのだが、言っていいのかが分からなかったのだ。
カロスタークの本心が分からない。
『側女』としてでもいい。
必要としてくれているのだろうか?
二年間付き合ったしがらみで、突き放さずにいるだけではないのか?
そう考えると、返す言葉が見つからなかったのだ。
「我こそは鉄壁のリシャール! お嬢さん方を守る盾となりましょう!」
困っていたところに現れたのが、この男だ。
言葉通り、声をかけてくる男たちの前に立ちはだかりクルールとセザールを守ってくれた。
「やるねー。あんたを私の盾にスカウトするよ!」
割り込んだ男の背に大盾があるのを見たクルールが、親指を立てて笑いかける。
貴族令嬢らしからぬ下品なふるまいだが、違和感のない仕草。
セザールが驚いているうちに、話は進んでいた。
訓練場に到着するときには、この三人で中間試験の実技に挑むことが決定していたのだ。
訓練は苛烈だった。
「やるからには優勝でしょ!」
言い切ったクルールに、誰も反対しなかったからだ。
リシャールは両手に花の状況に浮かれていたし、セザールは身体を動かすことで不安を忘れられると気付いて夢中だった。
何も考えず、ただ動き続けることが安らぎになる。
一時だけのことではあっても、セザールには唯一の救いとなっていた。
だが、そんな日々は永遠に続かない。
試験の当日が来た。
セザールは一秒でも長く、この安らぎを守ろうと奮戦。
決勝にまで駒を進める原動力となるのだった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します