破の章 選択
1 対決
起き上がった父は上半身裸体で、腰を毛皮で覆っているだけ。右肩から斜めに刀傷がある。
「これか、十年前のモノだよ」
これが直ぐに帰って来られなかった理由の一つなのだろう。
剣を受け取った父は、
「まだ剣は抜けない様だな」
と言い放った。
「剣の持ち主は父上でしょう?」
「この剣は強きモノを主に選ぶ。お前が俺より強くなっていれば、剣はお前に従っていただろう」
父も元の持ち主と戦って剣を手に入れたと言うのだが、
「剣の持ち主が交代していたら、僕はここまで来られませんでしたよ」
「そうだな。それならそれで構わないのだが」
と良いながら剣を引き抜く父。鞘を僕に投げて寄越して素振りを始めた。
上から下へ、右から左へ。そして右上から左下へ、左下から右下へ。全く衰えは見えない。
剣を左手に持ち、右手で鞘を受け取ると上空へ高々と放り投げる。顔の前で剣を両手で握って剣先を上に向けてタイミングを合わせてそれを突きあげると落ちてきた鞘に剣が収まる。
曲芸じみた納刀の儀式だが、この剣と鞘だからこそ出来る技だ。
「さてアレク。お前の成長の度合いを見たい。ここに居るレオーネと戦え」
僕は腰の剣と背中の盾を外し、上半身を覆う鎧も脱ぎ捨てた。身に付いているのは肘から手の甲までを覆う手甲と足の脛を守る革の脚絆のみ。武器を使わない(使えない)弟に対してこちらも格闘技で対抗する。
舐めて掛かっている訳では無い。素手の相手に剣を抜いて殺さない様に手加減が出来ないからだ。
お互いに左半身。但し弟の方がやや姿勢が低い。と思っていたら足元へタックルに来た。
僕は膝でカウンターを取るが、弟は両手でガードしてダメージを防いだ。思った通り、父に基礎的な動きは叩き込まれている様だ。
先程よりも体勢が高いと見て左の拳で連打を掛ける。腰を入れず、速さと手数を重視した手打ちだ。
拳技は不得手なのか捌き切れていない。弟は握りこぶしを作らずに手を開いた状態で対応している。手の形は人と同じだが、人よりも鋭い爪があって、それで突いたり引っ掻いたりするスタイルなのだろう。それはそれで厄介だが、爪が邪魔で拳が作れないのかもしれない。
手甲をしていて正解だ。これが無ければこちらの拳を捌く時に爪で引っ掻かれてズタズタにされていただろう。僕の拳は三発に一発くらいでヒットするが、軽打なので効果は薄い。隙を見て体重を乗せた右の一撃を叩き込んだが、後方に跳んで威力を殺された。そればかりか体を盾に回転させつつ下からの蹴りを放ってくる。下肢には鋭い爪があって、これを喰らえば一撃でアウトだ。
後方に手を突いてくるりと一回転して体勢を整える。僕にも真似の出来ない実にアクロバティックな体術だ。
今の一連の攻防で、弟は息が上がっている。持久戦に持ち込めば勝てそうだ。と考えたが、かれらの基本は集団戦だ。一人に長い時間は掛けられない。
左の連打で距離を測りつつ、再び右の一撃。今度は両腕を合わせてガードを見せた。これを好機と一気に間合いを詰めて左手を直角に曲げて横打ちを決める。縦の攻撃には対応できても真横からの一撃には反応しきれずに崩れ落ちた。
転がりながら距離を取るが、最後には大の字になった。
「そこまで」
どうやらそれが降伏のポーズらしかった。
父と一緒にいた大きなメスが近寄って来て弟の傷を舐める。
「あれはレオーネの母親だよ」
「なるほど」
母親が舐めた所が治っていく。
「彼女達の唾液には治癒の魔法効果があるらしい。俺も十年前には助けられたよ」
それならばその傷は?
