1.伝説の錬金術師のお家
この家の元主、グリム・トリスメギストス。
この世界では知らぬ者はいないほどの大錬金術師………らしい。
此処にいる彼ら“モノ”たちの元持ち主であり、もう300年前に亡くなったそうだ。
それから、この工房には誰の手に渡る事もなく、誰も訪れることなく、ただただ時間だけが過ぎていったという。
それだけの人物の持ち物なら誰か引き取り手がすぐにつきそうなものだが、グリムは人嫌いでも有名で弟子もとらなかったうえに、人付き合いもほぼなかったそうだ。
もっぱら彼の話し相手は此処にいるモノたち。
──そう、グリムもまたサヤと同じく『オブジェクトリーディング』スキルを持っていた。
そんなグリムとともに永い時を過ごした彼らはとてもおしゃべりで、物知りだ。
普通の“物”なら、道具としての役割をただ単調に繰り返し消耗されるだけなので、心を宿すことさえ稀だ。たとえ心が宿ったとしてもこのように声を語りかけた「おしゃべり」もあまりしないものらしい。
だが、彼らは『オブジェクトリーディング』を持っていた錬金術師グリムと多くを語らい、永きを過ごした。
その影響からグリムの所有物であったこの家の物すべては心と意思をもった“モノ”となったのだ。
だからこそ、サヤが『渡り人』だということもすぐに見抜いたうえに、こうしてサヤと人間のように会話ができている。
いうなれば日本でいう付喪神に似たようなものだろうか、とサヤは某刀のブラウザゲームを思い出しながら彼らの説明を聞いていた。ここで彼らが擬人化できればまず間違いなくそう思ったが、彼らはこうして「おしゃべり」してくれるだけだ。
それでも、サヤにとったら心強い。
なにせ、この異世界で彼ら以外に知るものも頼るものもない。
ラノベにあるように勇者召喚されたとか巻き込まれたなら、何かあったのかもしれないが、自分はただ残業帰りに歩いていたら森の中という、いうなれば事故だ。
こちらの世界でいう「世界の亀裂」に超低確率で当たってしまったらしい。
世界の危機も、勇者召喚でも、神様のお導きもない。
世界同士の小さな衝突で起こる自然災害に巻き込まれたも同然だった。
なので目下の悩みといえば、
「これからどうしよう……」
『渡り人』が元の世界に帰ることはできない。
それを知ったサヤはわりとあっさり此処で暮らしていくこを決めたが、正直、異世界で暮らしていくなんて不安だ。剣や魔法が使えるわけではないし、現代社会で育ってきたサヤにいきなり黄金伝説のような自給自足の生活はとうてい無理だ。
今はたまたまカバンに入れていた菓子類でしのいでいるが、それでは2日も持たない。
かろうじてこの家の裏手にある井戸は使えるので水は問題ないが、食料がない。
モノたちから300年以上前にグリムが作成した栄養剤や保管されていた保存食を勧められたが、口にする勇気も……今はない。
食べられる野草も庭に生えているらしいが、これからの生活をそれだけで過ごすなんて耐えられないだろう。
だが、スーパーで売られている肉しか調理したことのない自分に、野生生物を捕まえて血抜き作業から自前で肉を調達できるわけもない。
どうしても人のいる街に行ってお金を稼がない限り、今の自分が生活していくのはむずかしい。
悩むサヤに周りのモノたちが口々に提案してくれる。
『グリムはほぼ栄養剤で生活してたからな~。あっ、古いのが心配ならサヤも栄養剤を作っちゃえば? 材料は庭の薬草園で全部まかなえるよ~』
『ちゃちゃっとすぐに作れるしね』
「当面はありがたいけど、栄養剤だけで生活していくのは……ちょっと」
栄養剤 ―― つまりエナジードリンクもどき、だろう。
残業のお供が、これからの人生のお供になるのはなんだか侘しい。
我が儘かもしれないが、せめて固形物がいい。
『それならグリムみたいに錬金術でお金を稼げば~?』
『アイテムを作って売れば、お金になるよ』
『そうそう、人間相手だとだんまりむっつりなグリムだってギルドや貴族相手に調合の依頼を受けてたから、サヤだって出来ると思うよ!』
『作り方なら私達がばっちり教えられるからイケルイケル~』
『いや~久しぶりで腕がなりますな~』
『お~い、測り天秤、いつまでも寝てないで起きろ起きろ。300年ぶりの出番だぞ~』
『待て待て、それならまずは釜との契約《継承呪式》からだろ! 大事なことを忘れるな』
「……釜って?」
『わらわのことじゃよ』
首を傾げると、部屋の中心部に鎮座している大きな釜が応えるように声を発した。
かなり大きい釜で、ちょうどお伽噺話に出てくる魔女がかき回している鍋のようだ。
彼女(便宜的に性別がないので口調から彼女と呼ぶ)は古株のようでほかのモノたちよりも落ち着きがある印象だ。
「えっとその釜との継承呪式? をすれば私も錬金術が使えるの…?」
『う~ん、厳密にいえば違うけどサヤは「渡り人」だから』
『そうそう普通なら赤の他人の釜の継承なんてできないけど、サヤは「渡り人」だから』
『魔力がないからできる、みたいな?』
「どういうこと?」
どうやら錬金術を使うにも条件がいるらしい。