第81話 エリスの正体
「どこに行くつもりなの?」
私は、足を止めて振り返ったエリスに対して言いました。
エリスは、困惑した表情を浮かべています。
「あ、あの……お手洗いに行きたくなって……」
「それで、こんなに遠くまで来たの?」
私は、当然の疑問をぶつけました。
エリスのことは、セーラに頼んで追跡し、発見したのです。
とても、用を足すために必要な移動距離ではありません。
「……誰かに見られたら、恥ずかしいと思ってしまったんです。男の子だっていますし……」
そう言って、エリスはダンのことを睨みます。
しかし、そんな言動で誤魔化されるはずがありません。
「そうね。言い訳なら、色々と思い付くかもしれないわ。でも、物証があるのよ」
「物証……?」
「貴方は、それなりのお金を持っているはずよ」
「私は、貴方達のお金を盗ったりしていません!」
「私達のお金じゃないわ。あの、ゴードンという男のお金よ」
「……」
「いいえ……本当は、子供達を育てるために使われるはずだったお金、と言った方が正しいかもしれないわね。きっと、地下に隠しておいたのでしょう?」
これは単なる憶測であり、ハッタリにすぎません。
しかし、エリスが地下に下りた目的なんて、そのようなことしか考えられませんでした。
そして、私の考えは当たっていたようです。
「……私が、お金を持っていることは認めます。でも、それは、いざという時に必要だと思ったから持ち出したんです。悪いことだとは思いましたが……ミルルを守るために、手段は選べませんでした」
「そんなに大切な妹なのに、見捨てて逃げるつもりだったのね?」
「……冷静に考えたら、ミルルは、貴方達に預けた方が安全だと思いました。だから……本当は、お手洗いのために移動したわけではありません。嘘を吐いてしまいました。妹を置いていくことについて、悪い姉だと思われるのが怖くて……」
この子は、本当に頭の回転の速い子です。
言葉で追い詰めようとしても、次々と言い訳を思い付くのでしょう。
きっと、私が歩いていた時や自分が歩いていた時にも、様々な状況について考えていたはずです。
しかし、エリスには想定できないこともあります。
「私は、特殊な魔法を使うことができるのよ」
「……」
「貴方はおかしな子だわ。自分の妹が人質になっている時よりも、助け出した妹が、自分に縋り付いた時の方が苦しいなんて。そんな姉が、世の中にいるのかしら?」
正直に言えば、私は、周囲にいる全ての人間の苦しみを、個別に測定できるわけではありません。
しかし、大まかに感じ取ることはできます。
あの時に感じたことを自分なりに解釈すると、ミルルと会った時に、エリスの苦しみが増したとしか思えなかったのです。
これが、違和感の正体でした。
「……よく分かりませんが、妹に苦しい思いをさせてしまった後悔のようなものを感じ取った……ということでしょうか?」
エリスは、なおも反論してきました。
ですが、苦しい言い訳はここまでです。
「子供を何人も殺したことは、後悔しなかったのね?」
「……そのようなことはありません」
「嘘よ。貴方は恐ろしい子だわ。子供を殺しても苦しくない。妹を人質に取られても苦しくない。目の前で人が死んでも苦しくない。子供の死体がある地下に下りるのも苦しくない。でも、自分の身が危うくなったり、長時間歩かされたりするのは苦しい。そして、汚れた姿になってしまった妹に抱き付かれるのが苦しい。そんな人間は、絶対にまともじゃないわ。こんなことは、口に出すだけで恐ろしいのだけど……貴方は、ゴードン夫妻の犯行に、積極的に協力していたのよね?」
「……よく分からない魔法なんかで、勝手に私を極悪人にしないで」
さすがのエリスも、激しく苛立ったようでした。
ミーシャ達がいなければ、私に掴みかかってきたでしょう。
「それだけが根拠じゃないのよ。監禁されて、トイレにも行けなくて、あんなに汚れてしまったミルルのことを思いやれないのは普通じゃないわ」
「動転していただけじゃない!」
「嘘よ。普通なら、妹が可哀想だと思うはずだわ。そう思わなかったのは……貴方が、本当はミルルを嫌っているからよ」
「あの夫妻がミルルを殺さなかったのは、私の大切な妹を人質にして、言うことを聞かせようとしたからなのよ?」
「そう。貴方は、あの夫妻に、ミルルの価値を誤解させていたのね?」
「言いがかりだわ!」
「貴方は綺麗すぎるのよ」
「……」
「健康的だと言っても良いわ。ミルルは、あんなに痩せ細って、汚れた格好をしていたのに……。きっと、積極的に手を貸した貴方のことを、ゴードン夫妻は愛おしいと思ってしまったのね。綺麗な服を着せて、きちんと食事を与えて、髪まで整えて……いつからか、本当の娘のように扱うようになったのかもしれないわ」
「馬鹿みたい。どうでもいいでしょ、妹なんて」
「……」
言葉を失いました。
私は、どんなに辛い、地獄のような日々にも耐えようとしたのに。
この女は、妹が大切ではないと言うのです。
「今にして思えば、ミルルは、事故にでも見せかけて、さっさと始末すれば良かったのよね。そんな簡単なことに、あの屋敷に引き取られるまで気付かなかったなんて、どうかしていたわ。孤児院にいた頃は、世間体みたいなものを気にして、いいお姉ちゃんを装っていたから……。まあ、屋敷に行ってからも、あの夫妻に脅されたっていう言い訳に使えそうだったから、あえて生かしておいたんだけど。結局、役立たずで終わるんだったら、食事なんて与えなければよかった。とんでもない無駄遣いだったわ」
「それが、貴方の本性なのね?」
「で、どうするの? 私を警備隊に突き出すのかしら? それとも、この場で殺すの?」
「貴方のことは生かしておくわ」
「……へえ。どうして?」
「大好きなお姉ちゃんがいなくなったら、ミルルが可哀想だからよ。貴方が良い姉を演じ続けるなら、それなりの待遇は保証するわ。ちょっと歩いてもらうことになるけれど、貴方だって、できれば死にたくないのでしょう?」
「意外と甘いのね、貴方って。……そうだ、せっかくだから教えてほしんだけど」
「何かしら?」
「貴方の妹って、明らかにその子よね?」
エリスは、ミーシャを指差しました。
「そうよ」
「でも、話を聞いてると、貴方の妹はその子ってことになってるでしょ?」
エリスは、今度はナナを指差しました。
「そうよ」
「どういうことなの? 他の子も、素性がよく分からないし……。これって、あんたが言ってた、特殊な魔法と関係あるのかしら?」
「詳しいことは、そのうちに話すわ」
「そう。まあ、いいけど」
エリスは、深く追及するつもりはないように見えます。
ですが、内心では、私の弱点を探そうとしているのでしょう。
そんなエリスに近付いて、私は肩を軽く叩きました。
「これからも、よろしくね」
「……」
エリスは、私の思惑を探るような顔をしています。
そんなエリスに対して、私は2匹のマニを取り憑かせました。
子供と呼ぶには大きくなっており、自我の強そうなエリスに、マニが取り憑くかは分かりませんでした。
そもそも、2匹のマニが同一人物に取り憑くのか、実験したことなどありません。
なので、成功したのは、神のご意志によるものでしょう。
エリスは、自分の身に起こったことを認識していません。
上手くいけば、この女の醜い魂は、マニに食い尽くされるはずです。
これは、人でなしへの裁きです。
そうに違いないと思いました。