「上へ行こうか」
僕は父と一緒に小屋に向かった。
2 父の真実
順を追って話そう。
十年前、王の命で平原の探索に来た俺は、同行した十人の裏切りにあった。この剣の助けが無ければ俺は生きていなかっただろう。
この剣は敵の殺意を感知する機能がある。敵の奇襲を交わして、抜き打ちざまに二人を切って捨てた。
それで引いてくれれば良かったんだが、乱戦になって三人を倒し、三人を戦闘不能にした。そこで連中は撤退したから、その後どうなったかは知らない。
王国に生きて帰ったのが一人だけと言うのは後で知った。傷を負った三人は恐らく途中で始末されたのだろうな。そして…。
俺もこの傷ですぐには動けなかった。
血止めの軟膏を塗って休んでいたところに現れたのが母猫と二人の娘だ。
母猫(俺はイヴェールと呼んでいるが)は縄張り争いで夫と妹を亡くして彷徨っていたと言う。
ああ、イヴェール本人から聞いたんだよ。彼女の父親はユマンの魔導師で、言葉は発せられないが念話で意思疎通が可能だ。今も小屋の下で聞き耳を立てているだろう。
胸の大きな傷以外は彼女が舐めて治してくれた。軟膏を塗る前なら、この傷も舐めて消せたらしいが、応急処置をしなければ猫たちと会う前にくたばっていたかもしれないしなあ。
どうやって砦に侵入したかって。簡単な事だよ。大河を渡って向こう側の入り口から普通に入ったんだ。イヴェールは水の上を歩く能力を持っていて、俺と行き会わなければ娘二人を背中に乗せて向こう側へ渡る心算だったらしい。
それをしていればいずれ王国と衝突して命を落としただろうな。
さて、明日は俺と戦ってもらう。武器はお前に任せる。剣を使うかあるいは素手か。
俺に勝ったらこの縄張りを引き継いでもらう。俺は子供たちを連れてここを去る。俺の娘はお前の妹になるので、お前のハーレムに入れる訳には行かないだろう。
俺が勝ったらここを去る時にレオーネを連れて行ってもらいたい。彼らは十歳前後で成人し子供が作れるようになる。レオーネはここのメスたちすべてが血縁になるから、相手を見つける為にいずれはここを去らなければならないのだ。
恩義を返すために縄張りの奪還を手助けする筈だったのだが、それだけでは済まずにこの辺り一帯を仕切る王に祭り上げられてしまってな。俺かお前か、いずれか一方はここに残らなければならないのだよ。
3 想い出
父との対談を終えて下に降りた僕は小屋を支える大木の一本に寄り掛かって腰を下ろす。すると階段の裏手に座っていた母猫が近寄って来て鼻先をくっ付けて来た。
『覚悟をお決めなさい』
と声が聞こえてくる。
「話しかけてきたのは貴女か?」
僕の膝の上に頭を乗せて寛いでいる母猫の耳がピクリと動いた。父は故郷の言葉で冬を意味するイヴェールと呼んでいた。
「一瞬母の声かと思った」
念話を使えると聞いたが、いくつかの使用条件があるらしい。
『私の声が貴方の母上に似て聞こえたとすれば、貴方が私に母上のイメージを重ねているからでしょう』
「万が一、僕が父に勝ったらどうしますか?」
『私たちは常に強いオスを求めます』
と曖昧な返答で、
『万が一と言う以上、貴方自身でも勝ち目は薄いとお考えなのですね』
「剣を使うなら、ほとんど勝ち目はないですね。殴り合いなら、まだ可能性はあると思いますが」
殴り合いと言えば、
「弟、レオーネの具合はどうですか?」
『お気遣いありがとうございます。あの子にもいい勉強になったでしょう』
とイヴェール。
『あの子は私たちとは体の構造が少し異なりますから』
レオーネは母や姉たちと比べて我々ユマンに近い。母や姉には教えられない事もあるだろう。
しかし完全にこちら寄りと言う訳でもない。
