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 部屋に戻った私は、午前中のお役目には参加しないので旅行用に着替え等を纏めていたカバンを引っくり返して桐箪笥に仕舞い込んでいる。


 玉彦があぁ言った以上、今日のお出掛けはない。

 大人しく従う気はないし、納得もしていないけれど彼が自分で決めたことをそう簡単に翻さないのを知っているから。


 すると数分遅れて額を赤くして戻って来た玉彦が、無言でお役目着の白い着物に着替える。

 黙々と片付けをしていると、惣領の間へと導く役目の須藤くんの声掛けがあり、玉彦が襖の前でこちらを振り返った気配がした。

 毎日惣領の間へ向かう前に、襖の前でハグをすることが日課になっていた。

 今日も一日無事に過ごせますように、って。

 でもさすがに今日はそんな気分にはならなかった。

 微かに溜息が聞こえて、襖が開かれる。


「待たせた……」


 須藤くんに言葉を掛ける気落ちした玉彦の声に振り返ると、心なしかしょんぼりとする背中が目に入る。

 さすがにさっきのことは絶対に許せないけど!

 でもこれからお仕事に向かう旦那様をこのまま送り出してはいけないということは分かる。

 玉彦はたぶん、まだ頭突きの理由を解かっていない。

 だったらどうしてこうなってしまったのか、話し合う必要がある。

 喧嘩してでも話し合っていこうって私たちは決めていた。


 私は箪笥の前から走って、玉彦の背中に後ろから抱き付いて頬を寄せる。

 前に回された腕に遠慮がちに恐る恐るといった感じの玉彦の指先が触れる。


「比和子……」


「いってらっしゃい」


「……うむ」


「帰って来たら、話し合いだからね」


「承知した」


 腕の中でくるりと振り返った玉彦は私を一度きつく抱くと、離れて襖を閉めた。


 ほんと、手の掛かる旦那様だ。

 正直溜息を吐いてしょんぼりしたいのは私の方だ。

 何の相談もなく結婚記念日の旅行をキャンセルし、訳の分からない約束を優先させた玉彦。

 彼の中ではそれが正しいことだと疑いもしないから、タチが悪い。

 確かに約束したことを守るのは大事なことだ。


 でもそれは時と場合によると私は思う訳よ。

 実際朝餉の席での澄彦さんも私と同じ反応をしていたから、世間一般の認識はそうだと思うのよ。  考えれば考えるほど沸々と怒りが再び揺らめきだして、私は素早く着替えると表門からお屋敷を飛び出した。










「で、頭突きをした。と」


「うん。だって酷いでしょう!?」


「そうよねぇ。あんまりよねぇ。女心を汲み取れないっていうのは、正武家の伝統なのかしらねぇ」


「玉彦の場合、女心以前に人間の気持ちが、です」


「身も蓋も無いことを言うな、おぬし」


 私が今話し込んでいるこの場所は、正武家のお屋敷から徒歩で三十分ほど離れたスズカケノ池。


 その昔、正武家の当主だった鈴彦と彼の惚稀人だったお竜が人柱となって厄災を鎮めた池だ。

 新年の儀で鈴彦に池を訪ねろとお誘いを受けてから、私は気が向けば一人で、たまには玉彦とスズカケノ池を訪れては鈴彦とお竜に会いに来ていた。

 と言っても主に話をしているのは私とお竜で、鈴彦と玉彦は大人しく耳を傾けているのがいつものパターンである。


 鈴彦はいつも紺色の長着にお祭りで売っている狐のお面を頭に乗せて、お竜は白いワンピース姿だった。

 彼らの時代にはワンピースなんて無かったのだけど、時々池を訪れる人間たちの可愛らしい格好を真似たとお竜は教えてくれた。

 なのでその日の気分により、着物だったりワンピースだったりするのだそうだ。


 そうして本日、怒りが収まらない私は誰かに話を聞いてもらいたくて、ここを訪れた。

 いつもならお祖父ちゃんの家に駆け込んで、光次朗叔父さんの奥さんの夏子さんに愚痴るのだけど春は畑仕事が忙しいので邪魔をするわけにはいかない。

 かと言って豹馬くんと結婚した親友の亜由美ちゃんは結婚後も村役場で働いているので捉まらないし、もう一人の親友の那奈はお屋敷の離れで仕事をしている。

 そうなってくると気軽に玉彦のことを愚痴れるのは、ここしかなかったのだ。



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