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バシャバシャと足元にある水を蹴飛ばしながら進む。蜘蛛鳥の鳴き声はすぐ先からけたたましく聞こえてくる。
――もう少しだ。
そう呟いて灰嵜は足に込める力を一層強くさせた。
「はあ、はあ……この……ホントにしぶとい」
燈火の声も聞こえてきた。その様子だとかなり苦戦を強いられているのが想像に難くない。
「燈火!」
灰嵜の叫びと同時に燈火と蜘蛛鳥はピタリと動きを止めた。
「一緒に合格しよう!」
脈絡のない灰嵜の一言に一瞬燈火は目を丸くするが、
「もちろんなのよ」
そこから灰嵜の意志を悟ったのかニッと笑って返した。
「ゲーゲッゲッゲッゲ!」
燈火から灰嵜に目標を変え、蜘蛛鳥はカサカサと音を立てて灰嵜に迫る。
灰嵜は武器になるものを持っていない。ただ願うように首に掛かったペンダントを優しく掴んだ。
『強い覚悟を持った奴に魔制石は応えてくれる。信じてみろ、自分の可能性というものを』
パアと淡い光がペンダントを掴む右手から漏れてれてきた。同時に身体には形容しがたい力が溢れ返ってくる。
「……灰嵜!」
燈火の不安めいた声が届く。初めて自分の苗字を呼んでくれたことに少し感動を覚えるも今はそれどころではない。二本のくちばしが灰嵜の方に向かってきているのだ。
純白のペンダントは光に包まれながら変形し、チェスのポーンの形へとその姿を変える。
『ああそれと、能力を発現させる場合はある掛け声とともに発動させるとうまくいくぞ、その掛け声というのがな』
蜘蛛鳥のくちばしをかわして背後に回りこむ。そして空を掴む様に手を高く突き上げると、
「能力開放!!」
『能力開放。そして君の求める力を言葉にしてみろ。その言葉が君の矛となり力となる』
「――――模倣の剣!!」
掴んだ先の空に一振りの剣が浮かび上がる。左は黒で右は白。真ん中には透明のステンドガラスが埋め込まれており西洋の剣を彷彿させるディテールになっている。
「これが俺の魔法……」
『魔法といっても魔制石が発現させる魔法には三タイプあるわ。一つは燈火ちゃんの様に炎などを生み出す『マジックスキル』。二つ目は魔力の結晶が剣などの武器になる『ウェポンスキル』。三つ目が守護獣を召喚する『ガーディアンスキル』。さて少年はどれになるかな?』
その神秘たる光景に半ば呆然としながらも灰嵜は両手で強く握り直した。鋼鉄でできたモノクロの刃はずっしりと重く、本当に虚空から出現したのかを疑いたくなるほどの精巧さだ。
これがウェポンスキル。灰嵜に与えられた魔法。
「ギャギャギャ!!」
蜘蛛鳥は伸縮自在な尾を鞭のようにしならせ灰嵜目掛けて振りぬいた。水色の尾はヒュンと風切り音を立てて灰嵜に近づいてくる。
「……――ッア!!」
一閃。
灰嵜は目の前に振り抜かれた尾の軌道を完璧に読み取り、模倣の剣で切り払った。尾は三〇センチばかりを残して先端から断裁され、その断面からは血の代わりに虹色のミストが放出されていった。
「それが蜘蛛鳥に貯めこまれていた魔力ね。魔力というのは普段は見えないんだけどモンスターとして具現化すると、そういう形で視覚化されるの」
大魔法使いの助言を耳で捉えつつ、灰嵜は尾を斬られギャッギャと発狂する蜘蛛鳥を視覚で捉え続ける。冷静さを失っている(元からないかもしれないが)蜘蛛鳥を仕留めるのなら今のうちだ。そう決心すると背後から再び斬りつけた。
木の棒を振った時とは段違いな切れ味。まるで熱したナイフでバターを溶かしていくように蜘蛛鳥の身体にするりと模倣の剣の刃が通っていく。
「――ッ、ハアァァァ!!」
ズバンッ!! ゴルフのスイングのように模倣の剣を振り切ると、切っ先からは大量の魔力が放出される。
「よっしゃ!」
左手でガッツポーズをとる灰嵜だが、振り払ったはずの模倣の剣にさっそく違和感を覚えた。
「蜘蛛鳥は主に水や氷を攻撃に取り入れている。ゆえにウェポンスキルで迂闊に触れれば刀身全てを凍りつかせられるぞ」
大魔法使いの言う通り、蜘蛛鳥を斬りつけた模倣の剣の刃は氷漬けされ、剣として使いものにならない状態になっていた。
「そういうのは早く言ってくださいよ!!」
全体的に説明が足りない大魔法使いに叱咤しながらも、灰嵜は蜘蛛鳥との距離を取る。
たとえこちらの攻撃を封じたとしても先ほどのダメージは生きている。なら後はなるたけ時間を稼いで消耗戦に持ち込めば蜘蛛鳥は魔力がつきて消滅するはずだ。
「けど、そんなゆったりしていていいのかしら? 面接試験に間に合わなくなるわよ?」
「げっ、そうでした……」
この後に面接試験があることをすっかり忘れていた灰嵜。となるとやはり相手がスタミナもとい魔力切れで力尽きるのを待っているということはできそうにない。
