7.メーレの夢
メーレにとって錬金術師は夢物語の英雄だった。
幼い頃から毎夜、母から聞かされたのは、世界中を旅する偉大な錬金術師のお話しだった。
蜂蜜色の髪と瞳をした錬金術師が、世界中を巡って困っている人を、不思議なアイテムで助けるお話。
その中でも、自分の生まれた村が出てくる話がメーレの一番のお気に入りだった。
それは母の創作だったのかもしれない。
それでも幼いメーレには、憧れだった。希望だった。夢だった。
……辛い現実からの逃避だった。
メーレが育った村はスールアップルの栽培の産地として、かつては栄えていた。
そのさらにかつて。
スールアップルの栽培すらしていなかった頃、この村は貧困に喘いでいた。
ろくに作物の育たない大地、雨の少ない天候、日が当たり過ぎる山間地帯。そして、人を襲うモンスター達。
村人達がもう村を捨てようとした時、一人の錬金術師が村を訪れた。
その錬金術師が村の中心に樹を植え、薬を撒くと、不思議と村の周辺にモンスターは近寄れなくなった。
植えられた木は錬金術師の手によりモンスター避けの村の守り木となったのだ。
今でもその大樹は村の中心にある。
次に錬金術師はある種を取り出し、
「この種を育てよ」
と言った。
しかし、村長が言う。
「この地では作物など育ちません」
錬金術師は
「ならばすぐに一木、育ててみせよう」
と宣言すると、またしても不思議な薬で種を、瞬く間に大きな木に成長させた。
それが、スールアップルの木だった。
以来、村はモンスターに脅かされることもなく、豊かなスールアップルの木の恵みで栄えていった。
そして恩人の錬金術師は高い金銭を要求することもなく、礼として壊れた“ガラクタ”だけを受け取り、去っていった。
メーレは願っていた。
寂れてきてしまった村に
いつか、いつか、また錬金術師様が来てくれる。
それをメーレは夢見ていた。
少女という年齢を過ぎても、メーレの胸には母が語った偉大な錬金術師の姿があった。
けれど、その夢はずっと叶わなかった。
父は物心ついた頃にリンゴ園を荒らそうとしたモンスターを追い払った際の傷で亡くなった。
母は亡くなった父の代わりに働き過ぎて、身体を壊した。
姉はリンゴを街へ出荷している道中でベアウルフに襲われて還らぬ人になった。
随分前から要請している街の傭兵団は、こんな辺鄙な村に助けに来てくれない。
だんだんと人が減り、移住を勧められても、メーレは村を、リンゴの木を育てるのをやめたくなかった。
メーレには、このリンゴしか、もうないのだ。
おぼろげな記憶の中の父が、誇らしげに育てたリンゴの木を見上げている背中。
母が丁寧に一つ一つ、愛おしむようにリンゴを箱に詰めていく優しい手。
くたくたになるまで姉とリンゴ園を走り回ったときの笑い声。
メーレは、その思い出とスールアップルを美味しく育てることしか知らない。
それでも何とか村を存続させようと必死だった。
自分が出来るあらゆる手を尽くしても、すべては徒労に終わった。
だから、幼い頃の、その夢に縋るしかなかった。
本当は分かっている。
もう、この世に錬金術師と言われる人間自体が少ないことも。
だから錬金術のアイテムが希少品で、とてもではないが庶民が買える金額ではないことも。
赤の他人を助ける錬金術師なんて……夢物語でしかないことも。
──メーレの希望はもう風前の灯火だった。