ベンキョー
放課後の保健室に猫屋敷が現れた。浮かない顔をしている。
「辛気臭いわね。どうしたの?」
ベッドから起き上がり、右京は中央テーブルの端の椅子に座った。
「……お前には一番分かりっこない悩みだ」
どうも気分が悪いようで、猫屋敷はぶすっとして言う。三橋はこれを見てPCを打つ手を止めた。
「猫屋敷くん。私が言うのもアレだけど、悩みっていうのは本当に重いストレスになるの。君の健康のためにもどうかひとつ私たちに相談してみないかい?」
「うわ珍しい、本当に養護教諭してるわ」
右京はいつになく人の心配をする三橋に驚いた顔をする。猫屋敷は日誌の記入に取り掛かりながら答えた。
「三橋先生で解決できますかね?」
「私にできることなら何でもするわ。海輝が本当に元気なくなってからかい甲斐がなくな……君には元気に登校してもらいたいからね」
「本音が出たわね、クソ女。別に猫屋敷くんがいなくたって、どうってことないでしょ」
どうやら三橋には下心があるらしいが、猫屋敷には伝わっていないようで、表情が変わることはなかった。パタン、と日誌を閉じた猫屋敷は右京の向かいに座った。
「右京海輝。僕に勉強を教えてくれ」
目を見開く右京に猫屋敷は頭を下げた。
「お願いするなら、もっと頼み方ってものがあるでしょ」
「お願いします」
「私は頭を下げて欲しいわけじゃないわ」
「右京様」
「呼称の問題じゃない」
「海輝様?」
「……もいいけど違う!てかなんで疑問符?」
「肩もみますよ」
「おばあちゃん扱いすな!」
「……その気になれば養護教諭の一人や二人、左遷させますぜ、旦那」
「京子をどうにかしたところでよ」
「コゥラ!私をダシにするな!」
「……全くわからん」
「だからァ!その……ね?」
「はっきり言えよ」
「その……週末、買い物に付き合う……とか」
「なんだそれ。荷物持ちかよ」
「海輝……あんたって子は」
「いっ、嫌なら教えないわよ!拒否権はこちらにあるのよ!」
「右京が行くっていうなら付き合うよ。僕も買いたいものあるし」
「「……えっ?」」
「……なんだよ、二人して」
――かくかくしかじか。週末に買い物をすることが決まった上で、勉強会が開催される運びとなった。
「まずは現状確認ね。いくら私でも、私より賢い人に偉そうに講義しないわ」
「……圧倒的学年一位が調子に乗るな」
「あはは!そうだったわ。私より上位の人っていないんだった!テヘッ」
「……こらえろ猫屋敷亮!」
「猫屋敷くんは今回の中間テストは何位だったの?」
満面の笑みの右京が聞き、苦渋の表情の猫屋敷が答える。
「……10位」
「あら、意外に高いのね。普通にいい順位だと思うけど」
猫屋敷はぶすっとして個人素点票を突き出した。
「英語が全く読めないんだよ。英語教えてくれ」
三橋が右京の背後に回って、二人が点数を確認する。
「なっ……!」
「ワォ!」
右京の顔がこわばり、三橋が驚いた顔をする。
「国語100点、数学98点、理科97点、社会100点、英語8点の合計403点?」
右京は次の句を失った。
「国語より、1890年『国民之友』で発表された、雅文体で描かれた浪漫的小説は?」
「森鴎外、舞姫」
「数学より、次の不等式の解を求めよ。x²-x-2≦|x-1|」
「-√3≦x≦1+√2」
「理科より、生物の配偶子に含まれる染色体あるいは遺伝子の全体をさす言葉は?」
「ゲノム」
「社会より、大永5年に33条が制定された後、天文22年に追加で21条が制定された法令を総称して?」
「今川仮名目録。というか33条本は大永6年だろ。問題が間違ってる」
「……ホントだわ。ごめんなさい」
「猫くんすごいわね……」
「英語より、Please tell me. How can I get to the science room?」
「は、はう?……るーむ?」
「……はぁ」
「なんだよそのため息は」
「猫屋敷くんも面倒な人間ね」
「三橋先生ほどじゃない」
「それもそうね」
「コゥラ!なんじゃとー!」
こうして右京は英語専攻教師(ただし保健室登校)、猫屋敷は生徒、三橋はイジられと、それぞれの立場を固めるのだった。