74宿屋ブルー
宿屋ブルーはバランタインの下町の中心部よりも少し外れたところにある。
周囲は雑貨屋、金物屋、仕立屋などの実用品を扱う店が多い。街の中心より幾分ましだが、それでも多数の人が行きかう。
その並びに宿屋ブルーはある。
そんな宿屋ブルーの入り口に、まるで、竜真たちがこの日、この時間に戻るのを知っているかのように、タリスカーが待っていた。
「お帰りなさいませ。竜真さん、葵さん。」
「タリスカーさん、久しぶりですね。」
タリスカーは店の給仕らしく、丁寧にお辞儀をした。
宿屋ブルーに来た理由は他にもある。
「タリスカーさん、ご主人様に会わせてもらえないでしょうか?」
そう、ご主人様だ。ご主人様にはこの海戦を期に大京国へと戻れと言われていた。
だが、それに反してバランタインに残った。まだまだ、学ぶべきことが、このバランタインにはあると考えたからだ。
自分はまだまだ未熟だ。天音さんのように、自分のはるかに上に人たちがいる。
仮に自分と葵とで、二人がかりで魔術を使ったとしても勝てるとは思えない。
自分なりに理由があってのこと。
だから、怒られるかもしれないが、せめて、自分なりに意見するつもりでいた。
しかし、タリスカーからの返答は・・・
「ご主人様からは竜真達との面会を断るように仰せつかっております。ご主人様との面会はお受けできません。」
呆然としていた竜真に対し、葵が食らいついた。
「ちょっと、どういうことよ。」
「そう仰せつかってますので、出来ぬものはできません。それより食事の準備ができています。こちらへどうぞ。」
「そうじゃ、ないわよ。何があったのよ。」
「私からは何も申し上げることはできません。」
面会は断ってます、と言われれば、それまでなのだが、なんだかここまで明言されると、とても気になる。
タリスカーにレストランへと案内されるも、葵は、それを無視して、ずかずかと、店内の奥に入っていった。
ご主人様の部屋は、建物の一番奥にある。レストランのフロアを抜け、その先にある奥の部屋。その部屋の前で、葵は、ドン、ドン、ドンとドアを叩く。
「ご主人様、いるんでしょ。」
と声をかけるものの、全く反応はなかった。
葵はドン、ドン、ドンと再度ドアを叩く。だが、特に反応はなかった。
「葵・・・。」
竜真は葵の肩に手をかけた。
「また、明日の朝来よう。」
「・・・えぇ、分かったわ。」
どこか、腑に落ちない感じはあるが、一度切り上げて、レストランに戻り、その日の食事を取った。
時間は夜だ。
竜真はベットに横になりながらも、この何ともいえない、違和感が気になって寝付けずにいた。
なぜか、タリスカーは店の前で待っていた、すでに食事が用意されている。タリスカーは自分がたちがこの日、この時間に来るのを知っていたようにしか見えない。
そして、急に会えないと言ったご主人様。
なんとなく、外を出歩きたくなった。竜真は部屋を出て、一階へ降りる。
そのまま玄関を出れば、外に出られるが、廊下の先の扉が気になった。お主人さまの部屋だ。
少し気になり、ご主人様の部屋の扉の前にまで来たが、部屋にご主人様はいない、そんな気がした。
竜真はそのまま外へ出た。
昼間は人でにぎわい、音楽が奏でられる通りも、今は誰もいない。月明かりだけが照らしている。
すぐ近くにある港町を見下ろせる広場に行ってみようと思った。
港町は、夜でも灯がつけられている。街に沿って灯が浮き上がって見える風景は美しい。
ただ、その灯りに照らされて、ある人のシルエットが見えた。遠くてよくは見えない。けども、その腰の曲がったシルエットはご主人様のようにも見える。
「ご主人様・・・。」
近くに行こうとも思ったが、どこか、そのシルエットは一人で泣いているかのようにも見えた。
それが、竜真を近くに行くことを躊躇わせた。
遠くなので、よくわからないが、独り言だろうか。街中は他に誰もおらず、ひっそりとしている。
か弱い声がほっそりと聞こえてくる。
「・・・また今回も、ダメか・・・。」
今回があるならば、前回は何であったか、ダメとは何がダメだったか。何のことを話しているのかは竜真には察しがつかなかった。
そのシルエットは、月明りを照らす空を仰ぎながら、まるで、この世界を悲観しているようにも見える。
何を悲しんでいる。何を悲観している。疑問が頭をよぎるが、その答えはわからない。
今は、ただ、一人にしてあげることしかできなかった。
翌朝だ。
翌朝になってもご主人様は姿を現すことはなかった。