階級喧騒記~後編っ~
急ぎかけ下りる階段を、ザワザワとした不穏の空気が漂っている。
そりゃ、襲撃を思わせるだけの建物の揺れがあったにもかかわらず、建物が壊れるわけでも追撃があるわけでもなく。ただ攻撃が止むというのは、それはそれで恐ろしい。
会議室の警備兵を連れたあたしと隊長さんは、1階の受付カウンター裏の階段から顔を出した。
ロビーの中も先程の振動に色めきだってはいるものの、そこは冒険者たちのたまり場だけあっていい緊張感が場を支配しているのがわかる。
「バイルド隊長」
あたし達の姿に気がついた受付嬢は不安を貼り付けた顔で走り寄って来ると、青白くなった顔を引き攣らせ小声で呟いた。
「先程の揺れ、魔力を感知しました。それで……下にクロエ様がいらしています」
クロエ?
もちろん聞いたことのない名前だけど、隊長さんへは充分に意味が伝わったみたいで、その仏頂面がさらに険しくなる。
なんか、誰なのかを聞ける空気じゃないんだけど、だからって意味もわからずに会話が進んでいくのもイヤって言うか。
ちらりと受付嬢に視線を送ると、そんなあたしに気がついてくれた彼女が口を開いてくれた。
「クロエ様は宮廷魔道士の副長官をされている方なんです……」
しかし話し始めてくれた彼女を無視して、隊長さんは警備兵を連れ立ち受付奥の階段をさらに地下へと降りていく。
「ちょぉい」
引き止めても無駄なことは、受付嬢だってちゃんとわかってた。あたしに合図をすると合わせて階段を降り始める。
「クロエ様は、お父上が前任の宮廷魔道士長官だったのでのし上がった、完全七光りのワガママバカ娘なんですけど」
さっきもちらっと思ったけど、この受付嬢何気に毒舌だな。
「魔道センスは皆無なのに、魔力値がとても高いのをいいことに副長官の地位に収まっているんです。しかも、最近長官のルフセンドルフ様から赤い石の付いた可愛いブローチを頂いたって、行く先行く先で吹聴してて。何アピール? って感じがほんとーに腹立たしいんですけど。でもルフ様もルフ様です。お仕事先であった若い金髪の女性魔道士が、すごくお気に入りになったらしくて、ぜひ引き入れたいって仰ってて! 純真なルフ様は絶対に悪女魔道士の毒牙にかかったんです。ルフ様はご自分の補佐官にどれだけの価値があるか興味が無さすぎです」
鬱憤吹き出し過ぎたな。しかもかなり私情の入った。確かに顔も性格もいい男だったし、地位もあれば玉の輿を狙う女は多いだろうしな。
しかし、魔道センス、魔力値。剣士のあたしには専門外すぎてピンと来ないな。そういえば魔力値は数値化できるんだって聞いたことがあるような。
階段も最後の1段を踏み、先頭を走る隊長さんが足を止めた先には観音開きの大きな扉。匂い立つような強烈な違和感が、入室を躊躇わせる。
あたしも思考を一時停止してまじまじと見つめてみるんだけれど。
「なんか変。空気が膨張してるって言うか、イヤな圧力がかかってる感じがするな」
隊長さんの隣に並び、扉に触れた手のひらからは小刻な震えが確かに感じられる。
「アリシア。いるな。あと2人……3人か?」
向こう側にはっきりと感じる、見慣れた性格の悪そうな気配。
「分かるか。兵は2人付けている」
残りはクロエとか言う女か。気になるな。1人は気配が弱すぎるし、1人は天幕の奥にいるような違和感だ。
「開けるぞ」
てっきりアリシアがやらかしてるのかと思っていたけど、回りくどいこの感じはなんか違う。
扉に手をかける隊長さんに合わせて、低く構えたあたしは万事に備えて剣の柄を握ると、小さく頷く。背後で受付嬢が息を飲む音がやけに耳について、扉を開く音にかき消された。
部屋の外にまで感じた違和感が突風のように吹き出してきて、全身が冷水を浴びたように寒気が走る。
何だこの、〈イヤな感じ〉
アリシアは? どこだ。
