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モノクローム・スクリプト  作者: 津蔵坂あけび&九藤 朋
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想いを青い光に乗せて(津蔵坂あけび作)

 見知らぬ女性にメールを送った。それから、どうもそわそわする。

 問題なく、届いたのか。そして返事は来るのか。数時間、いや数十分おきにメールボックスを確認している始末だ。相手は繊細な言葉遣いをする人だった。何か失礼な表現などなかっただろうか。そう考えると、右足の貧乏ゆすりがピッチを上げた。

 

 机に置いてあったスマートフォンから通知音。ぼうっと考え事をしていたから、椅子の上で少し身体が跳ねた。画面を確認すると、桐野先輩からメッセージが届いていた。件のメールではなかったということに少々落胆しながらメッセージを開く。

 

『そういえば明日から、卒研配属を希望している研究室に、農工大からの招へい教授が来るの。その人は植物学の権威だから、何か掴めるかもしれないわ』


 桐野先輩は随分と必死に、歯車菊のことを調べようとしてくれている。多分、俺よりも熱心に。俺は興味を失ったわけではない。その花の名を教えてくれた美代という女性のほうに、興味が移ってしまった。桐野先輩の気遣いは有難いものではあったが。少し、返事につまるものだった。

 メッセージの文面をぼうっと眺めながら、無益な時間を過ごした。時計の針が午後十時を少し回ったところで、オンラインゲームのイベントが始まっていることに気づく。半田から協力プレイに誘われていたんだった。

 アカウントに入ると、既に半田がインしていて、何件かチャットを入れていた。「遅いぞ」とか「まだか」とか、俺を急かす内容だった。


『待ちくたびれたぞ』


 十分ばかしの遅れで大げさな。俺のインを待たずして、残りの三人で始めていたくせに。そう言うと、『お前がいないと勝てないだろ』と。残りの三人では付き合いも浅く、連携が取れないそうだ。確かに、暇なときは、しょっちゅう協力プレイをしていたものな。

 イベントに参戦すると、巨大なドラゴンが現れた。固い甲冑を背負い、尻尾には鋭利な棘のついた棍棒のようなものがついていた。

 他の三人は、ドラゴンを前にして、互いを鼓舞するようなチャットを流していたが、俺はどこか乗り切れない。画面の中に仮想世界が広がっていても、心は現実にずっと引っ張られているようだった。


 岡本美代、あなたは、いったいどこに住んでいて、どういう人なのですか。


 おぼつかなくなる手つきが、画面の中のアバターの挙動にも滲み出ていた。

 なんとか勝つことはできたが、俺のお粗末なプレイは半田に見透かされていた。


『どうしたんだ、いつものお前らしくない』


 そう聞かれても、間違って自分のもとに舞い込んできたメールに返信した挙句、ペンフレンドでもないのに、想いを寄せているだなんて、言えるはずもない。

 濁した返事をすると、それっきり詮索はされなくなった。


 いつもだったら、日付が変わるまでうだうだとするのだが、早く寝ることにした。自分で思い直して、やはりどうしようもない気がして。早く、この想いを断ち切ってしまいたかった。



 しかし、すんなりと寝入ることもできず、何度も狭いベッドの上で寝返りを打つばかり。浅い眠りの中で見た明晰夢では、色のない世界で、着物に身を包んだ女性が笑っていた。漆のような鮮やかな黒髪と、絹のように白い肌を持つ、美しい人だった。けれど、見覚えのない姿。どうして、そんな女性を夢に見たのか、まるで見当もつかなかった。

 夢か現か、その区別がようやくついて来て、起き上がる。窓から漏れる光が、まだ青い。もう一度寝直そうか、とも思ったが、目が冴えてしまっていて、どうにも寝付けそうにない。

 大学の講義が始まるまでは、まだ随分とある。時間を潰す術を求めて、パソコンを立ち上げた。最初に受信ボックスを開くのは、もはや癖になってしまっている。そして、そこにあった一通のメールを見たとき、思わず目を見開いた。


“From 美代”


