124間章 タリスカー
タリスカー、彼女もまた、時間遡行した世界に気づき、空間転移魔術により、記憶を持ったまま歴史のループを繰り返す者。そして「宿屋ブルー」のご主人様を慕い、常にその側に仕える者だ。
ご主人様との出会い、それは偶然だった。
葵は歴史のループを繰り返す中、「宿屋ブルー」を作り、そこを拠点として何度も竜真を助けようとした。だが、決して結果は変わることはない。
思いつく手はすべて尽くしたというのに、竜真を救えない状況に疲れていた。
そこで、あるループの回にて、気晴らしに遠出することにした。
もしかしたら、竜真を救うヒントも得られるかもと思ったのだ。
葵は、北側にあるゴミ捨て場と呼ばれるスラムを目指してみた。
街を離れ、しばらくすると、途中に守衛所があった。ガーデンのゴミ捨て場は意図的に隔離されている。
「おい、誰だ、この先は立ち入り禁止だ。」
守衛の衛兵が葵を止めるが、葵には何ら支障はない。
葵は小さくため息をつくと、手を前に出す。
「風撃。」
葵の周囲から、とてつもない暴風が吹き付ける。
ズドン、バシン、ガシャン、ガラガラ、ドシン!
とてつもないを音を立て、守衛所の建物は暴風で吹き飛ばされ、衛兵も一緒にどこかに吹き飛んだ。
葵の心中では、どうぜこの回も竜真の説得に失敗する、どうぜ、世界は歴史を繰り返すなら、何をしようが関係ない、と思っていた。
何事もなかったかのように守衛所を通り過ぎ、しばらく行くと、視界が開けた場所に出た。
出てきた場所は、バランタインのゴミ捨て場と呼ばれるスラムを一望できる場所だった。
廃墟、瓦礫が散乱し、至る所にビニールを張っただけのテントがあり、集落を作っていた。
今までのバランタインの街とは違い、花など咲いておらず、植物すら見当たらない。音楽を奏でる者も誰もいない代わりに、一部の者たちが「う・・・。うぇ・・・。」と嗚咽をあげていた。
歌歌い病というらしい。不衛生な環境で発症する、この集落独自の風土病と聞く。うめき声が歌を歌っているように聞こえることから、この名がついたという。皮肉だ。
崖のすぐ脇には、美しく立派なガーデンの宮殿が聳え、そこから、黒緑色の液体が絶えず、流れ続けている。ガーデンのテラスからは、次々とゴミが投げ捨てられ、崖下にゴミ山を作り、多数の羽虫が舞っていた。衛生環境は明らかに悪い。
葵は、スラム内を歩いてみる。
酷い有様だが、竜真につながるものは見つからない。この酷い有様を見て思うことはあるが、優先すべきは竜真のこと。
ここに得るものはない。そう判断して、引き返そうとしたときであった。
「ねぇ、おばさん。どこから来たの?」
背後から声をかける者がいた。
振り返れば、まだ小さな女の子だ。銀髪のツインテールに赤い目の瞳が印象的だ。服はボロボロに汚れたボロ切れだ。
「あのね、おばさんはでなくて、お姉さんって言うのよ。」
葵は、一応訂正しておくが、時間遡行の影響なのだろう。もう、そんな年に見えるのかと、残念に思う。
「あたしわね、あの崖の向こうから来たの。パパとママはどうしたの?」
「パパは知らない。ママはあそこ。ママね、なんかね、ずっと前から動かないの。」
そう言って少女が指さす先には、ビニールのテントの中に横たわる人影が見えた。
葵は少しその人影に近づいてみる。
「うっ。」
葵は、とっさに口を手で塞いだ。それは、人として形状は留めているものの、多数のウジ虫が体中に湧いていた。
「ねぇ、ママー、起きてよ。」
と、その少女はウジ虫が湧いたママの手を引っ張るが、葵がそれを止める。
「ママはね。ずっと寝てたいんだって。このまま寝かせてあげようね。」
葵は少女を諭す。よく見れば、少女の体はやせ細っていた。まともな食事など摂れていないのだろう。
「ママ、もう起きないの?」
「そうよ、ママはずっと寝ていたいんだって。そっとしてあげようね。」
「じゃぁ、どうすれば、向こう行けるの?」
「向こう??」
「うん、向こう。ずっとお願いをして努力すれば、いつか願いは叶うってママが言っていた。」
そう言って少女が指すのは崖の向こうであった。
「ママね、ずっとあの崖の向こうに行きたいって言ってた。だけど、そこの建物に怖い人がいるから通れないの。だから、ママはずっと努力して、別の道を作ってたんだよ。」
「そうなの・・・。」
このスラムを歩き回っていたが、みな、死んだ目をしていた。
だが、この環境から脱出しようと、贖おうとした人もいたのだ。
「じゃぁ、もし、崖の向こうに行けたら、一緒に行ってみる?」
「ええええー、でも、怖い人がいるよ。」
「大丈夫、さっき、お姉さんがやっつけたから。」
葵には、この子をこのまま、このスラムの置いておくことは出来なかった。
いずれ、この世界は、時間遡行により、もとの世界に戻る。
そうすれば、あの少女もまた、あのスラムに戻ってしまう。
この世界に余計な干渉する気はなかったが、情が移ってしまった。少女に空間転移魔術をかけることで、時間遡行を回避し、この場に留まり続けることができる。
「ねぇ、あなたの名前はなんていうの。」
「うんとね、タリスカーっていうの。」
葵は、タリスカーを宿屋ブルーの給仕として育てた。タリスカーもまた、空間転移により、葵と同じく、年を取る。
タリスカーは徐々に年齢を取り、世界が同じ歴史を繰り返す中、少女から大人の女性へと成長した。
葵は、タリスカーがまだ幼いときに聞いてみたことがある。
「タリスカー、その崖の向こうに来ることはできたけれど、新しい夢はあるの?」
「あたしの夢はね、おばあちゃんをご主人様にして、ご主人様の夢を叶えること。」
「あたしの夢かい?」
「そう、おばあちゃんが夢はないの?」
「そうだね。ずっと会いたい人がいるんだよ。近くにいるはずなのに、会うことができない。その人に会うことがあたしの夢かな。」
葵は、その少女を無下にすることなど出来なかったのだ。