合の章2 対決
1 母来る
到着した母は姉を見舞った後に僕たちの居る棟に現れた。
「あの人は元気だったかしら?」
僕の正面に座るや否やズバリと切り込んでくる。
「ええ、僕の挑戦を難なく退ける程度には」
「それで、その隣に居るのは誰?」
僕はレオーネを同席させていた。フードを外し顔の下半分を隠していた襟を下げさせる。
「フェレス?」
母は困惑した表情になっている。
「順を追って説明します」
「十年前、父は同行していた十人の戦士の裏切りに遭いました。それが王の命に寄るのか、彼らの独断なのかはわかりませんが」
「一人戻ってきたあの男の処遇を見れば一目瞭然ね」
母は苦々しく吐き捨てた。
「父は敵の襲撃を退けたモノの、敵の一太刀を浴たので膏薬を縫って血が止まるまで安静にしていたそうですが、そこに現れたのが彼の一族でした」
群れの王を失ったばかりの彼女たちを助けて縄張りを奪還し、成り行きで周辺のベスティアたちを平らげて王に祭り上げられたと言うくだりを聞いて、
「あの人らしいわねえ」
と微笑むが、
「その結果として彼らとの間に生まれたのが二人の娘と、ここにいる息子。僕にとっては母違いの妹弟と言う事に成りますが」
「ユマンとベスティアの間に子が出来ると言うのも初耳だけれど」
「彼の母親は元々ユマンの魔導師を父に持つ混血で、十年いて生まれたのが四人ですから、滅多に無い事なのでしょう」
「彼と同じフェレスとの混血が三人で、もう一人カニスとの混血が一人いました」
「何故この子だけ連れてきたの?」
「彼の群れは、彼以外はメスで、彼の実母とその二人の娘。それぞれが父との間に子を生して」
「つまり群れのメスはすべて彼の血縁だから、彼は外で配偶者を見つける必要があると言う事ね」
母の理解力の速さにはいつもながら舌を巻く。
「そう言う次第で、代わりの王を立てないと帰れない。僕が代わっても良かったけれど、現時点では力不足だと判断されたようです」
「貴方とピリッポス、そして二本の魔剣があれば皆殺しに出来たでしょうけれど。そう言う非道が出来る人では無いわね」
と母が笑う。
「もう一人の弟が成長していずれ父の後を継いでくれるのではないかと思います」
「ところで、触ってみても良いかしら」
と言って母が立ち上がって弟に近付く。
「構いませんよ」
と弟が答えると、
「言葉を話せるのね」
「ええ。先程も少し言いましたけれど、彼の母親はユマンとの混血で、言葉を発する事は出来ないけれど対象に触れる事で意思を伝える能力を持っていました」
「それは興味深いわね」
と言いながら弟の鬣を撫でる母。初めは戸惑っていた弟も甘えるようなしぐさを見せる。
「この子、名前はあるの?」
「じゃあこれからはレオンと呼ぶわ」
と母。
「私の事は母親だと思ってくれて良いわよ」
「母さん、もしかして猫がお好きですか?」
イエネコはまだ希少で、一部の上級貴族の家で飼われているだけだ。
2 母の思惑
私は長女クレオを見舞うために侯爵邸を訪問する準備をしていた。
長女が公爵家の長男に元に嫁いだのは十年前。夫ピリッポスが失踪した直後であった。公爵家は婚約を反故にせずに娘を迎えたばかりか、下の娘二人の嫁ぎ先についても尽力してくれた。
十年経って今は婿が侯爵位を継いでいる。先に嫁いだ妹たちが既に子を生していたのに、長女のクレオは中々子宝に恵まれなかった。ようやく出来たと思ったらアレクの探索行の話が出た。
「この子が生まれるまでには戻って来られると良いけれど」
「そんなに長くは掛からないわよ。結果がどちらに転んでも」
娘たちには父親の生存を知らせていない。秘密と言うのは知る人間が少ないほど漏れる危険性が低いものだ。
