ババ抜き
放課後の保健室に猫屋敷が現れた。
「猫屋敷くん、私のベッド半分空いてるけど……どう?」
「三橋先生、あいつ刺していいですか」
「にゃ、なにおぅ……」
三橋は大口を開けて笑う。
「ひー!色仕掛け大失敗!やっぱ海輝には向いてないって。海輝ちゃん大失敗!」
猫屋敷はジトリと右京に視線を投げた。
「……なによ」
「お前、髪綺麗だよな」
瞬間で、起き上がり中の右京と大口を開けたままの三橋が固まった。猫屋敷は何も変わらないトーンで続ける。
「顔も肌も綺麗だし。なにかやってるの?」
小首を傾げる猫屋敷にやっとのことで右京が言う。
「……ッ、別に何もしてないわよ。何?今更私の美貌に惚れちゃった?遅いわね」
「この状況でまだ主導権を握ろうとする姿勢は評価するぞ、海輝」
三橋が右京を評価するも、主導権がどうとか、これっぽっちも思っていない猫屋敷が言う。
「ふーん、そうなんだ」
「なによ、それだけ?」
「うん、気になっただけ」
猫屋敷は視線を外して液体石鹸を取り出した。
「あ、猫くん。今日の補充はさっき私がやっておいたからいいよ」
三橋が思い出したかのように言い、猫屋敷が眉をひそめる。
「三橋先生が……仕事?嘘だ」
「おいコラ」
どうやら三橋が疑われているようだが、普段の行いからすると自業自得である。右京はベッドから立ち上がり中央テーブルに移動する。
「はいはい、猫屋敷くん。仕事とかどうでもいいから。ここ座りなさい」
先ほどの髪の件が腑に落ちなかったのか、少しやり投げな口調で言う。猫屋敷が従うと、右京はその正面に座った。
「あなた、さっき私に聞いたことの意味、分かってる?」
「意味?」
「女性のプライベートな努力に踏み込むことよ。軽々しく聞くことじゃないわ」
猫屋敷は表情を変えないまま、ちらりと三橋を見た。
「努力?ということはなにかやってるんじゃないの?」
「あんた、努力と一番無関係な女を見て言うんじゃないわよ……」
「なんだとゴラァ!」
三橋はいきり立つが、右京は無視を決め込んだ。
「そう、綺麗になるための努力は皆してるわ。いかにそれを”してない風”に見せるかが重要なの!」
「私も努力してます!仕事する努力も綺麗になるための努力も……全部海輝に潰されてるのよ!」
血相を変えて主張する三橋にさすがに猫屋敷も呆れているようだ。
「そうなの。それじゃ、さっきの”何もしてない”ってのは……」
「もちろん嘘よ。してるに決まってるじゃない」
はえー、女子ってスゲー。と無抑揚に感心する猫屋敷のそばで三橋は断末魔をあげた。
「仕事しようとしても海輝をからかわないといけないから手につかないし、美容も若さには勝てないし……海輝、体代われ!」
「悶えて静かにしてなさい。独身アラサーのダメ養護教諭(非モテ)」
ぐはぁ!と何かを吐いて机に伏した三橋に二人は一瞥くれたのちに無視を決め込んだ。
「お前みたいに可愛い人はいろいろ努力してるんだね」
「か、可愛い……!?」
しみじみと言った猫屋敷の1フレーズに右京は反応する。
「私に、か、可愛いって言っちゃうってことは私に気があるんだな猫屋敷亮!あ、あなたに言われると身の毛がよだつわ!死になさい、気持ち悪い!」
赤くなって言う右京を猫屋敷はしばらく眺めていたが、声色一つ変えずに呟いた。
「……その妄想、吐き気がする」
右京は目を見開いてぐはぁ!と何かを吐いて三橋の隣に伏した。
「おい起きろ、右京。1時間経ったぞ」
薄く開けた右京の目に、猫屋敷の顔がドアップで映った。
「ひゃあ!」
飛び起きて、後ずさる。猫屋敷は手に液体石鹸のボトルを握っている。
「何焦ってるんだ。落ち着け」
「あれで驚かないのは人間じゃないわ……こっちの心も知らない癖に」
いつの間にか三橋はいなくなっている。乱れた髪をまとめなおす右京に猫屋敷はボヤいた。
「三橋先生の補充、やっぱりテキトーだった。あれで仕事した気になっているからすごい」
右京は椅子に座り直し、頬杖をついて言う。
「そんなんだから独身なのよ。どうせ今も校長室なんでしょ」
「ご名答。校長が自らおでましなさって、先生泡食ってたよ」
ちなみにもう30分以上前の話だけどねー。と液体石鹸をしまいながら言う。
猫屋敷は何やら手のひら程の箱を持って右京の向かいに座った。
「トランプしない?賭けババ抜き」
「あんた、今のことなかったことにするつもり?」
「今のことって?」
顔が近くて驚いて、興奮しているのは右京だけ。猫屋敷には心拍数の変化など無い。
「もういいわ……あなた本当に馬鹿なの?」
「何言ってるんだ。賭けトランプしようよ」
シャッフルを終えて山札を二つに分ける猫屋敷。
「俺さ、今、小遣いないからさ。右京ラーメン奢ってよ」
「はぁ?なんでまた……」
「もちろんタカるだけなことはない。今からババ抜きでお返しを決めるんだ」
右京は首を傾げる。
「まずラーメン代として1か月保健委員の仕事は肩代わりする。これは決定。それで、右京が勝ったら、それにプラスであのスイーツ奢る。俺が勝ったらスイーツはなし。仕事の肩代わりだけ」
「魅力的ね。仕事する必要がなくなるのは嬉しいけど、私に有利過ぎない?」
「ま、先にラーメン奢ってもらうんだ。これくらいはいいだろ。スイーツを返すか、返さないかだ」
右京は少し真剣に考える。
「じゃあ、私が勝ったらスイーツともう一つ条件を付けて」
「何だよ」
「今後はお互い名前で呼び合うこと。名字はダメ」
猫屋敷は毒気を抜かれた顔をした。
「……もっと鬼畜なのが来ると思った」
「あなたの中の私のポジションは何なの?ねぇ?」
二人はカードを切り始めた。右京の顔には少し赤みがさしていた。
「ま、負けた……」
「よーし、スイーツ代が浮いたー!」
委員の仕事の肩代わりだけでラーメンを獲得した猫屋敷はホクホクと笑みを浮かべた。
「よし、今から行くぞ!」
「そういえば、勝っても負けても私の夕食はラーメンって決まってたわね……」
準備にかかる猫屋敷を遠い目で見つめる右京は今更ながら気付いた。
「まあ、でも二人きり、よね」
向こうからの提案に乗ったまでで右京は何も言っていない。
「行くぞー!海輝!」
「待ちなさいよ……って今なんて!?」
「早く行くぞって」
「その後よ!」
右京はいつの間にか賭けに勝っていた。