見回す練兵場はきちんと整備されていて、ちょっとした催し物なら開けそうな広さがある。
肌が粟立つのを感じつつ、振った視線の先でアリシアと目が合った。
「遅いっ!」
いやいやいや。
平常通りなら、こっちからもイヤミの一言でも言ってやるところなんだけど、練兵場の床に膝をつくアリシアの足元には真っ赤な血溜まりと、そこに倒れたままの警備兵が見える。
「上に行って、回復魔法使えるやつを連れてきて」
アリシアが警備兵の首元に当てている左手の平からは、淡いグリーンの輝きが漏れる。
あの色は回復魔法のはずだけど、いつもより光り方が極端に弱い。それに、右手の向かう先は今にも張り裂けそうな雰囲気を撒き散らしながら大きく膨張する空気の層。何度か見た事のあるシャボン玉みたいな風の結界の中は、白くモヤのかかったような空気が暴風のごとく渦を巻いているのが分かるんだけれど。
この中。もしかして。
おっと、そんなことより回復魔法だ。
踵を返したあたしの前で、受付嬢がずいっと迫ってきた。
「はい! 私回復魔法使えます」
「ソリス、この兵士廊下に運び出して、そっちで治療。
おっさん! 向こうの柱の影にもう1人倒れてるから連れてきて」
受付嬢の声に反応したアリシアの指示が飛んで、隊長さんが走り出した。
「アリシア、傷は?」
走り寄り、意識のない警備兵を肩に担いだあたしの声掛けに、アリシアも立ち上がって返事をする。
「あたしは無傷よ。この兵士、止血は出来たけど血が流れ過ぎてる。フルパワーで回復魔法かけて。
これであたしはこっちに集中出来る」
服の所々を血液に染めて、アリシアの両手がモヤのかかった風の結界に向けられると、球体の境目のモヤがキュッと引き締まったように感じた。
「え……。風の結界を維持しながら、回復魔法もかけてたの?」
驚いたような受付嬢の言葉の意味が気にかかったけれど、のんびり問答している余裕もない。
「他に必要なものは?」
「受付嬢が必要なら、追加の魔道士か回復士。あと、建物が崩れた時のために魔道士達に防護結界張らせて」
話しながらも、アリシアの視線は風の結界から離れない。何かを閉じ込めているんだろうけど、クロエとか言う女が見当たらないこと、人の気配が天幕を通したように感じたことを考えると、結論はひとつか。
「すぐ戻る」
そう伝えて視線を送ったモヤの切れ間からほんの一瞬見えた、鈍い光を放つ赤色に目を奪われた。
あの感じ。
すでにモヤに紛れてしまったけれど、身体の底から警告が鳴り響く。
「早く」
先に走り出していた受付嬢に急かされて、あたしは視線を振り切ると扉の外に出た。倒れた兵士を回収してきた隊長さんに、アリシアの伝言を残して踵を返す。
「あ。クロエって人の見た目、どんな感じ?」
ふと思い立って、あたしは回復魔法を発動した受付嬢に言葉を投げた。
「30代前半。軽くウェーブのかかったブルネットのロングで、瞳の色は黒ですけど……」
なぜそんなことを聞くのか? という空気ガンガンだけど、本人を知らない以上情報があるに越したことはない。
礼を言ってあたしは改めてアリシアの元に走り出した。胸に引っかかっているのは結界のモヤの中から一瞬見えた赤い光。あの光り方を、あたしは知っている。
赤。なんか言ってたな。赤い石の付いたブローチ。ルフセンドルフからのプレゼント。彼が勧誘した若い金髪の性悪女魔道士……。
ん? あたしが今まさに背中を見る人物。〈ニセ〉金髪の若い性悪女魔道士。そういや、勧誘されてたな。宮廷魔道士に。
こっちは別件と割り切って、アリシアの隣に並ぶ。
「あの中に入ってるのは女?」
「ロングのブルネット。あの服は宮廷魔道士だわ。あたしの顔見て速攻よ。ルフ様がどうしたこうしたって、喚き散らして風の魔法で切りつけてきたの。あの兵士が庇ってくれなかったら、首切られてたのはあたしだった」
そりゃあ死なせる訳にはいかないわな。