「その時には父上も一緒に」
と請け負ったアレクであった。
出立間際に早馬による知らせが入った。私がこれを読む頃には息子アレクは侯爵家に密かに入っているだろうと言う。
追記事項として同行者が一人と記されていて、始めは夫を連れて帰って来たのかと喜んだが、それならば同行者などと言う曖昧な表現は使うまい。そもそもこっそりと侯爵家に潜む必要も無い筈だ。
いかなる事情なのか。使いの者は詳細を知らされていない。手紙の内容すら見ていないのだろう。実際に行ってみるしかないだろう。
公爵家に到着すると娘婿の公爵が自ら出迎えに出てきて、
「妻はまだ何も知らないのでそのお心算でお願いします」
と耳打ちされた。
「逆に言うと貴方は知っているのね」
と返すと、
「おおよその所は」
との答えであった。
まずは娘を見舞う。生まれるまであと半月と言う所か。
「体調はどうかしら?」
「順調です。お母さま」
初めての子供で緊張気味の娘を叱咤激励した後、息子の待つ離れの区画へ向かった。
「あの人は元気だったかしら?」
「ええ、僕の挑戦を難なく退ける程度には」
息子の同行者はフードで顔を隠していた。これが夫ならば私にまで顔を隠す筈がない。
「それで、その隣に居るのは誰?」
フードの下から現れた顔は、
「フェレス?」
事態は私の想像を超えていた。
「順を追って説明します」
「あの人らしいわねえ」
帰れない事情は理解できた。向こうにいるもう一人の息子が成長すれば王座を引き継いで解放される可能性もありそうだが、今はそんな先の事よりも、
「ところで、触ってみても良いかしら」
「構いませんよ」
許可を出したのは本人だった。
「言葉を話せるのね」
父親にレオーネと名付けられたフェレスの少年は私の愛撫に甘えるように応えて来た。私は彼の母親代わりになる事を決めて、彼をレオンと呼ぶことにした。
「手に肉球が無いのね」
「僕は基本的に二足歩行ですので」
「じゃあ足の方にはあるのね」
後で見せてもらおう。
「そう言えば指も長いわね」
よく見ると腰に剣を指している。
「この子、剣を扱えるの?」
とアレクに向かって訊ねる。
「僕が道中で少し指導しました。筋は良いですよ」
とアレクが答える。
「それならケラウノスに手ほどきをお願いしましょう」
長女の婿は夫の一番弟子で、その太刀裁きから雷を意味するケラウノスと言う愛称で呼ばれている。
3 特訓
兄アレクが怖がっていたお母上の僕に対する反応は予想に反して極めて好意的なモノだった。
僕が言葉を話せることには驚いていたが、僕の手に着目して父の一番弟子を師匠として紹介してくれるらしい。
「それはいずれ頼もうと思っていたのだけれど」
と兄が難色を示す。
「レオンを大勢の目にさらすのはまだ早いと言うか」
「それならば良いモノがあるわよ」
夫人は一度部屋を出て何かを持って戻って来た。
「これを付けて」
と言って僕の顔に仮面をつける。それは顔の上半分を覆うモノだったが、
「どうなっているんですか?」
と兄の驚く声がする。
「あの人の魔道具コレクションの一つで、変貌の仮面と言うモノよ」
付けた人間の顔の見た目を変えてしまう道具らしいのだが、僕が触ったら取れてしまった。
「あら。これでは使い物にならないわね」
と残念そうな夫人。
「レオンの魔力によって効力が停止しただけですよ」
と兄が分析して、
「自分でつけて見ろ。変化する対象の顔をイメージしながら」
僕は兄の顔をちらりと見て、父の顔を頭に思い浮かべながら仮面を付けた。
二人の反応を見るにどうやら上手く行ったらしい。
「先程よりも馴染むだろう」
