第1話 妹の死
「間違いない、『マニ』だ」
彼は、淡々とした口調で、私にそう言いました。
「そんな……!」
彼の言葉を聞いて、私の全身から血の気が引いていくのを感じました。
妹を見ると、その後ろに、白い靄のようなものが漂っているのが見えます。
聖堂の中がもっと明るければ、はっきりと、その靄を見ることができたでしょう。
それは、話には聞いたことのあった、人の魂を食らう魔物……マニなのです。
妹は、目が虚ろであり、完全に意識を失っているようでした。
マニは、幼い子供の魂を食らい、命を奪うと言われています。
その魔物が姿を現す時には、既に手遅れであると聞いたこともありました。
つまり……妹は……!
「ミーシャ!」
私は、妹の名前を叫びました。
しかし、ミーシャは何の反応も示しません。
ええ、頭では分かっているのです。
もはや、私の妹は……この世に存在しない、ということは……。
それでも、私は繰り返し、妹の名前を叫びました。
「無駄だ。お前の妹は、既に死んでいる」
彼は、そんな私のことを気の毒に思う様子もなく、冷たい口調で私に告げました。
何という男なのでしょう!
この男には、大切な妹を失った私の気持ちが分からないのでしょうか?
私は、隣に立っている、その無神経な男を睨みました。
しかし、彼は何の反応も示しません。
そんな私と彼の間に、5人の少女達が割って入りました。
彼女達は、私が彼に襲いかかることを警戒しているようです。
「お前達、心配するな。この女は、これほど動揺していても、頭の中に冷静な部分を残しているからな。怒りに任せて、俺を殴ったりはしないはずだ」
彼は、自分の周囲にいる少女達にそう言いました。
「お兄ちゃん、でも……!」
一番前に出て、私を睨んでいたピンク色の髪の少女が、彼に対してそう言いました。
この子は、彼の妹なのでしょうか?
それにしては似ていません。それに、随分と年齢が離れているように見えますが……。
「ナナ、俺の言葉が信用できないのか?」
彼がそう言うと、ナナと呼ばれた、ピンク色の髪の少女は黙ります。
その男の口調からは、高圧的な印象を受けました。
これが、小さな妹に対する態度なのでしょうか?
「セーラ、あの『マニ』を閉じ込めろ」
彼がそう言うと、セーラと呼ばれた青い髪の少女は無言のまま頷きました。
突然、ミーシャと白い靄を取り囲むように、光の壁が現れます。
白い靄は、妹から離れて、どこかへ飛んで行こうとしていましたが、光の壁に阻まれて、外に出られないようでした。
私は、驚いてセーラという少女を見ます。
瞬時に何枚もの障壁を展開するなど……人間業とは思えません。
「おい、女」
彼は、マニが逃げられないことを確認すると、私の方を向いてから言いました。
「……何ですか?」
「お前は、妹を助けたいのだろう?」
「当然ではないですか!」
「そうか。だが、お前の妹の魂は、既にあのマニに食われている」
「そんなことは……分かっています!」
「ならば話が早い。俺達は、あのマニを始末する。そうしたら、お前の妹の脳は機能を停止し、呼吸も心拍も止まって、すぐに身体も死ぬだろう」
「!」
「だが……もしも、お前の妹の身体に、別の魂を入れたら……どうなると思う?」
「……えっ?」
「マニは、身体を傷付けることはない。魂を入れさえすれば、脳は生命を維持するための活動を再開し、お前の妹は生き続けることができるはずだ」
「そんな……ことが……!」
「俺にはできる」
「……」
「お前が望むなら、俺は、お前の妹の身体だけは助けてやる」
男は、そう言ってニヤリと笑いました。
それは……妹が別人になる、ということを意味していました。
別人になってしまえば、それは、もはや私の妹ではありません。
一体、妹の身体を別人に与えることに、何の意味があるのでしょうか?
分かっていました。
そんなことは自己満足にすぎない、ということは……。
しかし、大切な妹の魂を失い、さらに身体まで失ってしまう……それは、到底耐えられないことでした。
「……お願いします! 妹を……ミーシャを助けてください!」
「分かった」
男は、満足そうに頷きました。
彼は、私に対する哀れみで、妹を助けると言ったわけではないのでしょう。
本日の昼に、私達に声をかけてきた時点で、妹に別人の人格を入れることを計画していたはずです。
何らかの思惑がある。それは明らかなことでした。
ですが、そうだとしても……私は、ミーシャを助けたかったのです。
たとえ、それが、妹の身体を別人に与えることだったとしても……。
「マリー、あのマニを撃ち抜け。ただし、ミーシャの身体には絶対に傷を付けるな。失敗したらお前は処分する」
「パパ、任せて!」
マリーと呼ばれた金髪の女の子が、目を輝かせて進み出ました。
その様子を、他の女の子達は、羨ましそうに眺めています。
彼と他の女の子達は、一体どのような関係なのでしょう?
パパ、と呼んでいましたが……このマリーという女の子は、彼の娘なのでしょうか?
それにしては、「処分する」などという、物騒なことを言っていますが……。
「セーラ、いくよ! 1、2の……3!」
マリーという金髪の少女は、一条の閃光を放ちました。
それと同時に、セーラという青い髪の少女は、光の壁を解除したようです。
閃光は、白い靄が逃げ去る前に、それを貫きました。
靄は、溶けるように消滅し、ミーシャは支えを失ったようにして倒れます。
「ミーシャ!」
私は駆け寄って妹を抱き起こしましたが、妹はどんなに揺すっても、何の反応も示しません。
確認すると、呼吸をしておらず、心臓も止まっておりました。
やはり、妹は死んでしまったのです。
そのことを認識して、私の目からは、涙が溢れて止まりませんでした。
「そんなに泣くな。お前の妹は、これから生まれ変わるんだ。そのことを喜ぶべきだろう?」
彼は、そう言いながら、ミーシャの頭を愛おしそうに撫でました。
何という無神経な男なのでしょう!
私は、今度こそ彼の頬を叩きそうになりました。
「おっと、俺に手を出すなよ? そんなことをしたら、俺の女達が、お前をあの世に送ることになる」
彼は、ニヤリと笑いながらそう言いました。
俺の……女達?
周囲の少女達は、そのような呼び方をするには、あまりにも幼いのではないでしょうか?
疑問に思いましたが、彼は、私に対する興味を失った様子でミーシャのことを見つめます。
「さあ、待たせたな、ミーシャ。お前も、俺の女の1人として生まれ変われ! お前の役割は……俺の『奴隷』だ!」
彼は、ミーシャの頭に手を当てたまま、そのように叫びました。
私の脳は、理解を拒絶していました。
この男……今、とんでもないことを叫んだように聞こえたのですが……?
私は選択を誤りました。
大切な妹の身体を、このような最低最悪の男に委ねてはいけなかったのです。
そのことを、私は、妹が目を覚まして発した言葉を聞いて、確信したのでした。