変化の兆し
そんな俺にも変化の時期を迎える。今年高校入学三か月前に親父から突然進学予定していた地元の高校から、東京の学校へ一人で行けと命令(決して提案ではない)されたのは。
「おい。」
部屋でマンガを読んでいるとクソオヤジはノックもせず勝手に扉を開けて声をかけてきた。
「なんだよ。」
俺はマンガを読んだままぶっきらぼうに答える。
「4月から東京の学校行け。」
「はあ?」
つい読んでいた漫画を読む手を止めてクソオヤジの顔を見る。こいつは冗談なんて言うような人間ではない。いつも質実剛健、というより頑固者なうえに偏屈なやつだ。
俺の母親は何を思ってこいつと結婚し、そして俺と妹を産んだのだろうか。その答えを知る術はもうない。母親は俺が物心ついた時に亡くなっており、写真でしか顔を知らない。
俺の一番古い記憶。4歳の夏、母親の葬式でただただ呆然と立ち尽くす俺に泣きじゃくる妹。クソオヤジは淡々としていた、泣きもせず。
それ以上前のことは思い出せない。通っていた幼稚園でも呆然としているうちに、最初は心配していた周りも俺の下から離れて、俺は晴れてボッチデビュー。その前の俺はどんなガキだったんだろう。
「おい、聞いてるのか。」
「いや。」
過去について改めて思うところがあって考え事をしている間に何やら言っていたようだ。
いまいち声の通りが悪いというか、耳に残らないんだよなこいつの声。
「4月から東京の私立椿学園高等部に通え。部屋の手配とかはこっちでしておくからから行ってこい。これ資料だ。」
そういって俺の前に雑に投げられたのは、学校の案内パンフレットのようだ。これは果たして資料と呼んでいいのかどうか。もっとこう、なんかあるだろ。
いや、このクソオヤジに何かを期待するほうがバカだ。中学入る前もこんなやり取りをしている。お前ここ行け(決定的確定事項)。その時はムカッとして歯向かい、そして2時間ほど稽古という名の一方的な暴力を振るわれた。
今回もそうなりたくはない、容赦ない一方的な暴力。それに別に悪い話ではない。何せこいつの下から離れられるし、この街札幌、名産物は多いんだろうが特にこれといって面白いものがあるわけでもなく、冬は雪まみれの不便で寒い、かといって片田舎とも言えない中途半端な場所。
かたや東京といえば、日本の中心、華やかではないがせわしなくうごめく、世界でも有数の大都市。なによりあまり雪が降るイメージがない。ニュースで少し雪が降っただけで交通網が大混乱というニュースなら見るが。
俺は東京の大学に行こうと考えていた為、予定は早まったが上京できるというのは、素直にうれしい。
だが少し冷静に考えてみる、主に金の事で。
「なあ、学費だとか生活費とかはどうすんだよ?あんたそんなに金持ってんのかよ。それに、俺そんな頭よくねえぞ。」
別にこいつは無職ではない。かといって金持ちでもない。普通のサラリーマン。
少し特殊といえば、親父が勤めているのは椿財閥という日本最大の財閥傘下の会社に勤めていて、俺がどうやら進学するらしい椿学園は、財閥の関連会社の社員の子供を積極的に受け入れているものの、偏差値は高いし学費も他の高校より高い。
つまりこの椿学園は将来椿財閥を率いる人間を育成するような場所であって、俺のような運動は少しできるが成績がいいとは口が裂けても言えないような人間が行く所ではない。
「安心しろ。金は毎月生活費として10万は送ってやる。それでも足りないというならバイトでもしろ。学力は、まあ、頑張れ。」
なんだか珍しく励まされた。なんでだろう、あまりうれしくない。というか気持ち悪い。原因は頑張れといった時に、多分やつなりに励まそうとニコッとしたつもりの顔が、いびつだったからだろう。
人は慣れないことを突然するものではないという教訓を俺は、珍しく親からの反面教育という事で納得した。ということは、東京に出てきたからといって他人との付き合い方を変えろ、というわけではないということだな。
いや、これをきっかけに変えた方がいいのか?さて、どうしたものか。
「どうせ歯向かったら“稽古”なんだろ?行くよ。」
「珍しく素直だな。まあいい。明日から数日東京に行って住む所とかの手はずを整えておいてやるから。ちゃんと学校、行けよ。」
そういって俺の返答を待つことなくさっさと出て行ったオヤジ。珍しく親らしいことを言ったことに違和感を感じつつも、この家から出られるという事実は俺にとっては朗報だ。
「(そういえば小玉のやつも椿学園の中等部だったな)」
2年前に上京したきり、一度も帰ってこない妹の事を久しぶりに思い出してみる。
一応椿学園のことはある程度だが知っている。エリートを育成する学校で中高一貫制。だが高校から通う人も多いので自然と高校の方が規模はデカい。あとは…。
それこそ雑に捨てられたパンフレットを見りゃいい。なになに、充実した教育課程、希望者には寮があり、多種多様なスポーツ設備も揃っている。大小様々な部活動も行っており、生徒には必ず何らかの部活動を、お、行ってもらう……。
え、部活強制なの?入らない自由はないわけ?俺は自由に生きたい!
い、いや、なんか適当な文化系の部活に入って幽霊部員になればいいだけだ。他人と絶対関わらざるを得ないであろう部活動なんて、まっぴらごめんだ。
朗報かと思った矢先まさかのトラップがありつつもそれを回避する術を見出したところで俺は外を見、雪が降っているのでジョギングすることを諦めて読みかけていた漫画の続きを読むことにした。
この時は思ってもいなかった。この俺が、その面倒な他人との接触を、関係を築かざるを得ない状況に放り込まれるということを、この時点で仕組まれていたという事を。