序の章 遭遇
1 裏切り
僕の名はアレクサンドロス。気軽にアレクと呼んでくれ。
僕は十年前に失踪した父を探してこんな所まで来た。僕に同行した四人の手練れは全員倒された。僕はたった一人で大型の猫の群れに囲まれている。立ち上がれば僕と同じくらいの大きさだろう。
一体だけ実際に立ち上がっている猫が居る。四足歩行動物故に上肢と下肢がほぼ同じ長さだが、人で言う踵からつま先までが長く、爪先立ちしているので目線が僕と同じくらいの高さにある。頭から顎の下までぐるりと囲む長い毛が僕と同じ黄金色をしている。
「待って」
直立している一体が言葉を発した。
「そのユマンから、父さんと同じ匂いがする」
僕を囲む四体が威嚇を止めて僕の臭いを嗅ぎ始めた。
「人の言葉を介するのか?」
驚きつつも問い掛けると、
「僕と姉さんたちの父親はユマンだからね」
人と猫の混血?
「にわかには信じがたいが」
「その腰に付けている剣には見覚えがある。貴方の名前はアレクでは無いか?」
「そう言うお前の、いやお前の父の名は何と言う?」
「フィリップ。と聞いている」
間違いない父だ。だとすればこの直立する猫は僕の弟になるのか。
僕の父フィリップ=フランクは西方から流れてきた冒険者だった。フランクと言う姓も、西方人を意味する言葉で、単なる愛称として呼ばれていたモノをそのまま姓として用いるようになったらしい。
父は王国で功績を上げて爵位を貰い、騎士階級(富裕な平民層)に属する女性を娶った。子供は四人いて、三人の娘と末の息子一人である。
十年ほど前に、父は大河の左岸に広がる大平原の探検に向かい消息を絶った。父に同行した十人の戦士の中で生きて帰ったのはたった一人だった。
二十歳になった僕は父の消息を求めてこの地へ足を踏み入れた。僕に同行を申し出たのは五人。一人は十年前に生き残った戦士の息子で僕よりも二歳下。残りは騎士階級で僕よりも年長である。
出発に際して母は僕に剣を渡した。
「これは父と共に失われたはずのモノでは?」
「五年前に、とある商人が手紙と共に持って来たのです」
手紙は父の筆跡で、
「今は帰れない。息子が二十歳に成ったらこの剣を渡すように。と書かれていました」
父の愛剣は魔法が付与されており持ち主である父以外には抜く事が出来ない。父かその血縁で無ければ触る事も出来ないので特殊な布に包まれている。
「この剣が僕に抜けないと言う事は、父はまだ生きていると言う事ですね」
父が死んでいれば、剣は新しい主を選ぶ筈だ。
僕はまず父の手紙を運んだと言う商人と接触した。同行した部下たちにも細かい情報は報せずに二人だけでの密談に及ぶ。
王国の南の国境、東から西へ流れる大河を渡れるのは一か所だけ。大河を左右に分ける中州に掛かった日本の橋だけだ。中州には砦が築かれて、砦に渡る北の大橋と砦から南の平原へ繋がる南の小橋である。小橋と言っても普通よりは立派な橋で、比較対象となる北の大橋が巨大過ぎるのだ。
商人はこの砦に商品を納入している。彼が父と会ったのもこの砦の中で、父が今どこにいるかまでは知らなかった。
中州の砦で水と食料を調達し、小橋を渡って西岸に足を踏み入れてから三日。川岸も見えなくなった。そろそろかな。
四人の剣士が僕を襲ってきた。一人は後方で僕の様子を伺っている。例の生き残りの息子だ。
父の剣は抜けないので、もう一本の小剣を使う。かつて父から手ほどきを受けていた頃に使っていたモノだ。
僕が四対一でも凌ぎ切れている理由は僕を襲っている連中に殺意が無いから。僕を殺す事に躊躇いもあるのだろうが、殺さずとも動けなくすれば任務としては充分なのだろう。そして下手に踏み込み過ぎて自身が刀傷を負うのを恐れてる。あくまでも僕は現地の獣に襲われて倒れたことにしなければならない。僕はそれを読み切って手数を増やして牽制している。
血の臭いを嗅ぎつけてきたのか、獣たちが近寄って来た。
「もういい。引き揚げよう」
と指揮官が命令を下す。だが、
「残念ながら手遅れだよ」
猫型の獣に襲われて敵は次々と倒れて行った。
一難去ってまた一難。襲撃者はすべて倒れたが、僕はフェレスたちに囲まれてしまった。
「それで、君の名は?」
「レオーネと呼ばれています」
2 聞き取り
ピリッポス伯とはかねてより懇意にさせて頂いておりました。
五年前、砦に物資を収めた晩に伯が私の宿所を訪ねてきたのです。
伯は毛皮で包んだ剣と手紙を私に差し出して、
「妻のオリュンピアスに届けて欲しい」
と仰せになりました。
