晴天海遊記〜後編っ!〜
「解放」
アリシア放つ言葉に、あたしの身体は螺旋の風をまとったまま魔力の外に押し出された。
耳元にうなる風の音を聞きながら、風の弾丸と化したあたしの身体は一直線にムカデに向かい宙を滑り落ちる。
黒いビキニのウエストに巻いた、黒のシースルーパレオから伸びる脚線美を見せつけて。
黒の振り上げる大斧も届かないムカデの大きな左目に、あたしのサンダルのピンヒールが突き刺さった。
大きく仰け反るムカデの顔面を蹴りつけて、大きく個を描いたあたしの身体は砂浜に着地するけどぉぉぉ。
そのまま砂に足を取られてバランスを崩す。
可愛いから買っちゃったけど、やっぱり浜辺でピンヒールは無理あるな。
ドオオオォォッと、大きなどよめきとも歓声とも取れる声に、あたしに向かって何やら喚いていた黒の声がかき消された。
「何よ、この人だかりは」
風の魔法を制御してあたしの横に降り立つアリシアが、まさにさっきあたし達がこの浜辺を見ていた、街道沿いの低めの堤防から覗くその人混みに目を向ける。
「ムカデ退治の噂が広まって、ギャラリーが見に来たらしいよ。
まあ、これだけ証人がいたら俺達の中の誰がトドメをさしたのかも、誤魔化されずに済みそうだしね」
銀色の前髪をかきあげる白の仕草に、堤防の一端から黄色い声援が上がった。
こんな白っチョロいのにファンが付いてる。
不思議だ。
「っ。
なんてことよ」
立ち上がるあたしの隣で、アリシアが水着から覗く自身の白く細い肩を抱き締めた。
こんなド派手な水着を着ておいて、今更羞恥心?
「こんなことならっ、こんなことなら
『超絶美少女魔道士とその連れ、魅せます! 魔物退治の一部始終』
とか銘打って、見物料が取れたじゃないっ。
くっ。タダ見された」
そっちね……。
これ以上ないくらい、悔しそうに拳を握られてもねぇ。
「って、ちょっと待てよ『その連れ』ってあたしのこと?
なんか納得いかないわ。
全体的に色々小柄なアリシアより、ボディラインは優秀だけど」
引き締まった足に腹筋とウエスト、鍛えた大胸筋のおかげで上向きバストの胸を張る。
「ぐぅぅっ。
そんなのタレ始めたらあっという間よ。
あたしは、安定の可愛らしさなんだからねっ」
いやいや、それだって歳には勝てないだろ。
言い返そうと大きく息を吸った視界の前に立ち上がる砂柱。
あ。言い争いしている場合じゃなかった。
パレオに挟み込んでいた剣を鞘ごと抜き取り、抜刀した鞘を投げ捨てる。
「爆炎輪舞っ」
姿を見せたムカデに向かいアリシアの手のひらが炎の帯を噴き出すと、渦巻く螺旋の炎がムカデを絞め焼き切った。
「ぶわっ。あちちっ」
そうでなくても高い外気温が一気に上昇。
素肌を焼く、炎の勢いに顔を背ける。
「うーん。
服って大切なのね」
アリシアの改めて放つ一言に妙に感心しちゃうわ。
砂浜に潜り込んだムカデは、這いずり回る振動をあたしたちの足に残して地下からの威嚇を続けている。
徐々に大きく、足元の砂の揺れがあたしの足を引きずり込もうと舌を伸ばしてきたように感じた。
チリッと焼けるような肌の感覚に、身体が反応する。
この〈イヤな感じ〉。
「アリシアっ。飛んで」
砂浜を蹴ってアリシアにタックルをかけるのとほぼ同時、大きく削られた足元の砂は、紅く暗い穴に飲み込まれた。
アリシアの身体をかっさらうと同時に、完成した呪文があたしたちを宙へと打ちあげる。
眼下では、砂を大きな口いっぱいに飲み込んだムカデが口惜しそうにあたしたちの姿を睨みつけてきた。
「よく気付いたな」
男の声に視線を移すと、同じように飛行魔法で宙に浮く白。
「あれ。あんたの連れは?」
あたしを腰にぶら下げたアリシアと違い、こいつは手ぶら。
ってことは?
アリシアのその一言にあたしの視線は浜辺をさまよう。
「あいつ?
飲み込まれたんじゃね?」
「良いわけ?