悔しさを滲ませて、珍しくへこんでるアリシアの横顔にも納得だし、受付嬢の話してくれたことを加味しても、例の性悪女魔道士はアリシア。と認識されたとみて間違いないだろう。
「そのブルネット。ルフセンドルフがアリシアを宮廷魔道士に勧誘したのが許せなかったみたいよ」
あたしの言葉を聞いたアリシアの顔に、パッと赤みが指す。
「はぁ? んなのルフセンドルフの方から声掛けてきたのに、あたし完全に巻き込まれ損じゃないのよっ」
怒りが先に立つか。まぁそうだよね。
「おつー。んで。ここからどうするよ? 分かってると思うけど、あの中の感じ。アレよね」
「アレね。本当にめんどくさい」
心底嫌そうに、アリシアが息を吐いた。
魔石の欠片。
なぜだか知らないけど、変な魔族に絡まれて以来、そいつが集めているらしい魔石の欠片に関わる事案に巻き込まれている。
「胸に付いてた赤い石のブローチが気になるな。あのブルネット、今も結界の中で攻撃呪文撃ちまくってる。頭わいてるし、本気であたしの首を取りにきてる」
アリシアが集中力を整えるように細く息を吐くと、今まで不貞腐れていた瞳に鋭さが差す。
「防御力とスピード。どっちが欲しい?」
「あー。スピードだな。あと、合図したら目眩し頼む。そっちも首取られないように気をつけなさいよ」
体勢低く、鞘に収めたままの剣の柄を握りしめる。
「誰に物言ってんのよ。結界解除したら中身は壁際まで吹き飛ばすから」
「了解」
あたしの返事に合わせるように霧散した風の結界が、押し出したアリシアの両手に合わせて中のモヤごとまるで潮が引くかのように奥の壁に押し出されていく。
その中に見えるウェーブのかかったブルネット。その姿を追って地面を蹴った。
「増強!」
背中で聞いたアリシアの声が、魔力になってあたしを包むのを感じると、視界の中を行くブルネットが急にコマ送りにでもなったかのようにスピードを落とす。
まぁ実際はあたしのスピードが上がった反動で、相手を遅く感じでいるんだけど、この落差は気をつけないとマジで酔う。
突風によって壁に叩きつけられたブルネットの髪が、振り乱れて顔を隠す。その隙間から光る赤い石のブローチ。
こりゃ心臓真上だな。ロングソードで狙ったら諸共貫きかねないし、ひとまずダガーナイフで。
そんなあたしの段取りなんて、なんのその。ロングソードがギリ届かない この距離で、おもてを上げたブルネットが大きく口を開けた。
「グルル……ガアアァァァ」
獣のようなうめき声に、口蓋から魔力の塊が厳つい光を放つ。
「ちょぉぉいっ。人間捨ててんじゃねぇよ!」
悠長にツッコミ入れてる場合じゃないんだけど、こっちも強化した速度が殺せず、引き抜いたロングソードを床に突き刺した反動を使って無理やり方向転換をする。
かわした魔力弾の後処理はアリシアに任せよう。あの子も死にたくないなら何とかするだろうし。
ロングソードを置き去りにして、宙に打ち上がったあたしの背後でアリシアの怒号を聞いた気がするが、きっと迎撃呪文の類だろう。きっと。
さてとー。それはそれとして。
合図を送ろうと視線を合わせたアリシアの顔は鬼の形相。あ、背後の壁焦げてる。
でも仕事は仕事。目眩し頼むよ。
振りかぶった腕でブルネットの左側を指さして、あたしは到達した壁を真下に落ちるように蹴り足を調整する。
そんなあたしを追うように、今しがた蹴った壁で魔力弾が着弾した。爆風に乗り落下したあたしを目で追うブルネットの目前を、バカでかい氷柱が1本物凄いスピードで壁に突き刺さった。
目眩しってさぁ。
魔力弾に、氷柱に。お前ら建物をいたわる気ないだろう。
着地点から壁を蹴り、地面スレスレを滑るように走るあたしは氷柱の下をくぐりぬけて、ブルネットの足元に滑り込む。
死角から現れたあたしに、赤く淀む双眸に驚きが走った。
赤い石のブローチ!