「私に任せなさい!」
ボンボンボンと、連続して蜘蛛鳥の身体に爆発が起きる。
振り向けば、燈火がマジックスキルを駆使して蜘蛛鳥に爆炎弾を浴びせていた。
「燈火! ありがとう助かったぜ!」
「いいから! あんたはその剣をさっさと何とかしなさい! 私の攻撃こいつが濡れてるせいかあんまり効いてないみたいだし」
燈火の言うように炎による攻撃は水気のある体毛に防がれて、本体にはダメージが通ってない。となるとやはり決め手になるのは灰嵜の模倣の剣だけだ。
「ふむ。ピンチだな少年。どうする?」
大魔法使いは人ごとのように隅から見守っている。
「どうするって……どうすれば」
策なんてなかった。
ただ自分の思い描いた武器が出てきたからそれを使ってゴリ押せばなんとかなると思っていたのだ。相手が自分の武器を凍らせてくるとは思いもよらなかったのだから、対応策なんて考えているわけがない。
「あいつは水系統のモンスターだから火には弱いはずだ。せめて本体に直接火を届けられれば……!」
机上の空論を悔しげに述べる。
確かにこの剣が燈火の様に火を出せれば、周りを覆う氷も溶かせるし蜘蛛鳥の肉体に直接炎を送り込むことだって出来る。
しかしそれは不可能。洞窟で説明を聞いた通り、ウェポンスキルはただの魔力が武器にとして具現化しただけの塊だ。マジックスキルのように火や雷を出すことはできない。
「本当にそうか?」
心を読んでいたかのように大魔法使いが言う。
「お前が望んでいた力はただ斬りつけるだけのナマクラか?」
その言葉に灰嵜は顔を上げた。
そうだ。自分はこの剣を『模倣の剣』と呼んで発現させた。ただ漠然と思い描いていた力だが、何もないわけではない。確かにある。模倣と呼ばれるだけの力が――!
「燈火!」
「なに!? 今こいつを抑えこむのに精一杯なんだけど!」
「そいつはいい! だから俺のところに来てくれ!」
「い、いきなり何を言い出すのよ! 今そんなことしてる場合じゃ……」
「いいから! 俺に考えがあるんだ! だから俺を信じてくれ!」
「……! 仕方ないわね!」
蜘蛛鳥の放つ氷塊を自身の炎で焼きつくすと、燈火は灰嵜の元へと素早く向かってくる。「それで、考えって何よ!」
灰嵜は剣を今まさに迫り来る蜘蛛鳥の方へと向けると、
「俺と一緒にこの剣を握ってくれ」
「はあ? それで何かなるの?」
「やればわかる。時間がないんだ。早く!」
灰嵜に促され、燈火は渋々灰嵜の手に重ねるようにして模倣の剣を掴む。燈火の頬がほんのりと赤みを帯びていたのは恐らく気のせいだろう。
「ギェギェギェ!」
灰嵜へ突っ込んでくる蜘蛛鳥。多くの魔力を奪われてなお動き続けるのそ姿は不気味の一言に尽きる。
「模倣始動――!!」
燈火の腕を通して模倣の剣に朱の光が流れこむ。モノクロの刃の真ん中にある透明のステンドガラスはルビーのごとく深みのある赤色に染まっていった。
「――炎神の剣!!」
ボオオオ!! という空までも歪ませる音が鳴り響く。
炎を纏った炎神の剣は周りを覆う氷を一瞬の内に蒸発させ、その姿をあらわにした。
模倣の剣と比べ一回り巨大になったその刃の先端は鉤爪のように緩やかな放物線を描いている。刀身は紅の炎に包まれ、触れたもの全てを焼きつくす地獄の業火を彷彿させた。
「模倣の剣。それは他者の魔法を模倣して初めてその力を発揮する剣。まさか私のいた世界で三宝剣として扱われていた内の一つを顕現させるとは、あの少年なかなかやるわねえ」
その様子を窺っていた大魔法使いは風で揺れる髪をかき分けながら灰嵜たちを見つめていた。ニンマリとただただ満足気な笑みを浮かべて。
「――は、ッあァァァァァ!!」
灰嵜は炎神の剣を蜘蛛鳥に突き立てる。
ズブリと筋肉の繊維を破壊し、体の奥にまで炎神の剣はめり込んだ。
ジュウジュウと内部の水分が蒸発していくのが剣越しに伝わってくる。
「う、おォォォォォォ!!」
灰嵜は自分の魔力をすべて注ぎ込むように炎神の剣の出力を最大にはね上げた。
蜘蛛鳥を内から焼きつくす炎はさらに強大なものとなり、蜘蛛鳥の口から漏れるのは奇声だけではなく炎も追加される。
蜘蛛鳥の身体から溢れる灰色の煙が空へと上がる。灰嵜はそれに沿うようにして炎神の剣を垂直に薙いだ。
一刀両断。
蜘蛛鳥の身体に赤い閃光が走ったかと思うと、そこからぱっくりと割れて内側を焼き尽くしていた炎が溢れかえってきた。
鮮やかだった水色の体毛は見る影もなく真っ黒にこげ、ジタバタと動き回っていた六本の足も水気を失って木炭の様になっている。
動かなくなった相手、そして未だ呼吸を続ける灰嵜と燈火。
二人はこの異能の怪物に勝利したのだ。