それ。事も無げに言うけどさ」
たいした驚きも見せない2人の会話を聞きながら、視界の中のムカデの異変にあたしは目を凝らした。
「見て、あいつの左目。
あたしの付けた傷がない」
アリシアにだけ聞こえるように呟いたあたしの言葉に、アリシアが視線を移動する。
確かにピンヒールで踏み抜いたはずの左目は、爛々と獲物を狩る野生の貪欲な光に満ちている。
プツンと、唐突にその光が途切れた。
「君たちがここに着く前にさ、外殻が堅くて外からはどんなに叩いてもダメだったんだ。
だからさ、中から叩こうってことになったわけ」
ああ。白が事も無げに相方の行方を伝えてきたのは、打合せ済みだったからってことね。
ムカデの平べったい顔の下、ずんぐりとした首とおぼしき場所が膨張していく。
爆発したのかと思ったほどの光と衝撃に、あたしたちを包んでいた螺旋の風が煽りを受けた。
大きく揺れる風の中で、アリシアの口から驚きが漏れる。
「魔力兵器」
首をもがれ、ゆっくりと倒れ込むムカデの中から黒が飛び出してきた。
身体中が、ムカデから出たであろうぬらりと毒々しい緑色の体液まみれ。
「うわぁ」
「キモ」
アリシアと、あたしからも本音が口をつく。
ムカデがその大きな身体を横たえた事で、1度は起こった大歓声もその気色の悪さにあからさまに波が引くように消え去った。
「さてと」
そんな事なんてどこ吹く風。
アリシアと共に魔法を制御して砂浜に降り立った白があたしたちの前に立ちふさがる。
「約束、覚えてるよね」
ニヤリと、してやったり的な笑いにアリシアが物凄い形相で白を睨み上げた。
「魔力兵器を持ってるなんて聞いてない」
「言ってないしね」
さらりとかわされてる。
「へぇー。あたし初めて本物見たわ」
素直な感想がつい口をついた。
魔力兵器。
書いて字のごとく。魔力を有する武器で、あたしのように魔力を持たない人間でも、使うと一定の魔法を放出するらしい。
まあ、当然そんな変わり種がその辺りにゴロゴロしているはずもなく、当然希少価値は高い。
含まれる魔力もピンキリらしいけど。
そんな無駄話をするあたしたちの元へ大斧を下げた黒が勝ち誇った顔で歩み寄る。
1歩1歩、砂浜を踏みしめて。
「爆風陣っ」
全く何の前触れもなく、アリシアが放った風の魔法に黒が巻き込まれると、砂浜の上を滑るように吹っ飛んでいった挙句穏やかな波の立つ海に、もんどりうって頭から突っ込んだ。
「八つ当たり?」
逆立ちした状態のまま、少しの時間耐えていた黒は今や完全に海の藻屑と消えている。
「あいつの足元にもう一匹ムカデが見えたのよ」
「嘘つけぇっ」
あたしの問いに、当然のように答えたアリシアに入る白のツッコミ。
まぁ、そうだよね。
大きく息を整え、もう一言何かを言おうとした白の背後に急に砂煙が上がった。
大きく開く暗い穴。
2匹目!
咄嗟に左手が腰の後ろのダガーナイフに伸びる。るるる。
「ああああっ。ダガーがない」
いつもの服じゃないとやっぱり仕事がしづらいよ。
よせばいいのに物音に振り返っちゃった白の目前に、大きな顎が迫る。
左目に傷!
ロングソードを砂浜に突き刺し、ダッシュを掛けたあたしが白に体当たりを掛けたのとほぼ同時、アリシアの柔らかな唇から力ある言葉が解き放たれた。
「氷柱槍
GO」
至近距離から10本近い大きな氷柱の槍のほとんど全てをムカデの大きな口に押し込んで、その巨体が後方に倒れこむ。
「自家製かき氷でも食べてなさい」
大きなエメラルドの瞳が見下すサイドで、ツインテールの髪が揺れた。
ひんやりと、一旦は冷えたあたりの空気も夏の日差しの前には大して役に立たない。
砂浜に身を投げ出す形になったあたしは汗をかいた肌に、髪に砂まみれ。
「いたた。最悪」
軽く頭を振り立ち上がろうとついた手に、人肌の感触。
っていうかペタンとお尻を着いていたここは……白の胸の上っ?
「やぁ」
あたしの膝先に見える白の顔が気まずそうに笑った。
ピキっ。
頭蓋骨にヒビの入る音が確実に聞こえたわ。
すくっと立ち上がると、とりあえず問答無用で踏み付ける。
「待て待て待て、不可抗力。
ピンヒール痛いから!」
「だああぁぁぁっ!」
後方からの叫び声に目を凝らすと、波打ち際から立ち上がる黒。
「波に洗われたわね。
キレイになってる」
小さく笑い、利き手を前に伸ばすアリシアの隣に立つ。
「2匹目はこっちでヤらないと、本格的に街を焼き払う事態になりかねないわ」
歩きにくいピンヒールを脱ぎ捨てて、散々踏み抜いた白に投げつける。
砂浜から引き抜いたロングソードが夏の強い日差しを受けて輝きを放った。
外殻の擦れ合う硬い音に、ギチギチと威嚇の音が重なる。
噛み砕かれた氷の欠片が光を集めて水滴と共に砂浜を濡らした。
「何が面倒かって、あいつが1番の厄介者だわ」
振り上げたアリシアの細い指先が指すのは、雄叫びを上げながら大斧を振りかざし、一直線にこちらに走ってくる黒。
「そんなに硬いのかな。
ちょっと試してみたいんだけど」
「いいわよ。こっちは一旦足止めしておく」
チラッと視線を合わせて、あたしはムカデに向かい走り出す。
「風域結界っ」
背後から追いかけてきたアリシアの声が、大きなシャボン玉となって走るあたしを追い抜いていった。
そのまま、ムカデの背後に迫る黒をすっぽりと包み込む。
「うおぉっ?
