趣味
放課後の保健室に猫屋敷が現れた。いつも無表情の猫屋敷にしては珍しく、喜びながら哀しんでいるような表情をしている。
「あらこんにちは、猫屋敷くん。随分と器用に矛盾した表情しているわね」
ベッドから中央テーブルに移動した右京が猫屋敷に話しかける。すると猫屋敷はちょっと哀しい表情を強くしながら頭を振った。
「……ほっといてくれ。ちょっと人と話ができる気分じゃない」
頭に『残業防止!』と書いてあるハチマキをして仕事をしていた三橋は、PCを打つ手を止めてこちらを向いた。
「どうしたの?悩み事なら相談にのるよ?」
「いえ……本当に気にしないで下さい」
今度はガックリと項垂れながら日誌を書き始める猫屋敷。三橋は中央テーブルの方に寄ってきた。
「海輝、あんたなんかした?」
「するわけないじゃない!なんで私が原因みたいになってるのよ?」
「そうよねぇ……猫屋敷くん大好きなあんたが哀しませるわけないか」
「ちょ、あんた本人の前で何てこと言ってるの!馬鹿!」
そんな二人に気付いているのかいないのか、猫屋敷は日誌を書き終えるとテーブルに伏せてピクリとも動かなくなった。
「あー……んー……」
時々呻き声がするだけでまともな状況ではない猫屋敷を見ると、右京はほっと息をつく。
「よかった、聞いてないみたい」
「今心配すべきはそこじゃないでしょ?」
三橋は半目になって右京を見る。途端に安心な表情を浮かべ始めた右京は、颯爽と猫屋敷の隣に座る。
「猫屋敷くん、悩み事ならこの私に言ってごらんなさいな?京子より私に相談した方が力になれるわ」
「うー……」
右京は猫屋敷の背中を嬉々とした表情で撫でて、慰めようとするが猫屋敷は全く動かない。そんな二人を前に、三橋が何かを思いついたように手を打った。
「そうだー、猫屋敷くんが私たちに相談してくれれば、海輝がサボりまくって猫屋敷くんに押し付けてる今までの分の仕事のツケを強制で払わせるんだけどなぁ……?」
猫屋敷がむくりと起き上がった。
「……マジすか」
「……マジです」
「ちょっと!勝手に決めないでよ!」
慌てた右京の叫びには耳を貸さず、素知らぬ顔で猫屋敷は相談しようとした。
「実はですね……」
「ヤダー!仕事したくない!」
「猫屋敷くん話してくれるみたいよ。うるさいから」
右京は一変、涙目になった。
「実は昨日、ミドリちゃんのスマホゲームがリリースされて」
「……ねえ海輝、とても嫌な予感がするんだけど」
「……奇遇ね、私もよ」
「今の時代には珍しい、アイドルが戦うアクションゲームなんだけど」
「なかなかワイルドね」
「今はリズムゲームが主流らしいのにね」
「勿論、ミドリちゃんを出さなきゃいけないから、キャラクター回収と衣装の獲得のガチャのために課金したんだけど……」
「……けど?」
「コンプリート出来なかったの?」
「いや、コンプリートに70万円掛かった」
猫屋敷はため息をついて続ける。
「まあコンプリートは出来たし、操作にも慣れて、いま世界ランキング1位なんだけど、ミドリちゃんのコンプだけで70万円でしょ?あと4キャラいるから280万円って考えると……」
「え?まさか推しキャラ以外もコンプリートする気なの?」
「推しだけで70万円よ?」
「逆になんでコンプしないの?して当たり前じゃん」
いつもと変わらない表情で恐ろしい額の追い課金を計画している猫屋敷に、右京と三橋は顔を見合わせた。
「さすがに70万円は使い過ぎたかなとも思うけど、引かずに後悔するよりは引いて後悔した方がまだましだと思うんだよね。どうしようか……」
「猫屋敷くん、悪いことはないわ、考え直しなさい」
「こればかりは海輝に賛成よ。猫屋敷くん、よく考えて……」
右京と三橋の説得に少し考えた猫屋敷はひとつ頷いた。
「……やっぱ280万円用意する」
「「馬鹿!」」
猫屋敷は驚いた表情で固まった。