六十七日目の生きる意欲:睡眠
二千二十四年七月二十七日。
今日の午前二時まで起きていて、その後、若干悪夢を観ながら断続的に眠りました。
大体十八時頃まで。
スマホの時間表示形式が「午前・午後」表示なので、まだパソコンの「二十四時間」表示とごっちゃになりがちです。
午後六時と表示されると、一瞬「十六時?」ってなる。
本日の飯の記録
朝、イチゴジャムサンド。コーヒー牛乳。
昼、眠っていた。
おやつ、マーマレードジャム食パン。コーヒー。
夕、牛乳、ちっさいチョコ。
俺は飯を食う気があるだろうか。
昨夜は、他人様の小説の世界に二、三時間くらい居たんですけど、他人様の物語ってなんでこんなに読みやすいんだろう。
ウェブ形式の文章と言うものが読みやすい事と、余計な事を考えなくて良いからかな。
自分の作品を読み返すと、どうしても「此処の伏線は…」とか、「描写甘いな」とか思ったりしてしまう。
小説内で作者の言いたい事を表現すると言う人もいるらしいけど、僕としては「その登場人物だったらこう考えるよな」って言う事を、書いているつもりです。
だから、自分の考えではない事も発言させたりします。
言いたい事を表現しているとしたら、「世の中ってのは綺麗に真っ二つに割りきれるもんじゃない」ってことかな。
勧善懲悪が好きな人には嫌われる話だと思う。それは、「善の定義とは?」とか、「悪とされる定義とは?」とかまで考えてしまうからでしょう。
そんなこと考えてるから物語がややこしくつまらなくなると言うに。
しっかり組んだエンタメが書ける人は、とても尊敬する。
予想の話ですが、僕が今書いている連載小説も、「永劫の者達」って言うのが始末されて、主人公が戻ってきたら終わると思われてたと思うんですよ。
物語がその辺りに差し掛かったタイミングで、ブックマークが数件外れたから、「あ。この辺りで終わると思われて居るな」って言うのは察しました。
普通だったらボスキャラ? が排除されて、世界は平和に成りました、チャンチャンってなるっすよね。
エンタメ形式で終わるなら、もっとバトルシーンを派手にして、ボスキャラ達を「こんな奴等滅ぼされてしまえ」って言うくらい憎たらしい奴にして、主人公達をスリリングに活躍させて、華々しく勝利を得て、平和な未来に向かって生きて行こう…完って言うのが、お約束だと思うのです。
あんまり僕は物語のツールとかを知らないのですが、そう言うのがオーソドックススタイルであるのだろうと存じます。
だけど、恐らく終わると思われていた章の途中で、ちゃんと書いてあるんすよ。
「この演劇で疲弊しきる事は出来ない。この後に世界の選択と言うものが続くから」と言う旨が。
これ以上書くとネタバレに成ってしまうので、自作小説についてはここまで。
ここしばらく、このエッセイで飯以外の事を書いてしまっていますが。
みなさん、飯の話しろよって思うでしょう? 趣旨ずれてんぞってね。
パン食と言うのは、簡単に栄養が摂れるんですけど、何も作らなくても一定の栄養が補給できてしまうのです。
なので、この頃、何かを作って食う気がなかったのです。
ずっと小説とこのエッセイにばかり携わり続けておりまして。
それで、冷蔵庫の中で卵がどんどん古くなっているのです。
明日辺りにホウレン草と溶けるチーズを入れたスクランブルエッグでも作って食おう。
そして、そろそろ二十三時なのですが。
明日の小説を予約投稿したら、素直に眠ろうと思います。
明日からは再びストックを作ります。
世界は美しいよ猫明神。




