四日目の生きる意欲:トメィトのカレーが世界を救う
二千二十四年五月二十一日以降の平日の間、何時もより大量の飯を摂取…つまりコンビニ飯を喰らい続ける贅沢をしました。
浴びるように美味い飯を食いました。
主に普段思っていた「このくらいの量しか食べられないな…」と言うのは、カネに糸目をつけていたからだと判明しました。
カネの糸目を解放すると、千円札がどんどん解放されて行って、小銭になって戻ってきます。
そしてコンビニグルメが経口で胃袋に投入されました。
そんなわけで、軽く走っても疲れにくい体力が戻ってきました。
そして、飯を食わないと体力が持たなくなってきました。
カルピスウォーターだけで朝ご飯を済ませようとしたら、襲い来る絶望感。
胃と腸と赤血球は飯が毎食入ってくると期待しているんだね。
そんな絶望は飯を食えば回復するので、まずはそんなに気負わず。
日常の一部の中で、ジョギング前の「どの程度の速度をジョギングと呼ぶのかの確認」を、わざわざやってみました。
走る用の靴ではなく、普通のスニーカーで軽くジョグをしてみたのですが、靴底が擦り切れそうだったのでバス停二区間くらいでやめておきました。
おまけに、マスクをしていたので、バス停二区間目で既に呼吸ができない。
汗を吸った紙と言うものは空気を通さなくなるんですね。
そんなわけで、「走る時はちゃんと準備をしてから走ろう」と存じます。
息が出来なく成らないように、ちゃんとマスクを外して走ろうと思っています。
が、マスクをしないで外を走ると言うのは、結構恥ずかしい。
コロナが流行っている期間から、ずっとマスクをしていたので、マスクをしていない自分の顔が恥ずかしいのです。
中東系? もしくはトルコ系? の女性が、日常的に髪を隠すとか、外に出る時目以外を隠すって言うのが「ああ、そうだよな。恥ずかしいよな」と理解できるくらい、人前でマスクを外すのが恥ずかしい。
だから、人前だと思わない場所でこっそりジョグをしようと思います。
もしくは同じくジョギングをしている人がたくさんいる所に紛れるとかですかね。
僕の文章にお付き合いいただいている方は、今までずっと、文字がみっちり書いてあるウェブページで読みづらかったことでしょう。
なるべく、文節を短く切ったり、改行を多くして見たりしているのですが、ちょっと待てと。
この文章は、「ウェブページと言う空間に表示される文章だぞ?」と。
もっと、空欄やスペースをたくさん取ったりすることで、「間」とか、読みやすさとかを発揮できるはずなのだと。
そう言うわけで、たぶんまだこのエッセイに限った事でしょうけど、少しずつ、読みやすさの追求を試行して行きます。
普段書く小説は、まだまだ「文字ぎゅっと詰め気味」のままです。
途中から変則してしまうと、殊更読みづらい気がするのです。
だけど改行くらいは多用するかも。