と兄。
「そうですね。先程よりも付けている感じが小さいです」
仮面が覆っているのは顔の上半分。目の周りだけなのに、鏡を見ると首から上がユマンの様に見える。耳の位置が顔の隣にあるが、聞こえてくる音は今まで通りだ。
「見ている相手の視認に作用するだけで、使用者本人の顔かたちを変化させる訳では無いからな」
「詳しいのね」
「父のコレクションに関する記録を読みましたからね。僕としては母さんがどうしてこれを持って来たのかの方が気になります」
「あの人が帰って来られなかった理由をいくつか想定してみたのよ。もし顔に大きな傷があったとしたら、この仮面は役に立つでしょう。まあ予定とは違う使い方になったけれども」
それから僕が兄を相手に剣術の鍛錬を行った。僕は右手に小剣を持ち、左手には盾を構える。兄は両手に小剣を持って僕と対峙していた。
リュコスと二人掛かりでも軽くあしらわれていた頃から見れば僕の腕前は上がったと思う。 僕たちの鍛錬を見ていた夫人が時折感想を漏らすのだが、それが結構的確な助言になっていたのには驚いた。夫人には武術の心得は無いが、僕らの父が弟子たちを指導しているところを見ていたので勘所を掴んでいるらしい。
多忙の公爵が時間を作って顔を出したのは三日目の事だった。
「アレクもだいぶ上達したなあ」
と言いつつ、携えて来た木剣を使って僕の相手をしてくれた。
右手一本、左手は背中に回して使わずに、僕を圧倒した。確実に兄よりも強い。父と比べても、
「自分はまだ師匠には及ばないよ」
と僕の考えを読んだように指摘してくる公爵。
「それは全盛期の父の話でしょう」
と返す。
「なるほど。自分も今の師匠の状態は知らないからなあ」
4 公爵様の洞察
愛息アレクとの再会を果たした義母は思った以上に上機嫌だった。
「可愛かったわ」
「あのリョダリの少年の事ですか?」
「ええ。大きくて、あの爪を使われたら、私など一撃で殺されてしまうでしょうけれど」
と笑う義母。戦って勝てるかを考えてしまう我々とはそもそもの判断基準が違うらしい。
「剣術を教えてやって欲しいのよ」
「これ以上強くするのですか?」
「あの子は素手で戦う方が強いかもしれないけれど、剣を使えるようにすれば普通に対処できるでしょう」
義母の言葉は実際に戦っているところを見たら理解できた。
「アレクもだいぶ上達したなあ」
昔から器用な少年だった。相手をしているのは本命であるフェレスの少年である。その姿はまさしく後ろ足で立つ獅子である。レオーネとは、師の生まれ故郷で獅子を意味する言葉だが、師も本物を見たのは初めてだろう。
レオーネ少年はユマンの血の方が濃いらしく、二足歩行の方が素早く動けるらしい。前足も武器を扱うに十分な形状と器用さを持ち合わせている様だが、動きが硬い。肩周りの自由度が我々に比べると劣るようだ。つまり我が師の作り上げた武術をすべて身に付ける事は叶わない。それをすべて受け継げるのは師の体型体格を受け継いだアレクになるだろう。師には自分を含めて四人の高弟がいるが、それぞれの特徴に適した異なる奥義を授けられた。師の引き出しの多さにも驚かされたが、探索行出発前に奥義を見せたらモノにしてしまった息子の方も大概だ。他の三人に聞いたら、同じ様な感想を貰った。
義弟は置くとして、今回の本命はもう一人の方だ。木剣を使ってその腕前を確認する。
「自分はまだ師匠には及ばないよ」
と声を掛けたら、
「それは全盛期の父の話でしょう」
と返って来た。
「自分も今の師匠の状態は知らないからなあ」
なるほど。この少年は単に言葉を発する事が出来るだけでなく相当に頭が良い。