十七日目の生きる意欲:切なくやるせないミスターアセロラと鶏肉と天然水
二千二十四年六月六日。
気候が温かくなってきました。汗をかくようになりました。ジュースを大量に飲むようになりました。
そして思うのです。
冷たい水が飲みたい。と。
それ故にか、自販機で買った天然水がとても美味い。
カルキ臭くない水って良いなぁって。
そして家に帰ってきて、カルキを抜いた水が残っていなかったときの切なさよ。
切ないって、「胸が締め付けられるような思いがする」「やるせない」って言う意味らしいですね。
もっと噛み砕くと、「精神的に苦痛である」と言う意味になるらしいです。
確かに、胸が締め付けられるような苦痛と言ったら精神的なものなのだろうけど。
やるせいないは、「思いを晴らす方法がない」と言う意味と、「切ない」と言う意味があるそうです。
切ないとやるせないはループする間柄らしい。
「胸が締め付けられるような思いがする、そして思いを晴らす方法がない」=「精神的に苦痛である」は、合っているのだろうか。
大雑把には合ってるけど、「精神的に苦痛である」だと、細かい心情を無視している気がする。
飲みたい時に水がない=思いを晴らす方法がない=やるせないの図式は、言葉上合ってるだろう。
やるせない=切ないが確定なら、飲みたい時に水が無いのは「切ない」でも合っているのだと思う。
しかし、飲みたい時に水がない事は、胸が締め付けられるような思いはするのか?
水が飲めないと血糖値が上がって胸苦しいと言う状況にはなるが、其処は少し違うのか。
じゃぁ、俺は水が飲めなくてやるせないのか。
でも、やるせないって、なんか感覚的に合わない気がする。
水が飲めない時に、一々やるせなく成ってられない気がする。
ニュアンス的に、「切ない」より「やるせない」のほうが重症な気がする。
酒飲んでぐでんぐでんに成って人生を憎む発言をするときの心情は「やるせない」んだと思う。
(あくまで主観です)
例文「ミスターアセロラは、手酌酒を飲みながら夜を儚んでいる。なんとやるせない事か」
みたいな感じ。
ミスターアセロラは、さっき二秒くらいで適当に作ったキャラクターです。
アセロラが女性名詞だったらどうしようと言う事はちらっと考えましたが、「寅美さん」って言う男性名もあるから、別にそこらへんは許容されると思います。
今、ミスターアセロラのキャラクター設定を考えようとして、唯の飲んだくれのダメ野郎設定になりそうになって、ああ、俺、こいつ嫌いだわ…と思ったので、その設定は削除しました。
手酌で酒を飲んで夜を儚んでいるやるせない奴って時点で、個人的には受け入れがたいのだが。
そう言えば、このエッセイは飯の記録を付けるための文章だった。
今日の朝昼は炭水化物と糖質を摂取したためか、何故か昼下がりに異常に蛋白質が食べたくなって、夕飯はサラダチキンアゲインをしました。
スモーク味にトライしてみました。結構美味かった。
鶏肉には、イミダペプチドとトリプトファンと言う栄養素が豊富に入っているらしいです。
イミダペプチドは初めて聞いたけど、トリプトファンは何かで聞いて覚えていました。
鶏だから、トリプトファンなのか…? と言う疑問をずっと抱えていたので覚えていました。
記憶力なんて言うものは、なんて下らないんだろう。
やるせなし。
手酌でジュース飲むべし。




