第11話 勇者編:幼少の記憶
「……はあ」
月の光と、ロウソクの灯火が照らす自室。ベッド横のサイドテーブルに置かれた水と、小さな包み紙を前に、僕は憂鬱だった。
駄々をこねる訳にはいかない。自分のためだと、きちんと理解しているから。
それでも、いつもこの時間は、少しだけ気合が必要だ。よし、と自分に喝を入れる。
包み紙を開け、さらさらとした粉薬を口の中へ流し入れる。味も香りもないが、僕はこの薬が苦手だった。飲めば、必ず一晩寝込むからだ。全身の力が抜けて、立っていられなくなる。
次の朝は、飲む前より体が軽くなるから、悪いものではないことは分かっている。だが、辛くなるのも事実だから、どうしても憂鬱になるのだ。
動けなくなる前に、さっさと布団に潜り込むと、目を閉じる。眠っている間に始まって、終わることを祈る。自分の体が自分のものでなくなるような、あの感覚は、何度経験しても慣れないから。
*
夢を見た。幼い頃……この村に、来たばかりの時の。
「お前いっつも本ばっか読んでるよなー」
「だから弱いんじゃねえの!」
「やーい弱虫!」
「こんな本、捨てちゃえばいいんじゃねえ?」
「それいいじゃん! そしたら強くなれるかもな!」
抱きかかえた本を、いとも簡単に奪われ、見せびらかすように掲げられる。
小柄で気弱だった僕は、おどおどと手を伸ばすしかできない。
「や、やめてよ……」
「悔しかったら取り返してみろよ」
「やれるもんならな!」
「ほら!」
本を持った少年たちが、森の方へ駆けていく。僕は一生懸命追いかけるが、全く追いつくことができない。それどころか、すぐに体力が尽きて、木のそばに座り込んでしまった。
「なっさけねー」
「こんなん読んでても、弱かったら意味ないじゃん!」
「ほんとに捨てちゃおうか?」
「やめて……お爺様に、貰ったものなんだ」
「えーどうしよっかなー?」
僕の反応を楽しむように、少年たちは、にやにやと笑う。本は取り返したい。でも、僕には頼むことしかできない。
どうすれば、少年たちの気が変わるのか。そう考えていた時、かさりと木の上が揺れた。
びくりとして振り向くと、そこにはカラスのような姿の魔物が、ぎらりとした目をこちらに向けていた。
「びっくりした……」
「なんだ、カラスか」
「おら、あっちいけよ!」
少年たちの一人が、魔物を追い払おうと、小石を拾って振りかぶった。それを見た僕は、はっとして少年の腕を掴んだ。
「だ、だめ……!」
「うわ、なにすんだよ!」
「あれはレイヴンだよ! 攻撃したら、仲間を呼ばれるから、だめ!」
レイヴン。カラスによく似ているが、カラスよりも凶暴で、仲間意識がとても強い。一羽一羽はそれほど強くないが、一羽やられると、集団でしつこく襲い掛かってくるので、かなり厄介な魔物なのだ。
攻撃しなければ、危険な魔物でもないので、刺激しないように逃げれば大丈夫なのだが。
よく観察していると、少し様子がおかしい気がする。最初は羽を休めているだけかと思ったが、何かを狙っているかのように、じっと一点を見つめている。
レイヴンの視線を辿っていくと、そこにあったのは、少年にとられた僕の本だった。
どうして本を、と思ったが、そこではっとした。装丁の金の印字だ。レイヴンは、光るものが大好きなのだ。このままだと、本を持っている少年が危ない。
本を手放させなければ。
そう思ったときには、遅かった。
「うわあ! なんだ!?」
真っ黒な羽をばさりと広げて、少年めがけて一直線に飛んでいくレイヴン。少年は驚いて本を盾にするが、レイヴンの狙いは本なので、当然レイヴンは少年から離れない。僕はとっさに叫んだ。
「本を投げて! なるべく遠くに!」
「は!?」
「いいから早く!」
戸惑いながらも、少年は僕の言うとおりに本を投げた。レイヴンは、本を追って飛んでいく。
「今だ、逃げろ!」
村の方へ、振り返らずに走る。一番足が遅い僕が最後尾を走っていたが、魔物が追ってくる様子はなかった。
*
その日の夕方。お爺様と二人で夕食をとっていた時、玄関からドアをノックする音が響いた。このような時間の来客は珍しいので、お爺様がわずかに眉間にしわを寄せる。
お爺様は、玄関ドアの横にある窓に、足音を立てずに寄っていく。カーテンの隙間から外を窺い見ると、すぐに表情を緩めてドアを開けた。そこに立っていたのは、村人の女性だった。
「どうしました」
「うちの子……ダンを見ませんでしたか?」
「いないのですか?」
「ええ……一緒に遊んでいた子たちも、けっこう前に別れてから知らないって」
ダン……確か、今日、僕の本を奪っていった子だ。
僕が今日ダンと一緒にいたことを話すと、お爺様はふむ、と思案するように顎をさすった。
「もしかすると、本を探しに行ったのかもしれませんね」
「本?」
お爺様には既に、本を失くしてしまったことを謝るために、今日の話をしている。
お爺様がその話を女性にすると、女性は途端に怒りを見せた。
「またあの子はそんなことを……! ごめんなさいね、アベル、見つけたらきつく叱っておくから!」
「そのためにも、まずはダンを見つけなくては。私の予想が当たっているのならば、ダンは森にいるはずです。じき夜になる。村の男たちに声をかけて、皆で探しましょう」
夕暮れの空に、紫色が滲み始めていた。
次も勇者編です。