 あの時と同じく、差出人のみが記されたメール。意気揚々と中身を開くと、あの、手書きを思わせる表情豊かな文字がそこに並んでいた。


 前略


 この度は大変、失礼を致しましたようで、お詫び申し上げます。


 ご推察の通り、入野さんに届いた手紙は、本来であれば私の友人に出す予定の物でした。宛名などは正確だった筈です。ですが問題は宛名等の正誤ではございません。それと申しますのも、手紙はまだ投函していなかったのです。投函出来る状態で、籐の籠バッグに入れておいたものが、何の不思議か、入野さんのお手元に届くこととなったようでございます。


 重ねての失礼をお詫び申し上げます。


 お詫びのついでと申しては何ですが、お尋ねであった歯車菊の写真を同封させていただきます。


 寒くなってまいりました。お体にお気をつけてお過ごしくださいませ。



                  草々 


 十一月十四日


                  岡本美代


 入野寅治様



 丁寧な言葉遣い。表情豊かな文字から、書き手の人物像が垣間見えるようだ。きっと、美代さんが手に筆を持って、その文をしたためたに違いない。“とめ”や、“はね”が意識されていることから、彼女の教養の高さ、品の良さが感じられる。

 彼女は、おしとやかで儚くて、和服が似合う美しい人。そう、夢に出てきたあの女性のように。そんな痛々しい青い妄想が、俺の頭の中を渦巻く。

 陶酔しながらスクロールを送る。ふと、手が硬直した。歯車菊、探し求めていたあの花が、画面の中で揺れていた。


 彼女が撮った写真なのか。名前の通り、歯車を象ったような、というよりも歯車そのものが(がく)から咲いているような、非現実的な花だ。茎や葉は脈打つ有機体なのに、花の部分は無機的で、光沢があって、機械油の臭いがしそうだ。最も目を奪われたのは、その色彩だ。画像加工でもしたのだろうか。黄色みがかった古紙を思わせるアイボリー。墨、または漆のような質感を醸し出す、温かみのある黒。グレースケール、いわゆる白黒とは異なった印象のモノトーンだ。

 まるで作り物のようだけど、作り物とは感じられない。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないけど、その写真のままの色彩の世界が、きっとどこかにあるとそう感じられた。


     ***


 始業前に大きな生あくびをひとつ。きっと昨夜の睡眠時間は、二時間か三時間。それに、あんなはっきりとした夢を見ていたのだから、実質、寝ていないに等しいだろう。


「いつも以上に冴えない顔してるなあ」


 半田が腫れぼったい顔の俺を茶化す。


「昨日は、あまり眠れなかったんだよ」


 昨夜のゲームも動きが冴えなかったと、半田が付け加えた。調子が悪かったんだよ。一過性のものだ、なんて言ってみたけれど、もう彼女という存在は、俺に憑りついていて、離れないように思えた。

 彼女への恋慕は、幻聴のように、何の予兆もなしにふらりとやってきて、俺の感覚を侵す。囚われていた俺を、ズボンの中で震える端末が連れ戻す。

 俺は、夢中になって見ていたテレビを消されたような気持になって、ため息をつく。真っ黒な画面に映る気怠い顔。指の腹で画面を押すと、メッセージの通知が入っていた。そこで俺は、桐野先輩に返事を返していないことを思い出した。


「桐野先輩と上手くいってんのか」


 画面が半田の目に留まったらしい。


「勝手に見るなよ」

「勝手に目に入った分はノーカンだ」


 昨日のメッセージの返信を急かされた、そう言うと「それはお前に気があるんだ」ってそんな虫のいい話、馬鹿な。


「相変わらず、お前はのせられないな」


 半田のよいしょを払い落とすと、苦笑いが返ってきた。


「それで浮かれても馬鹿を見るだけだろ」


 暗いと思われるだろうが、残念ながら俺の心はそんなに都合良くできていないんだ。


「俺は少しくらいは、図に乗ってもいいと思うけどな。そっちのほうが楽しいし、勘違いして傷つくのは、自分だけだろ。自分に自信がないからって、他人の気持ちを蔑ろにするよりずっといい」


 それを聞いて俺は、自分が傷つきたくないだけだと分かりはしたけれど、それで変わろうとまでは思えなかった。

成功者の体験談を他人事と聞き流すように、ただ羨ましいなと指をくわえるだけだった。


「で、なんて返事をするんだ?」


 さて、どうしようか。


     ***


 昼休み、学食で待ち合わせをした。件の花のことを話すだけとはいえ、女の人と待ち合わせをするのは慣れていない。お昼前の二限目が終わってすぐに出てきたのに、桐野先輩は先に着いていた。