なんだこりゃあ」
「爆風陣っ」
大きなシャボン玉に包まれた黒は、再度アリシアの放った突風に吹き飛ばされると、今度は波の上を滑るように転がっていった。
多分あの魔法は、そういう使い方をするものじゃない気がするんだけど。
まぁ、あたしもそんな黒の行方を悠長に眺めていられる訳じゃない。
振りかぶる剣がムカデの数ある脚を叩く。
確かに、鋼と打ち合わせたような感触。
あたしに向かいうち下ろされる幾本もの鋭い脚を避けて、うねうねとジャバラの様に蠢く内腹に剣を突き立てた。
んんーっ。
ビリビリと腕に響くこの感じ。無理すると刃こぼれしそう。
背中側の外殻はもっと酷いんだろうな。
なおも突き立てられる、槍のような脚の攻撃を避けつつ後方に距離を取る。
回り込んで背中に。
急ブレーキをかけ、方向転換しようとした足が砂に埋もれるように巻き込まれた。
その一瞬の隙間。
ムカデの背後から飛び出してきた尾が空気を裂いて伸びてくるっ。
身体を捻り背中から倒れこむように仰向けに倒れこむあたしの遥か真上に見慣れた影。
「電光蔦」
アリシアの振るう指先から伸びた電気の蔦が、砂浜に凶悪そうなトゲの生えた尾を串刺した。
「どう?」
ムカデと距離を取ったあたしの横にアリシアが降りてくる。
「やっぱり硬いわ。時間の制限あるし、中から行こう」
さっき吹き飛ばした黒だって、いつ復活してくるか気が気じゃない。
「あら、モノ好きね。ソリスあの口の中に入りたいの?」
「冗談でしょ?」
ほぼ本気のアリシアを睨みつける。
流されては戻るビーチボールのような動きを繰り返していたバースは、どうにか波に乗り浜辺に漂着した。
見回す視界には尾を突き刺されてはいるが、まだ立ちふさがる大ムカデ。
魔力兵器もないのに、女の力で切り抜けるなんて甘いもんじゃないんだよ。
一種差別的な思考はこの業界で生きていくと多少なりとも根付いてしまう。
ロイは……。
この魔力のシャボン玉を割るには、どうやら魔道士の力が必要らしい。
相方を探す視界に、走り出す人影が映った。
ムカデを誘うように小さな攻撃を繰り返す。
その細いシルエットを飲み込もうと大きな口が開いたとき。
「竜火炎嘶っ」
一際鋭い声に、遠目からでもわかる炎の帯がムカデの口に吸いこまれるように流し込まれていった。
ムカデの頭上に飛び出した影は、日差しを反射するロングソードをその口元に突き立てる。
蓋を閉じられた炎は行き場を失い、内側から破裂を繰り返すとのたうち回るムカデのあちこちから黒い煙を上げてその活動を停止させた。
ちっ。終わりか。
シャボンの中、あきらめたようにアグラをかいたバースは、彼女たちの少し先にピンヒールが刺さったまま砂にまみれる相方の姿を見つけて笑わずにはいられなかった。
「まだいると思う?」
黒い煙を上げるムカデの目から、下あごを突き刺した剣を引き抜いて、質問をするアリシアに視線を送る。
多少グロいけど、今回は刺さるところに限度があったし致し方ない。
「終わった。かな」
肌を焼くような〈イヤな感じ〉は微塵もない。
さっきの黒がムカデを倒した時とは比べ物にならないくらいの喝采があたしたちを包んでくれた。
「なんですってえぇぇぇぇっ」
【マードリア観光組合】
建物の応接で、アリシアの大声が響くこと響こと。
かくいうあたしも、この回答には頭を抱えざるを得ない。
「約束の報酬は報酬です」
頑として聞き入れない組合長のフェナット氏は何とも平べったい瞳であたしたちを見てきた。
こいつ絶対に根に持ってる。
「なんだよ、せっかく山分けにしてやろうと思っていたのに、報酬受け取り拒否か?」
追い打ちをかけるような黒の言葉に本気で殺意が沸きそうになったけど、ここでヤルとお尋ね者になりかねない。
今回の報酬。確かに中身は確認しなかった。
先に魔物を倒した方。という約束しか確認しなかったけど!
まさか報酬が『浜辺のおねーさんナンパし放題』だなんて思いもしないって。
「女が女ナンパして何になるってのよっ」
「やっぱり夏は冷気魔法の効いたメシ屋の隅で、のんびり過ごすべきだったかもね」