胸元のそれを鷲掴みにすると、腰から抜いたダガーナイフで服から切り離す。
その瞬間、確かに赤く見えていた瞳が黒く変色し気を失ったように彼女の身体は崩れ落ちた。
「ふぅ」
ひとまず終了かな。
霧散していく〈イヤな感じ〉に、ダガーナイフを鞘にもどしてアリシアの方を振り返った。そんなあたしの視界に、パラパラと落ちてくる何かの欠片。
「崩れます!」
上部の歪む扉枠、その向こうにいた受付嬢の声に、その近くにいたアリシアがあたしを見た。
〈そっちが先!〉
手で合図を送って、あたしは倒れたブルネットを担ぎあげると足を動かした。まだ増強の効果は切れていないけど、愛用のロングソードを回収しているだけの余裕はないか。
ああっ! 目の端に映るあたしのロングソード!
扉の外に出たアリシアが受付嬢や兵を覆う結界を張り、扉枠を支えるように結界を拡張させてくれているんだけど、落下してきた大きな柱にあたしの進路が妨害される。
こりゃ、いよいよアウトか。
「ソリスっ」
アリシアの叫ぶ声、落ちる瓦礫の音に、肩に担いだこの荷物を放り投げたらアリシアの結界まで届くかどうかが頭をよぎる。
「補強結界」
唸るような地響きの中に、しっかりと耳に届く低い声。その声がこの地響きと崩れ落ちる瓦礫をピタリと止めた。その不思議な光景に息を飲む。
「外からも防護結界を張らせていますが、建物自体が大きすぎます。一刻も早く外に出て」
「ルフセンドルフ様」
アリシアの張る結界の後ろから顔を覗かせた蒼髪の魔道士に、受付嬢の歓喜の声が上がった。
そしてあたしに目を向けたアリシアの呆れた声。
「何やってんの」
「ん?」
ブルネット嬢をジャイアントスイングしようとした体勢のまま、注目を浴びたあたしは動きを止めた。
★☆★
あたし達の見守る前で、ギルドの大きな建物がゆっくりとその姿を崩していく。さすがにここまで壊れたら補修は難しいらしく、瓦礫や土埃が立ち上がらないようにルフセンドルフが落ちる速度を調整しているらしい。
ちなみにあたしのロングソードはしっかり回収済。手に馴染んだこの相棒はそうそう見捨てられない。
「そのブローチは私が送ったものではありません」
ひと仕事終え瓦礫の山から離れた一角に陣取ったアリシアに追及されて、困ったような口調でルフセンドルフは返答をした。
「その噂は私の耳にも入っていましたが、公に否定する場もありませんし少し困ってはいました」
「クロエ殿が嘘をついていた。ということか?」
連れていた他の兵士たちに崩れたギルドの整理などを任せて、この場に顔を出している隊長さんも不可解な顔をみせた。
でもあたしの中ではある一件が引っかかっている。
「いや。以前絡んだ事件で『話をしたはずの男の顔が思い出せない』って言う事案があったんだ。もしかしたら、それと同じように顔に関する刷り込みみたいなものが行われたのかも」
あの時一戦交えた魔物の赤い眼光が、どうもさっきの瞳と重なって感じる。
「いずれにせよ、クロエ次官が目を覚ましたら聴取をすることになります」
ルフセンドルフの重い声。ギルドも全壊させたしね。
「一応確認しておくけど、今回あたし達は応戦しただけで悪意はないからね」
慌てたようなアリシアに、ルフセンドルフは気を使ったような笑顔を見せた。
「大丈夫です。重症だった衛兵も一命を取り留めて、クロエ次官の行動、アリシアさんの善行も全て話してくれましたし、もう1人の衛兵と受付担当のメイさんも話に相違ないと証言してくれました」
ルフセンドルフの言葉に、あたしの隣でアリシアが小さく安堵の息を吐く。これは疑われなかったことより、衛兵を助けられたことへの安心だな。
「これだけの惨事を引き起こしたのに、死者はなかった。貴殿らの働きには感謝しかない」
深々と頭を垂れた隊長さんに、アリシアはゆっくりと横に首を振った。
「お礼なんて……礼金をちょっと多めに包んでくれれば問題ないわ」
まぁそうなるよね。しかしギルドはこの有様だし、今回のダンジョン攻略の仕事も他のギルドに移るだろうな。
「領主に掛け合い、メダルの授与」
「はあ? そんな財布の足しにもならないもんはいらないわ」
隊長さんの提案に、アリシアの口調が激しくなった。
「お前ら、やっぱりよく似ているな」
呆れたような口調にも、あたしは笑うしかない。
「言ったでしょ。武勲なんて食えないんだよ」
【蛇足に続く】