「早かったんですね」

「私、今日、二限目なかったから」


 はにかんだ口元に、えくぼができた。なんだか嬉しそうだ。

 誘ったのは俺だけど、お姉さん気質な桐野先輩は、脚を忙しなく動かして俺の数歩先を歩く。


「入野君は何にするの?」


 学食では、決まって、からあげ定食だ。そう言うと、「男子学生って感じだなあ」って笑われた。美味いんだから仕方がないだろ。


「私は秋鮭の定食にしようかな。期間限定に私、弱いし。魚と野菜って定期的に食べないと不健康な気がして不安になってくるんだよね」


 同意はするけど、秒でからあげ定食を選ぶような思考回路の俺だから、実行には移さない。

 俺のトレイには、脂にまみれた茶色いもの、桐野先輩のトレイには、鮮やかな桜色と若草色が。


「あれ、ここのから揚げ、言えば揚げたてを提供してくれるのに」

「いや、待たせちゃいけないと思いまして」


 遠慮しなくていいのに、と苦笑いしながら向き合って席に着く。先日の農工大近くの喫茶店の時と言い、慣れないシチュエーションで落ち着かない。そわそわしながらもだんまりで、から揚げを頬張っていると、桐野先輩のほうから話を切り出してきた。


「で、例の花について何が分かったの?」

「あ、ああ」


 自分から持ち出した要件をようやく思い出して、スマートフォンから件のメールを開く。


「あの歯車菊の写真が届いたんです」

「写真……?」


 首をかしげる桐野先輩の様子を見て、そういえば詳細までは言ってなかったと思い出す。自分のもとに間違いメールが届いたこと、美代という女性の名前まで話した。途中から桐野先輩の相槌のトーンが半音下がった。


「へえ、そんなことがあったんだ」


 どこか素っ気ない調子になった返事。そして、スマートフォンの画面に映ったものを見た瞬間に、目の色が変わった。少し興奮したような目つきになったけれど、すぐに冷淡なものになった。


「これ、作り物じゃない。なんというか現代美術的な作品ね」


 有機的な葉や茎と、不釣り合いな無機的な花は、確かにそう思われても仕方がない。いや、普通に考えれば、歯車菊の写真は、加工したような色彩も相まって、アート作品と思われてしかるべきものだろう。だけど、冷ややかな感想を述べられても、俺はその出鱈目な植物がどこか遠い世界に存在するように思えてならないのだ。


「その美代って女の人、芸術家か何か?」

「詳しくは知らないです」

「そう――」


 それから、桐野先輩のご飯を食べるスピードが、うんと速くなった。

 俺はというと、あのメールに返す内容を、ただひたすら考えていた。とりあえず、美代さんが住む世界の色が知りたい、そう思った。


 そうだ、写真を撮ろう。


 思い立った俺は、桐野先輩と別れた後、キャンパス内のモニュメントをスマートフォンのカメラで撮影した。創立何周年かの記念で設置されたものらしい。なんか、灯台みたいな形だ。全体的に鼠色で、色彩は豊かではないけれど、美代さんの世界にない色が少しでもあれば嬉しいな。


 撮った写真を美代さんに送ろうかと思ったその時、秋葉原の電気街で買ったLANケーブルが放った、あの不思議な青い光が頭を過った。

 ここで返信をしてもきっと届かない。直感でそう思った僕は、残りの授業をバックレて家に帰った。



 岡本美代様


 まさか、私のあの内容に返信が来るとは、思いもしませんでした。こうして、あなたと言葉を交わすことができるのが、なんだか夢のような心地です。歯車菊の写真、拝見しました。半分植物で半分機械のような、大変珍しい見た目ですね。そちらではよく見かける花なのでしょうか。厚かましいかもしれませんが、もっとあなたの住む世界のことが知りたくなってしまいました。よろしければ、あなたの身の回りの世界のことを教えていただけないでしょうか。些細なことでもなんでも良いのです。

 代わりと言ってはなんですが、私が撮った拙い写真を送ります。



 この奇妙な文通が少しでも永く続きますように。願いが通じたのか、籐のLANケーブルは、今までよりもひときわ強い光を放った。一瞬、部屋が真っ青に染まるくらい。




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