第一に肩回りの自由度。僕が留めに放った横打ちだが、恐らくレオンには無理な動きだ。
第二に腰回り。つまり腰を捻る動きはユマンだけの特徴だ。故にレオンは二足歩行の際に右手と右足、左手と左足が同時に出ていた。
その一方でネコ特有の柔軟さを残している。この辺を生かした技を探求していくべきだろう。
『貴方のお母上のお話を聞かせて頂けないかしら』
と言われた。
「父は何か言っていましたか?」
『可愛い人としか』
「可愛いですか」
僕は苦笑した。
「息子の立場から見れば、母は怖い女性なのですが」
母オリュンピアスは平民の中では富裕層に属する騎士階級の生まれであった。貴族のご令嬢に侍女として仕えていた頃に、流れモノの冒険者として王国に現れたのがわが父フィリップスだった。
そんなフィリップスに憧れを抱いた令嬢に危惧を抱いたその母君は侍女に相談を持ち掛けた。侍女の出したアイディアが王族との婚姻で、時の王太子との縁組を誘導したのが侍女のオリュンピアスであった。
オリュンピアス自身もフィリッポスに好意を抱いていたが、二人が結婚に至ったのはあくまでもごく自然の流れであった。
王太子が新王として即位した後、フィリッポスはそれまでの様々な功績を評価されて爵位を賜った。結婚相手として貴族の令嬢が名乗りを上げたが、フィリッポスが最終的に選んだのはオリュンピアスであった。
『貴方のお母上がお父上との婚姻を望んで状況を誘導したのではないの』
「どうなんでしょうね」
流れモノの冒険者が貴族の令嬢を妻に迎えられる可能性は小さかった。故に主の令嬢を恋のライバルとして排除する必然性は小さい。令嬢がフィリップスに興味を抱いたことが二人を結び付けたと見えるので、むしろ令嬢は二人の後押しをしたとも思える。
父が母を妻として選んだのは、厄介な宮廷闘争から距離を置く為と言う側面もあった。貴族の令嬢から選んだ場合、選ばれなかった家から恨まれるのは必定だからだ。王妃の侍女を務めていた母を妻とした事は、ある意味で新王への配慮とも考えられる。
4 教練
翌朝。保存食を食べているとレオーネが声を掛けてきた。僕が殴った部分はすっかり癒えていた。
「唾液による治癒ってみんな出来るのか?」
と聞いてみたら、
「母は跳び抜けて優れていますが、叔母や姉たちもそれなりに使えます」
伯母と言うのは彼の姉たち(僕から見れば妹)の母親だが、彼の母の娘なので年の離れた姉でもある。彼らは父方の血縁が優先されるのだろう。
僕はレオーネの肩周りの可動域を確認しながら技を教えていく。
思った通り上肢は外側へは開けないが、内側へは動かせるので抱き着き攻撃は可能だ。両腕で組付けば彼らの最大の武器である牙が使える。僕を襲ってきた連中も多くは爪の一撃で動きを止めていたが、最も致命傷になったのは噛み付きだった。
弟には革製の手甲を付けさせた。爪が使えるように指先には穴を開けている。襲撃者たちの死骸から使えそうな武器と防具をはぎ取って来たのだが、この手甲もその一つだ。着用に際して左右を逆にした。通常は手の甲の方に厚みを持たせてあるが、それが掌に来るようにしたかったのだ。これによって握り拳を作っても自らの爪で掌を傷つける恐れが無くなる。
「爪は使わないの?」
と首を傾げていたが、
「獣相手なら今まで通りで良い。ただユマンを相手にする場合には爪は隠した方が戦いの選択肢が増える」
彼らの爪は鎖帷子なら貫けるが、板鎧だと弾かれる。それならば拳を鈍器として用いるのが有効だ。爪は鎧の隙間を狙う時に暗器の要領で用いるのが良い。
「さてそろそろ始めようか」
と父が声を掛けてきた。
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