五年間どこでどうしていたかは仰せに成りませんでしたし、わたくしからも伺いませんでした。聞いたところで一介の商人に何か出来る訳でもございませんから。
手紙を読まれた奥方様はその場で返書をしたためてわたくしに託されました。
伯の方から接触してこない限り渡す事は出来ないと念を押したのですが。なるほど、伯からの手紙の中にその様な指示があったのかもしれませんね。
伯から再度の接触があったのはちょうど一年後でした。
それから毎年一回だけの文通を仲介してきました。奥方様も手紙の受け渡し以上の仕事をお命じに成りませんでした。伯の消息は手紙の中に書かれていたのかもしれませんが、わたくしは内容については一歳承知しておりません。商人は信用第一ですからな。
若様がこうして出張って来られたからには、わたくしもお役御免と言う事でしょう。
3 母の独白
夫ピリッポスが王の命で大平原の探索に向かったのは長女の嫁ぎ先が決まった時だった。
「婚姻の儀までには帰ってくる」
と言ったが、返って来たのは訃報だった。
悲しみを堪えつつも三人の娘を権門名家に嫁がせて後は息子のみとなった時、その知らせは唐突にやって来た。
「夫に会ったと言うの?」
「間違いございません」
商人は毛皮に包まれた夫の愛剣と自筆の手紙を持っていた。
子供たちが居なければ、身一つで夫を探しに出ていたであろう。
手紙を開くと事件の概略が記されていた。十人の同行者に襲われてその半数を返り討ちにした事。三人には手傷を負わせて退けたが、自分も傷を受けてすぐには動けない状況になった事。肝心の今現在の状況については触れられず、自分が生きていることを知られると私や子供たちに危険が及ぶかもしれないのでしばらくは死んだ振りと続けようと思う。とだけ書かれていた。
砦に忍び込む事が出来たのだから元気であることは間違いない。
追記として、子供たちの様子を知らせてくれると嬉しいと有ったので、返書を買いて商人に持たせた。
「伯の居所は存じませんし、あちらから接触してこない限りは渡す手段はありません」
とごねていたが、一年ほどして連絡がついて、その後は一年に一回の文通が行われた。と言っても大して書くことなどは無く、互いの生存確認に留まったが。
息子アレクが二十歳を迎えて、第一王女との婚姻話が持ち上がった。何も知らない状況であったなら手放しで喜べる良縁であるが、王の真意が読めない状況では判断に困る。
私の苦悩を察したのか、
「父の捜索の為に大平原への遠征をお許しいただきたい」
と王に願い出た。
「伯は既に亡くなっているのではないか」
「それを確認したいのです。亡くなっているのならばせめて遺品でも持ち帰って母の慰めにしたいのです」
王はすこし考えてこれを許可した。
私は夫の愛剣を息子に渡した。
「この剣が僕に抜けないと言う事は、父はまだ生きていると言う事ですね」
「前の持ち主が亡くなったからと言って、お前が新たな持ち主として選ばれるとは限らないでしょうに」
と言うと、
「それならば剣に触れることすら叶わない筈です」
抜く事は出来なくても、持ち主の血縁であれば触る事は出来る。
「であれば、その剣は主の元へと貴方を導くでしょう」
アレクは五人の同行者(九分九厘刺客と化すであろうが)を伴って出発した。三人の娘とその夫も見送りに現れた。
「武運を祈ります」
と言って息子を送り出した。
4 再会
「僕をどうする?」
「父の所に案内します」
「お前が父の息子だとして、この四人は?」
「貴方の左右に居るのが僕の姉たちで、その背後にいるのはそれぞれの母親です」
二人は直立して僕に寄り添っているが、残りの二人は直立は難しいらしい。
「行きましょう」
弟は直立歩行のまま僕の隣を行く。前方にその姉たち、後方にその母親と僕たち二人を取り囲む四角形を形成して進む。
前を行く二人の掌には肉球があり、その先に付いている大きな爪で地面を引っ掻いて高速走行が出来る。短いながらも指と呼べる部位はあって根元から曲げられるらしいが、親指に相当するものが無いのでモノを掴むことは難しそうだ。それに対してレオーネと名乗った弟は手首から先がヒトに酷似していてモノを掴むことが出来そうだが、その代わりに四足歩行が不得手ならしい。
「言葉を操れるのもお前だけか?」
「ええ。姉さんたちも意味は理解はしていますが、言葉を発する事は出来ません」
しばらく進むと大きな木が三本固まっているのが見えた。そしてその木を跨ぐようにして小屋が作られている。
「あれが僕たちの王の住むところです」
小屋の下に大きなネコに体を横たえる男性がいる。
「大きくなったなアレク」
間違いなく父だ。