三十二日目の生きる意欲:陰り始めた太陽の下にパンを置く
二千二十四年六月二十二日。
砂漠とかの熱された砂の上にフライパンを置いて卵を落とすと目玉焼きになるそうです。
日本でも、あまりに暑い日には「ボンネットの上に卵を落とすと目玉焼きに成りそう」と言われます。
それを実験してみて「卵が無駄になった事と、ボンネットがカピカピに成ってしまった事」を怒られた少年少女がいたら、好奇心を抱かせる例え話を出す大人が悪いと、責任転嫁しましょう。
怒られる前に、ボンネットに油を塗る事を考えついた少年少女はお利口さんです。
僕としては、夏の鳥取砂丘でもフライパンで目玉焼きは作れるのだろうかと言う好奇心を持っています。
でもって、今日は昼過ぎまでゆっくり眠れたのですが、もちろん朝ご飯は食べて居ません。
昼ご飯は十四時に成ってから食べました。メニューはバター付き食パンでした。
またろくなものを食べなくなってきていますね。
たぶん、夕飯はパンカレーだと思います。
この文章を書きながら、体力的に栄養が足りない気がしてきたので、卵を茹でる事にしました。
茹で卵の作り方ですが。
ミルクパンに塩水を用意してコンロで加熱し、沸騰させます。
卵はお湯に入れる直前まで冷蔵庫に入れたままにしておきます。
お湯が沸いてから、卵を取り出して、一個ずつお湯に入れます。
半熟だったら三分間、固ゆでだったら十分間、お湯を沸騰させたまま煮ます。
時間に成ったら鍋ごと蛇口の流水の中に付け込んで、冷やします。水が生温かくても大丈夫です。
鍋に溜まる水を流しながら蛇口の流水に浸けて、卵が触れるくらいに成ったら殻をむきます。
この方法だと、よっぽどの事でない限り「トゥルン」と卵の殻が剥がれます。
味付けをして美味しくいただきましょう。
食べ物の事を考えていたら、段々切なくなってきました。
確かに、胸が締め付けられるような思いがします。実際は胃袋が締め付けられているのかもしれない。
切なくやるせないミスターアセロラは、僕の脳内で「筆で描いた飯の絵」を観て、呆然としています。
ことわざの、「絵に描いた餅」ってやつですね。「絵に描いた飯」だけど。
例文「ミスターアセロラは自らの理想の食卓を描き上げ、その半紙を観て呆然としている。何とやるせない事か」って言う。
おまいはそんなに貧しいのか。俺はそんなに貧しいけど。
「絵に描いた餅」=そんなん用意してもお腹減ってるの治るわけじゃないよね=無意味な努力的な意味です。僕の記憶が正しければ。違ってたらごめん。
(四個の茹で卵を捕食する)
無事に空腹が癒えました。だけど、急に高蛋白の物が入ってきたので、胃袋が重たくなってしまいました。
胃袋の塩梅が丁度良くなるまで消化の時間が必要そうです。
暇だから追加のエッセイでも書こうかな。




